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艫(とも)に共に

2022年2月27日(日)礼拝における聖書メッセージを公開します。

聖書

第一朗読 旧約聖書 ヨナ書1章1節〜2章1節

第二朗読 新約聖書 ヘブライ人への手紙2章1〜4節

福音の朗読 新約聖書 マルコによる福音書4章35〜41節

 おはようございます。今日は世界がこのような状況ですから、前の週の予告から大幅に変えてお話します。ロシアによるウクライナへの軍事侵略、戦争が始まり私たちは大きなショックを受けています。たくさんの命が奪われ、また難民が発生しています。権力を一極集中させる独裁が生む恐ろしさを肌身で感じています。この状況で本当に勇気を出してロシア国内で戦争反対のデモを行い拘束・逮捕されているロシア国民が何千人といます。旧約聖書ヨナ書で神はヨナに対して都ニネベに行って人々に神の言葉を語るよう伝えましたがヨナは神に応えようとしません。彼らの都で神の言葉を語り悪を指摘したら自分がどうなってしまうか、拘束・逮捕され下手をしたら拷問を受けて殺されてしまうかもしれないと恐れました。これはヨナに限らずすべての人が当たり前に抱く恐れでしょう。しかしロシア国内に住む多くのロシア人がヨナ以上の覚悟や信仰を持って自国の悪に立ち向かい、独裁者に声をあげていることに思いを寄せて祈り、連帯したいと思います。

 さて今日のマルコによる福音書のお話は直近の礼拝で読まれたマルコによる福音書と繋げて考えるととても教えられるところです。イエスさまは弟子たちには神の国の秘密を明かし、その他の人々にはそれを明かさずたとえで語りました。水曜日の祈祷会でたとえについての感想を伺ったときの反応の一つに、神の国の秘密を弟子たちにしか教えてくださらなかったのはどうしてだろうという問いがありました。やっぱり弟子たちは私たちとは違う特別な存在なのかしらと。でも今日の箇所に出てくる弟子たちの姿を見てください。神の国の秘密を教えてもらっているはずの弟子たちはイエスを恐れ、「まだ信仰がないのか」と言われてしまっています。それに対してイエスは体の麻痺した人を連れて来た4人の男たちの「信仰」を見たと記します。マルコによる福音書においては弟子たちにはない信仰が体の麻痺した人をイエスの前に連れてきた4人の男たち、あるいは12年間も出血が止まらず治りたいという一心でイエスの衣に触れた女性にあるのです。

 イエスは弟子たちに夕方から湖に舟を出し「向こう岸へ渡ろう」と提案します。私なら「朝にしませんか」と言ってしまいそうですが、弟子にはこの湖で漁師をやっていた人もいましたからイエスさまが仰るのならと漕ぎ出したのでしょう。でも案の定向こう岸まで順調に渡り切ることはできず激しい突風に見舞われ波が舟の中まで入り込み、舟は水浸しになってしまいました。弟子たちはかなり焦っています。しかしイエスは艫の方で眠っていました。「艫(とも)」って難しい字ですね。私は聖書で初めてこの字を見ました。舟の後方のことだそうです。舟は艫(とも)の部分に重しがあるため舟の先が波に当てられて上下しても沈まないそうです。ここではそういう舟の特徴とイエスの存在が重ねられ、艫(とも)に重しがあって舟が沈まないようにこの舟の艫(とも)にはイエスがおられるのだから沈むはずがないということが暗示されています。

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(日本キリスト教協議会のシンボルマーク)

 キリスト教の歴史の中で教会はよく舟に例えられてきました。日本キリスト教協議会や世界キリスト教協議会のシンボルマークとして十字架を乗せた舟のイラストが用いられています。「教会という舟の艫には十字架のイエスがいてくださる。だからどんな嵐を経験する時にも教会は決して沈むことはないんだ」と言われてきましたし、実際キリスト教は2000年間にわたって無くならなかったわけですからある面ではその通りだと思います。しかし舟は嵐の中も風を受けて必死に進もうとしているからこそ沈まないのであって、嵐の中も前に進もうとしなければたちまち沈んでしまうのです。教会という舟も同じではないでしょうか。嵐の中恐れに満たされてしまうときにも舟の「艫に」主イエスがいてくださることを信じて進みゆこうとするとき、確かに主イエスが「共に」いてくださり沈没しないよう支えてくださるのではないでしょうか。

 教会という舟は日本国内だけでみると小さな舟ですが世界規模で見ると非常に大きな舟です。この舟がいま戦争という嵐に遭遇しています。特にその嵐の中心にいるのがロシア正教会とウクライナ正教会です。ウクライナ正教会は戦火という嵐、またロシア正教会は独裁国家という嵐です。2011年の日本の文化庁の調べによるとロシアの人口の7割がロシア正教を信仰しています。2020年の人口統計ではロシアの人口は約1億4500万人です。7割だと1億ちょっとの人がキリスト教の信仰を持っている計算になります。そのような巨大な舟であるロシア正教としては何の声明も出されていませんが、その舟の一部分であるキリスト者たちがいま、「ともに」十字架の主イエスがいることを信じてヨナ以上の信仰と勇気を持って恐怖に立ち向かっています。そのことを同じ舟に乗っている「姉妹兄弟」として祈りを通して連帯したいと思います。そして命の造り主であり歴史を導く神がロシアの為政者たちに働きかけ、己の決断の愚かさに目覚めて神が喜ぶ道へと立ち返り一刻も早く戦争を終わらせるよう祈りましょう。

 私たちは今嵐の中にいます。波風によって舟が大きく揺さぶられている中で弟子たちにはなかった信仰、しかし四人の男たちや長年出血の止まらなかった女性にはあった信仰があるのかが問われています。この嵐の中で私たちの舟の「ともに」主イエスが寝ておられることを信じているでしょうか。私たち一人一人と主イエスがいつも「ともに」いてくださることを信じているでしょうか。

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