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日本記者クラブ記者会見 アメリカ訪問を終えて 昭和天皇・香淳皇后両陛下 1975年10月31日・皇居「石橋の間」
▽ 戦争責任と原爆とテレビ番組と
 
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中村康二(ザ・タイムズ):
天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
 
また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
 
天皇陛下:
そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
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中村記者はこれ以上は追求しなかった。すぐに、司会の渡辺誠毅理事長が、まるでとりなすように、「日本に復帰してきた沖縄を、ご訪問になるご希望がございますでしょうか」と質問している。
 
以降昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、陛下はどお受け止めになりましたでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
 
天皇陛下:
「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」
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天皇陛下:
私が一番楽しみにしておるのは、前にも言ったように、国民が努力して、日本の発展に貢献しておることであります。また公務の余暇には生物学を研究して楽しみにしています。テレビはいろいろ見てはいますが、放送会社の競争が(会場に笑い起こる)はなはだ激しいので、いま、どういう番組を見ているかということには答えられません。(場内爆笑)
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合衆国訪問と記者会見の様子を3分10秒にまとめたビデオがある。原子爆弾とテレビに関する質問が選ばれている。この対比がまさにグロテスク。よく録音された笑い声も演出のひとつになっていた。

1975 昭和天皇初訪米&初公式記者会見

昭和天皇の戦争責任論
■天皇の戦争責任
井上清 著

昭和天皇裕仁の戦争責任は明白である-天皇制の解明が日本社会の本当の民主化へ通ずるという問題意識から研究を進め、信頼できる史料に拠って中国侵略戦争から対米英戦争、敗戦に至る過程での昭和天皇の役割を明らかにし、その実像をリアルに描き出した。この問題を考える際の最も基本となる文献。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 天皇の戦争責任(一九七五)(天皇の権力および権威と戦争責任

  • 国務大臣・内大臣・陸海軍首脳の任免と天皇

  • 内政外交における天皇のイニシアチヴ

  • 天皇裕仁と中国侵略戦争

  • 天皇裕仁が対米英戦を決定した

  • 天皇の戦争指導と降伏における役割

  • 天皇裕仁の戦争責任は明らかである)

  • 『昭和天皇独白録』に見る裕仁天皇(一九九一)

記者会見における天皇ヒロヒトの発言が問題となることはなかった。


#アンネの法則の山下安音です。私のライフワークは、平和学研究とピースメディア。VISGOのプロデューサーに就任により、完全成果報酬型の教育コンテンツと電子出版に、専念することになりました。udmyとVISGOへ動画教育コンテンで、世界を変える。SDGs3,4の実現に向けて一歩一歩