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学歴厨、憂うことなかれ

高校時代の部活動の後輩に3年浪人している男がいる。

京都大学を目指しているらしい。僕が大学に入った時にキャプテンとなった彼は「先輩、大学に入っても頑張ってください!僕も受験頑張ります!」と言ってくれた。嬉しかった。

そんな彼は僕が大学を卒業する時にまだ受験をしていた。

何が彼をそこまで駆り立てるのか不思議だった。大学の良し悪しは多少なりともあるのかもしれないが、ある程度勉強して入った大学ならばそんなに大学生活に差はないように思えた。

仮に就職活動等などの将来の不安を彼が抱えているとするならばそれは大きな誤解であるように思えた。売り手市場の就職活動業界において3年浪人してまで得られる学歴と大学入学後の刹那的な努力はそう大差がないように思える。

学歴や就活のためでないとすれば「京都大学」という大学がそもそも彼の中で強烈な魅力を放つものであり、4年かけてまで手に入れたいということなのだろう。

入ったこともないのに??

何年も浪人を重ねてしまうような人間は目的と手段が倒錯した結果、外界に触れないまま悲しいモラトリアムを過ごすことになる。もちろん僕個人の偏見だ。

ただ、明確な競争社会は歴代の受験生たちを強烈に魅了し、今も昔も巨大なマーケットとなっている。

勉強方法や教材、また勉強をする過程自体がパッケージ化し、あらゆるコンテンツを通して売り出されていく。受験はもはや金を生み出す一大イベントだ。

受験が終わり、子どももいない身からするといったいこの熱狂はなんなのかという疑問が生まれる。受験が失敗しようが成功しようが今後の人生そうは変わらないと思ってしまう。

自分自身、高学歴の部類に入るので鼻につく話ぶりになるが、受験のためにしっかりと教育を受けたこと自体は非常に大きな財産になっているが、大学に入っても、入っただけでどうにもならないような人間は多数いる(まあ私も含めて)。

浪人のよくないところは人生の歩みが止まってしまうことだ。大学に行って社会にでればいくらでも選択肢は広がるはずなのに、「現状の学力で行ける大学か、一つ上の大学に行くか」という選択で何年も月日を費やすのはあまりにももったいない。

だから受験なんてとっととやめて社会にでろ!!

みたいなことを阿部寛風の髭面大男が人差し指を私の鼻に突き付けて言ってくる。まあ、そういう夢を浪人してた時はよく見ましたね。

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