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「質を無視して数だけ求めると大怪我するよ」ということを回りくどく書き連ねてみる

数が増えると、反比例して全体の質感は低下するのが世の常。

少人数で活動していた時は秩序が保たれて楽しかったけど、関わる人の数が増えるにつれて、意思疎通が難しくなったり調和を乱す人が出てきたりでトラブルが増えた。そんな経験、学校とか会社とか地域活動とか応援している有名人のファン層など、誰しも1つ2つ思い当たることがあるはず。

にも関わらず、世の中は『数が多いこと』が評価軸になっていて、事業の課題解決やマーケティング・ブランディングの結果としても『数の多さ』または『数の増加』を求められることがとても多い。数字は『多いか少ないか』が誰の目にも明らかなので判断しやすいからだろう。

対して『質』で評価されることは意外と少ない。強度とか除菌率など『品質の高さを数値で表せられる』場合もあるが、それは質を決める要素の一部分に目を向けた『数』による判断なので、少し異なる。

『全体的な質感』の判断となると明確な正解が無い。魅力的かどうか、安心できるかどうか、満足できるかどうかなど、感覚やセンスに委ねられることがほとんど。人の好みは千差万別。ある人にとっての高品質が、他の人にとっても同様の価値だとは限らない。なので『質』での判断となると、専門家や審査員など「この人が言うなら間違いない」という評価によって世の中が納得するという場合が多い。

反対に『質が悪い(低品質)』というのは、その存在によって不快に(残念に)感じる場合。こちらも感覚的な話だが、マイナスな感情を生むポイントは他人と共感できる部分が多く、質の良さに比べれば共通認識になりやすいかもしれない。

このように『数による良い悪いの判断』よりも『質による良い悪いの判断』は難易度が高い。とはいえ、個人的には『数』と『質』どちらが重要度が高いかと問われたら、圧倒的に『質』である。質を高める、または質を維持できている上で、必要であれば数の多さも求めるという順番。

しかし世の中は『質』を意識せず、ただただ『数』だけ追い求める(数だけで判断する)風潮が強い。数が増えて喜んでいても、それによって質を下げて苦労する結果が待っているとしてもだ。

一度ここで冷静に『数と質の関係性』について整理してみたいと思う。

ちなみに、数を判断基準とすること自体を否定するものではない。何を目的とするのか? その判断基準で本当に良いのか? の指針を擦り合わせながら、質にも出来るだけ意識を向けてもらえるように、自分が誰かに説明しやすくなるための整理である。

数が増えても質を保つために必要なこと

先にも述べたように、数が増えると基本的には全体的な質感は下がる。と言いつつ、数が増えても質が保てる状況ももちろんある。どうすれば保てるのだろうか。

① 明確なルールを設けて従わせる
わかりやすい例は、法律。守らないと罰則があることで、その国や地域に属する人たちはルールを守る。それにより人の数が増えてもトラブルをできるだけ避けて質(秩序)が保たれる。

② 管理コストを増やす
イベントが回数を重ねるごとに規模が大きくなるのに併せてスタッフの数を増やしたり、モノの生産量を増やすにあたり機材を増強したりチェック項目を増やしたりするようなイメージ。人や設備などにコストをかけることで質を保つ。

大きく分けて上の2パターンではなかろうか。裏を返すと、明確なルールを設けず、管理コストもかけない状況だと、数が増えれば増えるほど全体的な質感は低下していく。

数が増えることでむしろ質が上がる状況

逆に、数が増えることで質が上がる状況もあったりする。思いつくものをいくつか挙げてみる。

①  AIの機械学習やデータ分析
AIは(どう学習させるかの方向性は一旦置いておいて)学習データが増えれば増えるほど賢くなって判断の精度が上がりやすい。また、データ分析も、サンプルとなる情報の数が多ければ多いほど精度の高い分析が可能になる。

② オンラインで提供されているサービス
配信サービスなど、主にオンラインで提供されているサービスは、ユーザー数が多ければ多いほど提供されるコンテンツのボリュームが増えたり、より多くの人のニーズに応えることができ、サービス自体の継続にもつながる。

③ 個人の成長
経験が多くなればなるほど、個人としては着実に(時に大幅に)成長する。読んだ本の数や旅した場所が多ければ多いほど知見は増えるし、身体で表現したり道具を扱ったりの技能も、やればやるほど上達する。

