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この原稿は2024年4月14日(日)十日町教会の日曜礼拝におけるメッセージ原稿です。画像は礼拝堂正面です。とっても素敵な雰囲気じゃないですか?

以下のYouTubeリンクで説教音源を聞くこともできます。動画については準備中ですので少々お待ちください。



聖書:ヨハネによる福音書21章1〜14節 説教「いのちが芽吹く」

牧会祈祷:

 主なる神さま、日曜の朝を迎えました。今日もまた礼拝を捧げられる恵みに感謝いたします。どうかこの礼拝が神さまに喜ばれるものとなり、私たちにいのちの言葉をお与えくださいますように。

 神さま、先週は各学校で入学式、始業式が行われました。新しい環境に移り変わりワクワクしている者もいれば、不安で押しつぶされそうになっている者もいます。どうかあなたが一人一人に寄り添い、必要な助け手、友を与えてくださいますように。新年度早々全国各地では交通事故によって失われた命があります。子どもたちの命をお守りください。また私たち一人ひとりが本当に気をつけて運転できるようお支えください。交通安全のために横断歩道などの前に立っている保護者、地域の方々の労をあなたが労ってください。

 神さま、十日町幼児園、山本愛泉保育園のために祈ります。園での少しづつ慣れてきたとはいえ、まだまだ慣れるのに時間がかかる子どもたちがいます。子どもたち一人一人のペースに寄り添うことができるように職員そして保護者をお導きください。疲れが溜まって体調を崩してしまう人も出ています。回復するまでの道のりをあなたが支えてください。

 神さま、教会に連なるすべての人を覚えて祈ります。今日の礼拝を覚えながらもさまざまな事情で集えない方々います。一人一人と共にあなたがいて必要な良いすべてのものを備えてください。私たちがいつも祈りに覚えることができますように。また礼拝のオンライン配信など時代やニーズにあった方策へと進んでいくことができるよう私たちを導いてください。また教会から心離れている友のために祈ります。私たち教会は人の集まりであり、そこではさまざまな人間関係が生じます。かつてアウグスティヌスはキリスト教会の本質を「罪赦された罪人の集まり」と表現しました。アーメン、その通りだと思います。私たちが互いに赦し合うことができるよう聖霊で満たしてください。教会から心離れている方とも神さまが共にいてくださることを私たちは信じて祈ります。

 神さま、台湾地震の被害の大きさが徐々にわかってきましたが、同時に初動対応の良さも報道され何よりです。被害に遭われた方々の支援が迅速に行われますように。支援に携わる方々の安全をお守りください。同時に能登半島地震の復旧・復興作業は迅速とは程遠い現状です。支援の手が足りていないという声も聞こえています。神さまが私たちにできることを示し、それに応えていけるよう導いてください。これらの祈りをここにいる一人一人の祈りと合わせてイエス・キリストによって祈ります。アーメン

説教:

一粒の麦(焼酎のはなしではありません笑)


 イースター礼拝ではイエスの復活を祝い、神が死を打ち破って私たちに新しい命を示してくださったことを喜びました。復活はキリスト教の秘儀であり、それがどのようにして起こるのかは人間には隠されていて詳細は分かりません。しかしイエスはヨハネによる福音書において分かりやすいたとえを用いて復活について私たちに教えてくださっています。それが「一粒の麦」のたとえです。焼酎の話ではないですよ笑。ヨハネによる福音書12章24節以下に出てきます。お読みしますので耳を澄ましてイエスの言葉をお聞きください。12章24節「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」(繰り返し)。

 一粒の麦や多くの植物は花を咲かせた後は散ってしまいます。しかし花が枯れても植物の命は終わってしまったというわけではないのです。多くの植物は枯れる時に種を落とし、それが寒さの厳しい冬を超えて春になると新たないのちが芽吹きます。イエスは「一粒の麦」のたとえを用いて復活の一側面(すべてではないですが)とは地上の命はいつか終わりを迎えるけれど、それだけでなくあなたたちが生きた証が地上に残された一人一人の心に残って多くの実を結ぶことなのだと教えてくれています。本日朗読されたヨハネ福音書21章には復活のイエスが弟子たちに現れるというお話です。先週も同じく復活したイエスが弟子たちに現れる話でしたが、今日はイエスが語った「一粒の麦」のたとえを念頭においてこのお話を味わいたいと思います。地に落ちた一粒の麦のように十字架につけられて死んでしまったイエスが弟子たちの心に種をまき、それが豊かに実を結ぶ前段階、つまり硬い殻を打ち破って種から新芽が出てきたという段階が今日のお話の伝えたいところだと私は思うからです。

