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さよなら俺たち 清田隆之

 ジェンダーとかフェミニズムって、(男性としての)自分が責められている気がして、何となく気後れする。身近にそういう本、話題は転がっているけれど、あえて深く立ち入らないようにしている自分がいる。
ジェンダーに関心のある友人は何人もいるし、ジェンダー学の授業も受けたことがある。関連書籍もまあまあ読んでいる方だと思う。

誰と比べてかって?

きっと、ジェンダー・フェミニズムの本に出てくる「分かってない・ダメな男たち」と比べているのだろう。男はすぐに比べたがるからね。


清田隆之の「さよなら俺たち(スタンド・ブックス)」は、雑な広いくくりで言えばジェンダー・フェミニズムの本だ。著者自身が「分かってない・ダメな男たち=俺たち」であることを自覚して、そういう「俺たち」と向き合いつつ、別れを告げるため「さよなら俺たち」が書かれた。

ジェンダー・フェミニズムの本の多くは、この社会で女性が差別されていること、不利な立場に置かれていることについて書いている。
単純に男だからこう、女だからこうと言えないこともたくさんあるけれど、全体として男性は強い立場、女性は弱い立場にあることは間違いないと思う。

頭ではそう分かっているし、周りの話を聞いていても、男性が見ている世界と女性から見えている世界はずいぶん違うんだなあと感じる。
電車やバスに乗る、買い物をする、道を歩く、といった日常も違うかもしれない。僕が男性だというだけで、考えなくてもいいことが実はたくさんあったのだ。


フェミニズムの話を、男性が素直に受け取れば、そこから自分の特権(何もしなくても女性よりも優遇された立場にあること)を反省して、女性の権利を守ろうという意識が芽生える、と良いのだけれど、現実はそう上手くいかない。
逆張りして「アンチフェミニズム」をする男性もTwitter等で見かける。まあ、あれはただかっこ悪くて見苦しい。文字を割く価値もないのでこれ以上は触れない。

むしろ多くの男性は、ジェンダー・フェミニズムについて何となく問題意識はあるけど、よく分からなかったり、そこまで深く考えようとはしなかったりするのではないかと思う。


僕自身、ジェンダーの考え方も、フェミニズムの主張も、知識としては分かるし、賛成していると思う。ただ手放しに大賛成かと聞かれたら、言葉を濁してしまう。

このフェミニズムと僕(男性)との間にある距離は、きっと「男性としての自分」を上手く説明できないから生まれているかもしれないと最近思う。何だか置いてけぼりを食らった感じがするのだ。その間を埋める一冊が上記の本になりそうなので今回はレビューを残してみた。


ではそろそろ、本の話に戻ろう。「さよなら俺たち」では、著者自身の恋愛経験と直接女性から聞いた話から、「分かってない・ダメな男たち」の中身を掘り下げて考えている(※1)。

著者が様々なところで書いた短い話をまとめたエッセイ形式で、プライベートな男女間のいざこざから、日本の社会構造批判まで広い問題意識を持って書かれている。その中でも個人的には「俺たち」の言葉の貧しさに焦点が当たっていたように思う。


フェミニズムが女性特有の辛さや差別体験を言葉にしたのに対して、反対する男性の言葉はあまりにも貧しい。例えば、「俺たち」も女性からこんなひどい仕打ちを受けている、男だって人間関係や仕事が大変なのに、女性だけが優遇されている、といった反論。

言わんとすることは分かるし、共感できるときもある。ただ、感情的な反応で論理に基づいていなかったり、テレビやネットで言われている「借り物」の言葉であったりして、きちんと自分の頭で考えたものではないことが多い。
失礼な表現ではあるが「馬鹿にされたと勘違いして癇癪を起こすおじさん」をイメージしてもらうと分かりやすい。

そういう「俺たち」は、男性という特権により様々なことを自分の頭で考えなくても良いため、自己を見つめる目も育たなくなる。結果的に自分の気持ちや欲求を語る言葉も貧しくなってしまう。女性に対する反応も「モテたい」とか「セックスがしたい」といった単純な言葉でしか説明できない(※2)。
本当は「ありのままの自分を認めて欲しい」とか「仕事の愚痴を吐きたい」「頑張っていることを褒めて欲しい」などなど、人それぞれ色んな思いがあるはずなのだ。

しかし、「俺たち」はインターネットやテレビ、友人間で再生産される「男らしさ」を無自覚に受け入れてしまっている。だから、他者の気持ちの機微、そして自分自身の気持ちにも鈍感になっている。そして内面を語る言葉が育たない。

フェミニズムが「私たちには言葉が必要だ(※3)」と言い続けている一方で、「俺たち」はいつまでもその立場にあぐらをかいて、自分のことを語る言葉を探す努力を怠ってきた。

この「俺たち」意識が僕の中にも少なからずいて、だからこそ素直にジェンダー・フェミニズムの主張を受け止められないのだと思う。著者はこれまでの経験を振り返り、無自覚な「俺たち」ではなく、1人のわたしとして語る言葉を探している。それは、女性の権利を守ることだけでなく、男性の豊かな人間関係や充実した恋愛にも繋がる。

フェミニズム=男性は悪、ではないことを伝え、男性にとってどんな意味があるかを丁寧に説明しているところが非常に読みやすかった。

もちろん一度は、自分の特権や加害性(知らないうちに女性を傷つけている可能性)を考えてみることは大切だと思う。そして、そこからどうやって考えて行動するかはもっと大切だ。
聖人君子にはなれないし、矛盾した感情が生まれるときもある。そこで開き直って「男らしく」生きるのではなく、丁寧に考えて自分の気持ちと向き合って生きたい。そのために必要な材料(言葉)がこの本にはある。


※1 ダメな男たちの具体的なエピソードついては同著者の「よかれと思ってやったのに 男たちの『失敗学』入門(晶文社)」が詳しい。

※2 僕らの非モテ研究会による「モテないけど生きてます 苦悩する男たちの当事者研究(青弓社)」では、男性たちの「モテたい、モテなくて辛い」というボヤッとした言葉から、それぞれ個別の生きづらさやストレスを捉え直す取り組みが紹介されている。本レビュー自体、この研究会を運営している西井開氏の影響を受けている。

※3 「私たちには言葉が必要だ フェミニストは黙らない(タバブックス)」という本のタイトルをそのまま借用。

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