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その「町おこし」、逆じゃない?

「町おこしのために何かしよう!」ってよく聞くけど、目的を立てる順番が逆じゃない? という話をします。
どちらかというと問題提起というか、疑問を投げかける内容です。

よく目にする町おこしの実態

自分は北海道や新潟や海外で暮らしてきた経緯があるのですが、その多くは田舎でした。やはり田舎というものはなんだかすたれていて、寂れている。そこで大人たちが考えるのが、町おこしです。

しかしいつ見ても町おこしというものは、身内だけで盛り上がっては、花火のように消えてしまいます。どこも大学生ノリで、知り合いの顔合わせとしか機能していません。町内会の祭りとなんら変わりがありませんでした。

それって、町おこし?

例えば、ご当地アニメの話をしてみましょう。


町おこしのためのアニメ作りに向け、「町にたくさん聖地(アニメのモデルになった場所)を作ってそこ目当てで人が来るようにしよう」と、現実にある建物や特定の場所をいくつも描き込みました。そうすると、近郊の人たちは馴染みのある場所が出ているので喜びます。
でもそれ以外の、縁もゆかりもない人たちにはまったく目に留まりません。それどころか描き方がうっとうしく感じる人さえ出てきます。

結局、外の人には理解できない身内ネタで終わってしまうことになってしまいました。


もちろん、本人たちが満足していればそれでいいのかもしれませんが、それって町おこしなのでしょうか。

「町おこし」は結果についてくる

元々"聖地巡礼"など経済効果を生んだアニメは、出来が非常に良くしかも多くの人に愛されたものから出てきた副産物です。

逆に言うと、アニメで町おこしをしようとするなら、そもそもの内容が非常に面白く、かつ人気にならなければなりません。それには能力や知名度だけではなく、運と莫大な予算がかかります。

もちろんご当地アニメが成功した例もあります。本当に魅力的な映像とストーリーが書けるのであればやってみる価値はありますが、思い付きだけで始めるにはハードルが高そうです。


つまり、目的と行動が逆なのです。

本気の創作物を作りたい、楽しいことをしたい、そこに周りの人たちは惹かれていき、気づけばたくさんの人が集まっていた。そういえば企画者はみんなこの町の人たちなのか、この町ではこんなにすごいものを作れるんだ……

そうやって町おこしは、結果についてくるものなのではないでしょうか。

じゃあ町おこしをしようとするのはダメなの?

もちろん、町おこし目的でイベントや行事を始めてもいいとは思います。が、そこにはかなりのアイディアと技術、もしくは資金が必要になってくるでしょう。
そこでしか見られない物であったり、大勢が一目で楽しそうと思えるものでなくては意味がありませんから。

冬にふんどし一丁で参加する祭りとか、大型企業が参加協賛するとか、特別なゲテモノ料理があるとか、規模がものすごくデカいとか。その地域の特産や名物がなければお金をかけて誘致するしかありませんし、当たるか外れるか運しだいな一種の賭けになってきます。

身内だけでは限界がある

特に人口の少ない場所では、地産地消だけでも限界があります。もっと周りを巻き込まなきゃ。そのために、まずはコンテンツありきの長期的な計画が必要なのではないでしょうか。

やりたいこと、楽しそうなことを始める

近くの人が注目し始める

人が集まってくる

地域外へと噂が広まる

結果的にその地域が活性化する

こう見てみると、近年のSNSにおけるバズと似ていますね。

まとめ

町おこしはそれが目的で始まるのではなく、もっと別の、夢とかちょっとした行動が広がって町おこしに繋がるのでは? という話でした。

それでも町おこしをするのなら、資金や時間を多く費やす覚悟、失敗してもくじけない心が必要なのかもしれません。

実際起きた成功や失敗の体験談を直接聞いてみたいですね。

最後に、ちょっとした小話

そういえば、こんな話がありました。

とあるゲーマーが格闘ゲーム大会を開きました。彼は「このゲームを盛り上げたくて開いた」と言いますが、ゲストに来ていたプロゲーマーは問いただします。

「本当は自分が楽しみたいだけなんじゃないの? ならそれでいいじゃん」

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