イエスの弟子たちは元漁師

 イエスの7人の弟子たちがティべリアス湖畔、すなわちガリラヤ湖畔で漁をしている場面が21章に描かれています。イエスは漁師たちを最初の弟子としてリクルートしましたから、ペトロたちがガリラヤ湖畔で漁をしていたということは少なくともこの時点では死んでしまったイエスの思いを継いで福音宣教することは考えておらず、夢破れて故郷に帰り、元の仕事に戻って行ったということだと思います。3節にあるペトロの「わたしは漁に行く」という言葉は意気揚々としたものではなく哀愁や落胆を帯びています。彼らは重い腰を上げて漁に出てみたものの、その夜は何もとることができませんでした。想像の翼を広げていただきたいのですが、一晩中網を打って漁をしたのに収穫がなかったのです。夜勤の仕事をされている方がこの中にもおられるかもしれません。私も夜勤をしたことがあります。運送会社の倉庫で荷物の仕分けを行う仕事と老人ホームでの宿直に仕事でしたが、睡魔や重い荷物を持ち運びする疲れ、また孤独というプレッシャーで本当に辛かったことを思い出します。弟子たちは夜通し漁という肉体仕事をしたにもかかわらず収穫はありませんでした。時間的にも肉体的にも辛い仕事に従事したのに何も取れなかったのですから落胆極まれりという心境ではないでしょうか。彼らはこの時何を思ったのでしょう。これはヨハネ福音書ではなく他の福音書に書かれていることですが、イエスはペトロたち漁師を弟子にする時に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りました。あるいは弟子たちに「収穫は多いが、働き手が少ない。」とも言われました。この時ペトロたちはそれらの言葉を思い出しながら、「イエスさまはあんなことを仰ってくださって、自分たちはその言葉に心躍って従ったけれど結局はイエスさま、十字架につけられて死んでしまった。イエスさまの宣教活動はイエスさまが死んで何も残らなかったし、いまこうして夜通し漁をしても何にも収穫がない。」そんな風に肩を落としていたのではないでしょうか。

賛美歌「どんなときでも」と作詞者の高橋順子さん

 しかしそのような状況が4節以降で驚きの急展開を迎えます。「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」というのです。びっくりですよね。思えば先週の礼拝で読んだ箇所でも復活のイエスが家の戸に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちの真ん中に立っていたというお話でした。復活のイエスは突然、現れます。しかも普通ならありえない、いるはずがない場所、来れるはずがない場所に来てくださるのです。そんなのありえないだろと思う方もあるかもしれませんが、この福音書が伝えたいことはどんな時にもイエスさまが私たちと共にいてくださるという喜びについてです。この喜びについて思う時、『讃美歌21』の533番「どんなときでも」が頭に浮かびました。讃美歌を開ける方は開いて歌詞を読んでみてください。歌詞を読みます。「1 どんな時でも、どんな時でも 苦しみに負けず、くじけてはならない。 イェスさまの、イェスさまの 愛を信じて。 2 どんな時でも、どんな時でも 幸せをのぞみ、くじけてはならない。 イェスさまの、イェスさまの 愛があるから。」

 作詞は高橋順子さんという方です。名前の横に生まれた年と亡くなった年が書いてありますが、見ると(1959-67)となっています。彼女はこの詞を作った時、骨肉腫という病気を患っていました。非常に苦しい闘病生活の中でこの詞を作り、7歳という短い生涯を終えて天の神さまのところに行きました。非常に短い生涯でしたが、病気と闘い、くじけそうになる小さいからだを励ましてくださるイエスさまを身近に感じていたのでしょう。イエスさまの愛を信じて生き、病気も痛みも苦しみもない天国に召されて行った順子さんの生き様が賛美歌として歌われ、私たちを励ましてくれます(参考・引用 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』日本基督教団出版局、1998年、331ページ)。幼い子どもが骨肉腫という重い病を得て病床にいるのですから、神も仏もないのかと普通は思います。でも順子さんは病床にあって復活のイエスさまが自分と一緒にいてくれること、イエスさまの愛があることを感じることができたというのです。私はこういうのがキリスト教信仰の奇跡だし、本当にすごいところだと思います。

