映画「365日のシンプルライフ」で思い出した「モノ」のはなし。
2018年4月15日(日)18:30- 日本橋サイボウズさんのオフィスにて開催された「日本橋映画祭」に参加させていただきました。
ずっと気になっていたけど、機会がなくていけなかったけど、映画は「モノ」の話だっていうし、この日はずっと気になっていた #鬼丸食堂 さんとのコラボ!ということで行くしかない!
”■『365日のシンプルライフ』 上映時間 80分
フィンランド人の若者ペトリが、失恋をきっかけに、自分の持ちモノすべてをリセットして行なった365日の“実験”生活。
その中で、毎日「自分にとって必要なモノは何か?」をペトリが考えていくうちに、「幸せになるために、人生で大切なものは何か?」という問いが、観る者にも投げ掛けられてくる “自分ごと” 映画です。”
モノを多く持つ自分としても非常に興味を持っての参加でした。
びっくりしたのが、自分の持ち物全てをパンツ一枚でさえも倉庫にしまって、、街中を素っ裸で走って倉庫まで行って最初に取り出したのはコート!
それから、1日ひとつずつモノを倉庫から出していくという物語でした。
モノには価値がない、人に価値があるというような語りなんですけど、これを見ててふと思い出したのですね。
橋本久仁彦さんに話してもらった「物語」のはなしです。
西洋の「物語」の意味は、his story で人の歴史を指す。一方で日本の「物語」は「モノが語る」の物語であるということ。
日本人は「モノ」に心を映し人を見る。
西洋にとって「モノ」はただのモノである
というもの。
これは、アメリカ人のアンちゃんも言ってた。
橋本さんのワークショップで、二人の人と人の間に小さな木の椅子「てるぺん」を互いの人差し指1本でその指先に神経を集中させながら落とさないように全身を使って支えるというアクティビティがあります。
指先を通して相手の動きを全神経を集中させて必死でよみ、支え合う。
これが終わって二人の間に「てるぺん」を置いて、ありがとうございましたと挨拶をして終わる。その時にその二人の間にあるその「てるぺん」はもう「モノ」ではなくて大切な存在になっているのです。
橋本さんがわざとそれを踏みつけるような動作をすると誰もがそれをとっさに守ろうとする。
それがね、ドイツ人の方が同じことをやった後にこのアクティビティに感激した時に彼はその「てるぺん」を蹴っ飛ばして、パートナーの方に抱きついてきたんだそうです。モノではなくてヒトのほうを見るんですね。それが文化の違い。いいとか悪いとかではなく、ね。
日本人は八百万の神と言われてるように、汎神論で生活する風景に土地に神を見る、心をうつす。土地とヒトはつながっている。
一方、欧米やヨーロッパは、土地を侵略・略奪してきた歴史があって土地と人が紐付かない、だからこそ権利を主張し「ヒト」を意識が向かっていくのだそうです。これは、オーストラリアの心理学者の方が話されていたとか。
というわけでこの映画、やはり「モノ」は「モノ」として描かれていて、それぞれの「モノのストーリー」に言及されることがほとんどないことが興味深いわけです。
壊れちゃったお気にいりのバッグと、あとは大好きなおばあちゃんのお気にいりのキャンディボックスこのときだけ「モノ」の上に「ヒト」が乗っていた。
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