採るか採らぬか。新卒採用というビジネス

「そこまで悩むならうちじゃない」

6月末、今年の新卒採用で最も面接評価の高かった学生に私がかけた言葉だ。これさえ言わなければたぶん彼はうちに入社した。なぜこんな言葉が出たのかを、3ヶ月経った今、自分自身で分析してみたい。(書いた後読み返したらめっちゃくちゃ長くなった。このテキストはほぼ自分の備忘用になることだろう)

彼は優秀な学生だった。うちの他にも数社の内定を持っていた。聞くと、うちともう1社以外の内定は断ったらしい。いわゆるオワハラ(※1)をしてくる会社もあったようだ。私も彼をとても買っていた。能力的にはもちろん、性格的にもうちの社風に合うと確信があった。でも、私は気付いたら彼と2人きりの狭い会議室で、ホワイトボードにマトリクス図を描き、いかにうちよりそのもう1社の方が良いかを力説していた。その会社は最近某超大手ファッションEC企業を買い取ったIT企業である。ビジネス上の是非は私には分からないし興味もないが、彼に語ったその会社のチャレンジ精神に間違いはなかった。彼もきっと良い決断をしたと思っているに違いない。

※1 自社に決めないと内定を出さないと迫り、学生を囲うこと。

私は、特に大きくもなく小さくもない会社の新卒採用担当をしている。就活生から見れば人事の社員は神のように見える(と学生に言われたことがある)らしいが、大体の仕事は採用管理システムのチェックだとか社内の根回しだとか泥臭いものがほとんどだ。

そんな私には、採用での黄金パターンがある。ダイレクトリクルーティング(※2)を使って学生と会い、1対1や少人数で面談して、まずは私の魅力で引き込み、説明会に呼び込んだ上で採用に繋げるというパターンだ。こんなことを言うと目立ちたがり屋で自尊心の高い人間だと思われるが(実際それはそう)、2年前に採用に来る以前は営業畑にいたので、血湧き肉躍る曲者だらけのビジネスのフィールドに比べれば、学生と話すことはそれほど難しいことではないというだけのことだ。

※2 学生が自身の情報をサイトに載せ、企業がそれを見てスカウトする手法。マッチングアプリに近い。

ただ、学生と話すときに一つだけ注意していることがある。それは「絶対に嘘をつかない。誠実でいること」だ。これはビジネスでは当たり前のことだ。が、異動になって初めて参加した合説で他社の話を聞いたときに、うん年前に自分が就活しているときに感じた「大人たちの嘘」を今でも言っている人事がいることを知った。そしてそういう会社がいかに多いかも知った。これだけ情報開示が叫ばれている世の中で、まだそんなことをやっているのかと愕然とした。

私は学生から学歴が必要か?と聞かれれば「はい」と答えるし、どんな人を求めていますか?と聞かれれば「それは営業が客にどうしたらあなたに物を売れますか?と聞くようなものだ。うちの社員に会って自分で分析せよ」と返す。時には採用でタブーとされる他社批判もする(だって嫌いなもんは嫌いなんだもん)。その代わり自己分析や企業研究のメソッドは死ぬほどレクチャーするし、Vorkersなどの匿名社員のクチコミを必ず見ろと言う(私も調べたことがあるが、うちの社員はちゃんと良いことも悪いことも含めて本当のことを話している。あのサービスはスゴい)。そして自社の嫌いなところも全部話す。自分が活躍できなかった社内の環境の話や嫌いな上司の話ももちろんだ。

二度目だが、こんなことはビジネスでは当たり前のことだ。相手の信用に不安があれば信用調査を外部に頼むし、一つの嘘で顧客から信頼をなくして失注することもある。嘘でかどわかして受注したところで、後で嘘と分かればその客は永遠に去っていく。この世で信頼より重いものはない。むしろ、自ら率先して事実を開示した方が、顧客から出てくる情報のレベルが上がることもある。

世間では、就活を語る際、弱い学生と強い人事との格差がしきりに問題になる。人事にクリーンさを求める風潮が強い。ワンキャリの北野さんなどはその急先鋒だろう。それは一方ではそうなのだが、私から言わせれば嘘をつく人事はビジネスをしていない失格者というだけの話である。別に人事が必ずしもクリーンでいる必要はない。ただビジネスをせよということである。「自社の社風に合い、かつ優秀な学生を(人数通り)採用する」という新卒採用のミッションの中には、マーケットの信頼(=学生の信頼)を損ねるなという当たり前の論理が流れているはずであり、べきである。私が学生に対して誠実でいるのは、私が聖人君子のハッピー野郎だからではない。信頼を損ねれば仕事がなくなる、信頼を勝ち取れば全てが好転するというビジネスでやってきたことをやっているだけだ。つまり戦略的に嘘をつかないだけである。むしろどちらかと言えば就活について私は性悪説論者だ。(だって人事もクリーンじゃないけど学生もクリーンじゃないじゃん!嘘エピソード作ってくんじゃん!)

