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聞く力に応じて、語られている。

2022年2月6日の礼拝における聖書メッセージです。

聖書箇所は以下の通りです。日本聖書協会のホームページから聖書本文を検索して読むことができます。

日本聖書協会ホームページ:https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

第一朗読:サムエル記下12章1〜13節前半

第二朗読:ペトロの手紙1 1章22〜25節

福音の朗読:マルコによる福音書4章10〜12節

メッセージ本文:

 子どもたちと喋っていると自分自身の語彙力や理解度が試されていることをたびたび感じます。「〜って何?」「〜ってどういうこと?」と聞かれ、その子どもの年齢や理解力に応じて分かるように語るのは決して簡単なことではありません。

 イエスは人々を前にして話をする際にたくさんのたとえ話を語りました。今日のマルコによる福音書でも灯のたとえ、秤のたとえ、成長する種のたとえ、からし種のたとえという4つのたとえ話を語っています。皆さんにはそれぞれのたとえの意味するところが分かったでしょうか。

 聖書によると弟子たちには神の国の秘密、神の国の奥義、秘義が打ち明けられていますが彼ら以外にそれは打ち明けられていません。しかしイエスは代わりに人々に対して多くのたとえ話を語るのです。それは「人々の聞く力に応じて神の言葉を語るため」です(33節)。

 イエスは人々の聞く力に応じてたとえ話を通して神の言葉を語りました。どうして端的に神の国の秘密を教えなかったのでしょう。それはおそらくイエスの目的が人々を育てることだったからです。育てるためには答えを教えるのではなく自分の力で答えを導けるよう考える力を身に付けさせることが大切です。

 子どもの教育を見てもそうですよね。例えば足し算、引き算、掛け算、割り算の答えをいきなり教えたって算数の力は身につきません。教師が子どもに教えるのは答えではなく解き方であり、正解は何か考える力を育みます。イエスのたとえ話もそれと同じで神の国とは何なのか、その答えに辿り着くための考える力を育てようとしています。だからこそイエスの目的に適って私たち一人一人がたとえの意味を考えたいと思います。一人で分からない時は他の人の解釈を聞いて、それをヒントに自分なりに考えてみましょう。そうやってそれぞれの聞く力に応じて受け取った神の言葉をみんなで分かち合っていくことで、私たちはより深く神の国の秘密を知ることができるのでしょう。

 今日は私が受け取ったたとえの意味を分かち合いたいと思いますが、前置きとしてお伝えしたいのは私が正しい答えを知っているというわけではないということです。私一人では神の国の秘密を深く知ることはできません。しかしみんながそれぞれの聞く力に応じて受け取った神の言葉をシェアすることで神の国の秘密をより深く知ることができるはずです。神の国の秘密とはいわば地球のように球体状です。日本が朝なら反対のブラジルは夜であるようにある1箇所からライトを当てて照らせるのは一部であり、いろんな角度から照らすことで球体全体が分かります。

 さてまずは灯のたとえを考えてみましょう。イエスはロウソクは燭台の下に隠さず上に置くだろうと語っています。ロウソクを世の光であるイエス自身と重ねているのでしょうか。権力者たちはイエスのことを認めず、その行いを隠して暗殺を計画しそれを実行します。しかし神はイエスを十字架の上に高く挙げてその光を全世界に届けました。世の光であるイエスが高く挙げられることによって隠しているもの、秘めているものすべてが明らかにされると言いたいようです。

 続いて「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉に続いて「何を聞いているかに注意しなさい」と重ねた上で秤のたとえが語られます。私にはこのたとえが神の国と超格差社会であるローマ帝国の現実を比較してローマ帝国を批判しているように思えます。ローマ帝国の支配下において、ごく一部の特権階級にいる持っている人はさらに与えられたのに対して、大多数を占める持っていない人は持っているものまでも取り上げられてしまう現実がありました。持っている人が持っていない人に分け与えるのではなく搾取の限りを尽くす姿は、イエスさまが何千人もの人たちと食べ物を分かち合うことを通して見せた神の国の姿と対照的です。現在のコロナ禍においてもこの状況は変わっていないどころかますます悪化しています。世界の格差は拡大し、持っていない人は仕事、家、財産を取り上げられる一方で一部の大富豪たちの持っている資産はコロナ禍以前よりもさらに増加している現実があります。

 続いて成長する種のたとえでイエスさまは「種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」と語っています。人間にはすべての原因と結果が分かるわけではないと言いたいのでしょうか。先日ある元政治家が亡くなりましたけど、彼は安易に原因と結果を公言して失言を重ねる人間でした。ある時にはALS患者に対して「業病(悪い行いをした報いだ)」と言い、東日本大震災の際には「天罰」と発言しました。許せない発言です。でも彼だけでなく私たちの脳は分からないことをそのままにしておくことが嫌で原因と結果を安易に妄想してしまうようです。例えばよく「日頃の行いが良かったのね」って言葉を聞きます。九死に一生を得たり楽しみにしていたイベントの時に天気が良かったりすると何気なく出てくる言葉ですけど、現実には九死に一生を得ずに亡くなる人、とても楽しみにしていたイベントに行けなくなった人たちがいます。じゃあ東日本大震災で亡くなってしまった人たちの日頃の行いは悪かったのでしょうか。絶対にそんなこと言えませんよね。私たちが生きるこの世界には原因と結果が分からないことがあり、病気で、事故で、災害で、争いで突然失われてしまう命があるということを心に刻みたいと思います。

 最後のからし種のたとえですが、これは皆さんそれぞれが考える意味を分かち合えたらと思います。皆さんからのコメントをお待ちしています。私はこんな神の言葉を受け取ったと言うものを教えてください。からし種のたとえの意味を考える際に一つだけたとえを読み解く助けを提供しますと、「からし種が成長して葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」というイエスの言葉の背景には旧約聖書エゼキエル書の17章以下、特に23節の言葉があるのだろうと伝統的に言われています。ですからエゼキエル書17章もお読みいただき、このたとえの意味するところをぜひ皆さん考えてみてください。

 子どもたちが算数の解き方を教わって一所懸命に取り組むから解けるようになるように、私たちが神の国の秘密をより深く知るためにはただ答えを提供されることではなく考えることが大切です。イエスさまは今日私たち一人一人の聞く力に応じて神の言葉を語ってくれています。一人では神の国の秘密を深く知ることはできませんが、仲間と共に分かち合うことを通して私たちはそれをより深く知ることができるのです。

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キリスト教会の礼拝で行われている説教と呼ばれる聖書をテキストにしたメッセージを公開しています。

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