一粒の麦の種と順子さんが私たちの心に蒔いた種

 順子さんは信仰の先輩として賛美歌「どんなときでも」を通して私たちに、復活のイエスさまがいつでもどんなときでもあなたと一緒にいてくださるよという大きな喜びを教えてくれています。まさにイエスさまが語られた一粒の麦のたとえの通りではないでしょうか。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」復活のイエスが弟子たちに現れるエピソードはヨハネによる福音書では先週の箇所と今週の箇所の2つあります。いずれも復活のイエスは突然、本来ならいるはずのない場所、来れるはずのない場所に現れて弟子たちに喜びを与えます。この福音書は私たちに対して復活のイエスを信じるあなたたちのもとにも必ず復活のイエスさまが来てくださり、悲しみや恐れ、落胆、徒労感という殻を打ち破る喜びを与えてくださることをイエス・キリストの福音、良い知らせとして伝えています。

弟子たちの愛すべき、また見習うべきところ

 夜通し漁をするも何もとれなかった弟子たちに復活のイエスは尋ねます。「子たちよ、何か食べる物があるか」。弟子たちは答えます。「ありません」。イエスは言います。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」「そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった」(5〜6節)。ここはすごい場面ですね。何がすごいでしょうか。私たちはたくさんの魚がとれたことに心を向けてしまいますが、本当にすごいところはその前ではないでしょうか。すなわちまだイエスかどうか分かっていない人に声をかけられて、「舟の右側に網を打て」という言葉に聞き従って弟子たちが素直に網を打つところです。イエスから声をかけられたのであればまだこの場面の弟子たちの行動が理解できますが、ちゃんと4節のところに「だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」と記されていますから、弟子たちはどこの誰かもわからない人のアドバイスに聞き従って網を打つのです。言っても彼らはプロの漁師ですよ。そういう人たちが夜通し漁をして何もとれなかったのに、どこの馬の骨かもわからない人のアドバイスを聞いて網を打つのです。皆さんの中でこれは自信があるという仕事、経験を持っている方があれば、その自分のいわば専門領域でうまくいかない時に口出しされたら聞く耳を持てるでしょうか、ぜひ自分だったらを想像しながらこの場面を考えていただければと思います。私だったら、もし説教作成が難航している時にその辺を歩いている人から「この箇所の意味はこうでしょ。それを話したらいいよ」と言われて素直に聞き従うのは大きな挑戦だなと思いました。皆さんも同じではないかと思います。

シェマァ、イスラエル!(聞け、イスラエルよ)

 イエスの弟子たちの愛すべき、また見習うべき特徴は素直さですね。人の言葉に耳と傾けて聞き従う態度、これは聖書全体を通して神さまが私たちに求めている態度でもあります。私たちが旧約聖書と呼ぶヘブライ語で書かれた聖書、ユダヤ教にとって唯一の正典であるヘブライ語聖書において最も大切な一文は何だと思いますか。これもクイズにしてみますか。結構難しいクイズですが、⑴「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」創世記1章の神の言葉です。⑵「聞け、イスラエルよ。」申命記における十戒授与の神の言葉です。⑶「見よ、わたしはあなたと共にいる」これも創世記28章にでてくる神の言葉です。さあどれでしょう。正解は⑵「聞け、イスラエル」です。いまでもユダヤ教徒の皆さんは1日のうちに祈りの時間があり、そこで十戒を唱えるんですがヘブライ語で「シェマァ(聞け)、イスラエル」という神の言葉を大切にしています。思えばイエスさまも最も重要な掟は何かと尋ねられた時、こう答えました。マルコによる福音書12章28節以下の物語です。お読みしますのでお聞きください。「彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。『あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。』イエスはお答えになった。『第一の掟は、これである。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。………」』イエスさまも最も重要な掟の最初に「シェマァ、イスラエル/聞け、神の民イスラエルよ」と言われました。

一番大切なことは「聞く」ということ

 聞くということがとても大切な態度であることを思います。特にプロの漁師たちが夜通し漁をしたのに魚がとれないというような行き詰まりを感じている時は尚更です。とはいえ世の中には行き詰まっている時、悩んでいる時に人を騙そうとする、悪い方へ誘惑しようとする声もたくさんありますから何を聞くかということに注意が必要ではあります。普段から聞き分ける力を養い、どの言葉が私たちを新しい命に導くのかを峻別して聞くべき声に耳を傾けて聞き従いたいと思います。その言葉は時にど素人から聞くことになるかもしれませんが、素人は口を出すなと頑なになることなく、いつもしなやかな心を持って「聞く」ということを大切にいたしましょう。復活のイエスは思いがけない場面で私たちと共にいてくださり、誰かを通していのちの言葉を届けてくださいます。祈りを捧げます。

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キリスト教会の礼拝で行われている説教と呼ばれる聖書をテキストにしたメッセージを公開しています。

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