ではなぜそんな当たり前のことができないのか。この原因は人事が心のどこかで学生をナメているからということに尽きる。ビジネスを知らないからというわけではない。学生を下に見ているのである。嘘をついて(もしくは適当なことを言って)、カッコよく見せれば学生はホイホイとついてくると思っている。たしかに情弱学生はついてくるかもしれない。が、入社した後に嘘と分かれば逃げていくだけ。信頼を裏切っているのだからこれは当然だ。そしてそういう社員は、辞める間際にVorkersにあることないこと、時にはないことないことを書く。そうするとその会社の世間的評価が下がる。これも当然のことである。

学生と直接会って話せば秒で分かることだが、自分より遥かに優秀なヤツがいる。明らかに優秀で、こいつといっしょに働きたいと心から思えるヤツがいる。そこまででなくとも、ある部分では自分より優れている学生がほとんどだ。当たり前である。なぜなら学生も人間だから。それでも採用というフレームに入った瞬間、人事は学生をペロペロし始める。そして学生は人事を神だと崇め奉る。要は気持ちいいのである。学生と話していると自己承認欲求が満たされるのだ。正直この快感を私が感じていないかと言われれば自信がない。いわば麻薬。溺れたが最期、もう自力では戻ってこられない。(私も溺れかけそうになった時期はあったが、幸い離脱症状もなく抜け出せた)

このペロリン麻薬に溺れた人事が決まって口にする言葉がある。それは「学生目線」だ。それはどの角度のどの高さの目線なのか。間違いなく低い目線のことをいっている。優しい言葉に見せかけて、人間関係の本質から最も遠い言葉だ。膝を折って学生に合わせてやっているというニュアンスが確実に入っている。確かに学生は多くの場合人生経験は少なく、言うことも青臭い。ビジネスマンに比べてチョロいし、専門性も足りない。だが、それと優秀さとは全く関係がない。例えばシステム会社の営業がその辺の個人商店に販売管理システムを売り込みに行くとき、システムとはどういうものであり、なぜ必要で、どのような効果があるか、言葉を噛み砕いてわかりやすいように説明するはずだ。その上でその商店が抱えている問題点をしっかり聞くはずだ。これはナメているという状態ではない。むしろ相手に敬意を払った誠意ある行動だ。あくまでも営業と客の関係性の会話である。人事と学生もこのようなコミュニケーションをすれば良い。学生は働くことがどういうことか知らない。だから噛み砕いて教える。何を質問して良いか分からない。だからその質問はおかしいよと返してやる。ただそれだけだ。嘘をつくわけでもカッコつけるわけでもなく、ただリアルなビジネスの空気感を見せる。そしてその後、彼らの言葉に耳を傾ける。足りないところは足りないと言い、素晴らしいところは素晴らしいと言う。本当に単純なことだ。それで学生をリスペクトしていることが十分に伝わる。何度も言うが、彼らは優秀だ。

かなり話が発散したが、ではなぜ私は例の学生に、あの冒頭の言葉をかけたのか。それはただ彼に対して誠意を持って接したというだけである。「優秀な学生を採りたい」というこちらの都合だけを押し通せば、必ず反発があるとビジネスで知っていたというだけだ。ビジネスはwin-winでなければならない。あそこで私が彼を口説いた場合、当然うちはwin。だが彼がうちに入社することはwinかどうか分からない。もちろん他社に行くことが彼のwinだったかどうかも今となっては分からないが、私自身がその方が良いと思っているのだから、誠実にそれを伝えなければならないと思った。彼の就活の軸はチャレンジしたいというものだった。もちろん彼がうちに決めそうになったということは、うちもそれなりにはチャレンジングな風土ではある。だが、うちには確実に私という存在の下駄が履かされていた。彼の就活に寄り添い、しっかり話を聞いていた(合計6時間は話した。最後の面談を合わせれば8時間は話したと思う)私という存在が彼の中で大きなウエイトを占めていると思った。彼の就活の軸が例えば「楽しい人たちと働きたい」であればうちを推していたが、彼は「チャレンジしたい」のである。学生はまだ働く会社を決めたことがない。だから、ビジネス的に考えたら通常どちらを選ぶのかをマトリクス図で教えたのである(経営や財務が好きな学生だったので、釈迦に説法ではあったが)。この選択をしたことで、うちは(私は)loseだったかと言われればそうでもない。彼を採用した場合と同等の利益が出るとは思えないが、優秀な彼が周囲や後輩にうちの良い評判を伝えてくれること自体がとてつもないwinなのである。

改めて今、彼が来年入社する会社が表舞台で注目されている。彼がもしうちに決めていたら、今頃後悔したと思う。彼だけでなく私も。彼を採用することによってlose-loseになっていた恐れもあるのだ。逆に彼は今、再び自分に火をつけて、覚悟を持って社会に出て行こうと考えているはずだ。彼にとっては大きなwinになった。

結局彼を採るか採らぬかと考えたときに、採らぬを選択したわけだが、それによって今後の彼の人生がどうなるかは分からない。うちに来ていた方が幸せだったかもしれない。ただ、そんな先まで見通せないのもまたビジネスである。一つ言えることがあるとすれば、こういう素晴らしく優秀な人間の人生の岐路に自分がいて、彼らに影響を与えるビジネスができることはとても幸せなことだと思う。麻薬でハイになっている状態を幸せと呼べるだろうか?ただの現実逃避、もしくは麻痺である。マヒって動か(け)なくなっている人間が、採用マーケットにいかに多いことか。

人事はクリーンである必要はない。ただビジネスマンだという自覚を持てば良いのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?