インターン日記#17【今後について】

4日前、日本に帰りました。

成田空港にて


このユーザー名も、いつの間にかMinori in Japanになっていることにお気づきでしょうか?

外国人としての私

カウンターカルチャーショックは、驚くほどなかったです。
電車、街並み、ご飯を食べても、まるでこの八か月間ずっと東京にいたかのように、違和感なく溶け込むことができました。

しかし、トランジットのドバイの空港から成田空港に至るまでは、強烈な違和感を覚えました。
もうすっかりなくなってしまった感覚ですが、当時のメモに忠実に記していきたいと思います。


バルセロナから東へ向かい、アテネを過ぎたあたりから、ああもう私は旅行じゃなくて、どこか別のところに行くんだというなんとも悲しい気持ちになった。
ドバイについてから、日本人ぽい見た目の人がたくさんいて、マスクをつけていたり、深夜なのにばっちりメイクをしていたり、しかめっつらをしている人がいる。
私にとって、日本語は私と私のごく限られた人にしか通じない秘密鍵みたいなものだったのに、人の会話が何も意識しなくてもするすると入ってきた。というか、私が見た目のマジョリティになっていることにびっくり。

これまでは、小さい子供が"mamá! Que es esto?"って叫んだあと、親が超早口のスペイン語で話すので、全神経を集中させて聞いていた。ドバイでは、"mamá!”と叫んだあとの会話が、別に聞きたくなくてもすべて分かる・・・一体どういうことだ、私は今からとんでもない国に行くことになるらしい。

飛行機に乗って、キャビンアテンダントの人がいきなり日本語で話しかけてきた。どうして私が日本語が喋れると思ったの?

成田空港についてから、見たこともない長さの行列に並ぶことに。
それは、コロナの水際対策で日本政府が行っているVisit Japanというシステムをに登録しているか確認するためらしい。
明らかに日本語が分からない人に対して、日本語でつっけんどんに対応している姿をみて、これが日本の第一印象だとは思われたくない、と眉をひそめた。

私はそのサービスに登録していなかったので、健康診断みたいにたくさんの人に案内されながらある場所まで連れていかれた。道中も、明らかに人手が余っているのが分かり、日本の効率の悪さというか、人件費の無駄遣いを感じる。そこまでバカ丁寧に対応してくださらなくても大丈夫なのに。

やっと解放されたと思って次の場所まで進むと、よくしゃべるエスカレーターと警告だらけの張り紙に脳のキャパシティーがいっぱいになってしまった。飛行機の中で一睡もしなかった私には応える。



成田空港から出て電車に乗ると、あっという間に感覚が日本にいた時と変わらなくなり、逆にヨーロッパでの生活のことをすべて忘れてしまいました。
このnoteをみても、instagramを見ても、自分が何を食べていたのか、どこに行ったのか信じられません。
八カ月は、暇をつぶすには長すぎますが、何か一つのことをやり遂げたり、自分の本質が変わるには短すぎました。


今後について

さて、今後について3点記しておきます。

  • 大学で4年生をやりますが、どうなるかわからないです。

研究室に配属されているものの、研究テーマなど何も決まっていないため、どんな形で1年間を終えるか全く想像できません。
それでも、この一年は本気で勉強してみようと思います。ヨーロッパに滞在したおかげで、ある程度覚悟が決まりました。

  • 本が出版されます。

私を含む休学した学生の背景と、その体験をまとめた本が今年の夏出版されるようです。
私のことを知っている人は、ぜひお手元に取ってみてください。

  • IDIADA Japónで働きます。

これも散々スペイン語に文句を言ってきた私が言うのは意外かもしれません。実は、2月ごろからもうすこし続けたい、と希望を出していました。半年間の契約で、試験のアセスメントを手伝うことになりそうです。


プチ総括

私がこの一年を振り返って思うことをざっと述べます。
よくわからないプライドと自信とお金はすべて失いましたが、その代わりに今後一緒に働きたいと思う人、アドバイスを乞いたいと思う人にたくさん出会いました。

私が組織を離れる時には、いつも手書きの手紙を書いてお世話になった人に渡すようにしています。この会社でもそうなるだろうと思って日本から手紙セットを持ってきたものの、1月くらいまでは手紙で何も書くことがない・・・と絶望していました。
2月くらいからすこし頑張ってみたり、同僚にキャリアを聞いて回ったあたりで、もう少し一緒に働きたかったと思い始めたため、継続してインターンをすることにしました。手紙も一人一人の顔を思い出してかけるほどには知り合えました。

その思いが伝わったのかは分かりません。でも、仕事の最終日に、サプライズで同僚からとっても素敵なプレゼントをたくさんいただき、いきなりLinkedinやInstagramでのつながり申請がどっと増えました。すごくうれしかったし、やっぱりもう少し頑張ればよかった、楽しめばよかったと後悔しました。

日本に戻ってきてしまってから、本当に自分がヨーロッパにいたのが信じられないですが、SNSでメッセージをくれたり、頂いた色紙を読むたびに、私は本当にバルセロナにいたんだと思い返すことができます。

またそれぞれの人生を歩むことになります。私は日本で勉強するし、彼らはあの施設でクラッシュ試験を続けていると思います。絶対に会えなかった世界線が交わって、人生の中の一瞬でも時間を共有できて、辛いけれど刺激的な時間を過ごせたことは、死ぬまで忘れません。
本当にありがとうございました。


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