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コムスンよありがとう2

 前に書いた文が出てきた。

 福祉系学部で地域福祉・高齢者福祉を専攻していて「俺は何をやっているんだ」状態だった中でコムスンに入れた良かった。

毎日が文化祭の前日のような慌しさ。豪雪の中をレンタカーで拠点開発などのキャラバン。センターのケアマネとの間での葛藤、厳しい上司、高速を使わずに山を何度も越えた達成感、月残業200時間超などなど・・・。そして、会社の状況を知って同志と退職金をもらわないために指定日をずらして退職願を書いた。全部いい思い出であり、人生の糧でもある。

 結局、精神科の世界に戻っても協力関係は強かった。

大学院に入って食えなくなりそうになったときにハローコムスン(コールセンター)で拾ってもらった。あの当時の本社の人もいて昔の社員番号で働かせてもらった。病院PSW,SWの経験を生かさせてくれて困難な相談をたくさん扱わせてくれた。

 時給は決して高くなかったけど「コムスン魂」は忘れずにいた。新卒やバイト上がりの社員との熱の差を感じながら時々ケアセンターの制服をきて電話を取っていた。コールセンターにも介護保険施行前後からいるパートがいていろいろ熱く語った。

 時々現れる昔の同志の姿を横目に自分は牧師になるという意志があったので社員の話も断った。あの慌しい介護保険施行前後を経験した者と送でない者の熱の差は大きかった。結局、卒業前に単位が取れたので再び精神保健福祉士で精神科病院に就職した。上司に「あなたはコムスンの回しモノ?」「あんな会社関わるのやめなさい!」といわれるくらいケアセンターとの連携を深めた。でも、いいものはいい。いつも反論していた。この連携は精神科の長期入院者を地域で安心した生活を送れた。24時間対応してもらった。常に連携。いわば同志だ。今でもときどきメールが来る。

 同業者の嫌がらせか役所の圧力でコムスンがああなってしまった。コールセンターのときに語った同志は最後まで残った。熱の違いを感じた社員は早々と退職。「やっぱりね」と。

 会社が逆境のときにがんばれる社員って素敵だと思った。

 異業種にいても「コムスン魂」は絶対に忘れない!

 さて、サービスの原点に戻ろう。

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