#4「介護してる時のショッキング」
今日もご愛読ありがとうございます🌸
今日は介護してる時のショッキングなことを綴っていこうと思います。当時は全てが初めてで「ちゃんとやらなきゃ!」と自分を追い詰めていたかのように思います。
まずはトイレ。臭いがね( ・ᴗ・̥̥̥ )そしておもらし。おもらししたオムツやシートを手にするのも正直キツかったです。あとウンピー漏れです。。。。
消臭スプレー&マスクにマジックリン&早く流す。一番ツラいのは母なので「迷惑かけてごめんね」と言われては「慣れてくもんだよ!」と笑ってました。実は慣れただけで今でもすごい嫌です(笑)
要介護4で補助金というか、保証はあり毎月オムツなど届けてもらえますが当然足りません。ドラッグストアに行っては買い足し買い足し、、当時の私には高い!笑
運悪く両親は年金を払っていなかったので長男と私の財布が全てで食費と生活費、日用品は私係でした。なのでお昼の仕事を辞め、キャバクラに勤め不自由ないようにと思い養っていましたね、兄は給料のいい社畜の闇にのまれて行きました。懐かしい( ˘ω˘ )
苦労かけたぶん、恩返しというか親孝行したいというのが強かったので我慢はさせたくなかったのです。それに介護とキャバクラって少し似てる部分があって!
人の話を聞いて寄り添う。
五体満足でも不満足でも誰もが求めてるもの。人は安らぎを求めてるんだ、私もそうだって気付かされました。そしたらいつの間にか仕事が息抜きになっていき生活にメリハリ付けれるようになっていきました。もちろん私もお客さんに介護の相談してました。泣いてw
私は元々なんでも話を笑いに持っていこうとする癖があるので向いてたのもあったし、こういう時の私が本当の私だ!と気付いたらツラいのなんて一瞬じゃんと。
でも帰ってから一瞬じゃない現実が待ってたりするんですよね。その跳ね返りが強くて、自分のコントロールやり方間違えたわ〜とそれは今でも繰り返してます(笑)
あとは甥っ子と遊べない時の母を見るのはショッキングです。必死で目で追って動こうとしてるんです。でも動けなくて口を強く噛んだりしてる姿は胸を締め付けます。私が母の横で甥っ子呼んで一緒の空間作ったり、母名義でプレゼントを送ったり全部「ばあばとじいじからのプレゼントだよ」って用意します。もちろん私も(*^^)v
車椅子から動けず、左半身麻痺なので抱っこも出来ないけど、甥っ子が母の上に乗ろうとするんです。「危ない!」って次男は止めようとしますが母は嬉しくて「やっと抱けた」と涙を流し感涙するんです。
甥っ子は良い子に育ってくれて車椅子姿の母になんの疑問もなく「ばあば!」と駆け寄って自分の好きなおもちゃ自慢したり遊んでくれるんです( ・ᴗ・̥̥̥ )
ある日、帰るね、と車に乗ろうとすると甥っ子が母に向かって「帰らないで帰らないで」と泣きじゃくりました。「もっと一緒いたい」と。母は甥っ子に何かしてあげられてた訳じゃないんですよ?
胸がはち切れるほど切なくて、母も大泣きでした。
今は7年目なので家での介助はお手の物ですが、孫と母の関係にはいつまでも泣いてしまうと思います笑
家をリフォームして介護用に色々改装したいのですがバイオレンスな家族に私の発言は意味を成さないので今のところ湯船につかれるデイサービスに感謝です🙏
ショッキングな事は語りきれないです
自分が現実受け止められずにいることも、私の年齢や誕生日を忘れられ「いつだっけ?」と聞かれたり、なんでも覚えてない、わかんないと。要介護4まで行くと体が不自由な分、徘徊などの心配はないですが精神的ダメージが強いです。
母と話すと傷付くのがわかってるからと一度話さない時期もありました。だけどそれすら母はわかってません。私がいても居なくてもわからない、と。
こうやって人の記憶の中から消えていくんだ、と思うと「私が覚えてるからいいんだよ」と言ってもやっぱり苦しいもので。
母の親戚が鳥取なのである時、行こう!と思い行って数年ぶりに人の手料理を号泣しながら食べて食べて涙が止まらなかったです。本当に美味しいんですよ!!
帰り、駅へ送ってくれる親戚たちの前でも泣いて泣いて今思うと、帰りたくなかったんだなって。誰かに甘えてたかったんだって常々思います。精神年齢24歳で止まってるので(笑)
次回は「私が母にしていること」です
ここまで読んで頂きありがとうございました🌸
次回は月曜日の更新になると、思います!
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