ナーリー氏の誤算
今日はこういう気分の日なので、おそらくそういう気分なんだろうなという調子で。
どうやら隅田川の花火は打ち上がったらしい。とどこおりなく。すべてがとどこおりない。
浴衣姿の人間とすれ違うたびに、こころの中でお前たち。花火を見たのか、と帝王の声で語りかけてしまう。
こう、大勢の人がひとつのものを共有する日は静かに恐ろしくなる。その共有された浮かれ気分の裏でなにか重大な計画が進んでいるような気になる。クリスマスとか、ハロウィンとか、年末年始とか、もちろん花火大会も。
次の日には叶姉妹が3人になっているのではないか。日本人みんなジョニー・デップをジョニー・ディップとかっこつけて言うようになっていたりはしないか。そういう具合の心配をする。
でも実際そんなことはなく、花火はパカーンと咲き誇るわけである。
去年の隅田川花火大会が台風で延期になったときのことをのをよく覚えている。外では大雨が降っていて、きっとたくさんの人が泣いているのだ。その終末感になんだか興奮を覚え、冷房の効いた静かな部屋のなかでひとりほくそ笑んでいた。
きっと来年は今年の花火大会のことなんて覚えちゃいないんだろう。なにも打ち上がっていない。なにも打ち上がってはいないのだ。
キングスマンのラストシーンみたいに、自分の頭が色とりどりの火花をあげて打ち上がって東京が吹き飛んでしまえば楽しいだろうになあ。
ここから大坂に語りかける形式になります。ハイ、スタート
大坂よ、君は花火を見たのか。見ていないに1票です。
プッチンプリンいいなあ。わたしも好きです。どうでもいいんですが、わたしにはプッチンプリンをプッチンしないと食べられないという癖があります。厄介な癖です。
鼻水が出るタイプの涙の手強さ、わかります。大変だ。
質問ありがとう。涙した経験はいろいろあるけど、覚えている限りで一番古いものについて書きます。
はじめてコーラを飲んだときのことです。
わたしは幼稚園生くらいで、四国にいたとき夏の海の家らしきところで父に飲ませてもらいました。
はじめて飲んだコーラは同時にはじめて飲んだ炭酸飲料で、小さなわたしは喉の中で花火でも上がっているんじゃないかと思った次第です。
喉が焼けるような感覚に、思わず涙がこぼれました。
母はなんて身体に悪いものを飲ませるんだ、的な具合で父を怒っていました。
そのくらいの頃の記憶は、これとあとは幼稚園で同じクラスの男のこの足を引っ張って引きずりまわして怒られたものと、幼稚園でクリスマスの劇で天使の役をして記念写真で大欠伸をしている瞬間を撮られたことしかないので、かなりわたしのなかで重大な出来事と言えます。
あのときの喉の焼ける感動みたいなものをまた違った感じで味わいたいですね。そういう感じで泣きたいです。
今日はこの辺で。お腹が空きました
公演、ぜひ来て下さい。
こちらはぶち上がる予定です。よろしくお願いします。
【公演情報】
Pシェーレ8 8月公演
presented by 劇団リトルスクエア
『微々たる旅路』
2019年8月22日(木) 13:00/17:00
23日(金) 13:00/17:00
24日(土) 13:00/17:00
処 上智大学一号館講堂
料金 フリーカンパ制
【大坂へ】
さっき質問しちゃった気もしますがノーカンで。
大坂は小さい頃どんな子供でしたか?なにか覚えているエピソードがあれば聞きたいです。