データ・オンライン・個人に関するものなら、数の多さが質を高めることに繋がるパターンが多い印象。裏を返すと『大勢の人がリアルで絡む状況』となると、数が増えることによって質は下がりやすい。

バズることを目指して良い状況

再生回数、いいね数、リツイート数、コメント数など、SNS系では『バズる』という数の多さで評価される機会が多々ある。誰も知らないのは存在していないのに等しい。どんな商品やサービスでも、そもそも知られていないと始まらない。なので、多くの人の目に触れること自体は悪くないと思う。

ただ、バズる=急激に話題になったものは、急激に飽きられやすい。バズったとしても2ヶ月もすれば誰も思い出せないなんてこともザラだ。表面だけ強火で一気に焼いても、中まで熱が浸透していない。表面だけ焦げて冷めた料理には誰も見向きもせず、それまでの努力が水の泡になるレベルで廃棄物化してしまう。

と言いつつ、バズることがプラスに働く状況もあるはず。どんな状況が当てはまるのか考えてみよう。(もちろん、バズる=良い方向で話題になるということが前提の話)

① 期限つきの話題づくり
1回限りのイベント開催、期間限定商品の販売などであれば、まずは知ってもらう、そして興味が湧いて触れてもらうという流れを作るためにバズさせることを狙うのは大いにアリだろう。飽きられたとしても、どのみち「その時限り」なので問題になりにくい。

② 2の手3の手が用意できる
バズって一気に注目された後にも続けて放てるアイデアがあったり、実際にカタチする経済力があったり、急激に増えた客(ファン)に対応できるだけのコスト(人・予算)がかけられる状況であれば、自分たちの存在を知ってもらう上でバズることを狙うのは充分にアリだろう。

端的に表すと「一過性の賑わいでOK」なら良し。継続性(持続性)を求める場合には、安易にバズるのは諸刃の剣、というか、むしろ危険。

数だけ追ってダメになる具体例

結果を数値で表し、その数値が高ければ高いほど評価が高まるというシンプルな基準が広く共有されているが(一部では数値が低いほど評価が高まる場合もあるが)、この『数だけを追い求める姿勢』には大きな落とし穴が潜んでいる。

イメージを掴んでもらいやすいよう、さすがに名称は伏せるが、自分の身近なところで過去に起きた例をいくつか挙げてみようと思う。

① 利益だけ追い求めた会社
とある会社が、利益を追い求めて数値チェックによる判断のみで経費をガシガシと削減した結果、従業員の満足度や士気が犠牲となり「待遇が悪くなった」という印象で退職者が増えてしまい、むしろ業績が低下してしまった。目先の数だけで判断したテコ入れによって、持続性を大きく損なってしまったという例である。

② 流行りに乗ったSNS発信者
SNSフォロワーが2000人くらいの規模で、身近に起こった出来事をユーモアを持って発信し、いいねやコメントも多くて賑わっていたアカウント。フォロワーに伸び悩んでいたからか、ある時から急に「流行りに乗っかる発信」がメインとなった。見つけてもらいやすくなったからか一時期フォロワーは5000人規模までグンと増加。しかし、どうしても二番煎じっぽさや無理してる感が出てしまってか、早い段階で頭打ち。むしろ、元々のファンが「そうじゃない」と離れてしまった。流行りに乗っかって増えたフォロワーもミーハーだからか、どんな投稿をしても反応が薄い。発信者も気力が失せたのか、やがて死にアカウントになってしまった。フォロワーの数は増えたけど、良好な関係性を失ってしまった例である。

ここまでをまとめると

前提として
◆ 数が増えると管理が難しくなる
◆ 管理が行き届かないとトラブルなどが発生しやすくなり全体の質感は低下する

数を増やすことが有効なのは
◆ 増やすことで、その先に『質を保つ(向上させる)』という明確な目的がある場合
◆ 短期的で一過性の『負の遺産を残さない』結果を求める場合

数を増やす際に気をつけるポイントは
◆ 実際に増えた場合に、質の低下を防げるルールや管理コストを用意できるか

とにかく避けなければならないのは
◆ 質を無視して数だけを追い求める状況

序盤で自分は数と質なら圧倒的に『質』のほうが優先度が高いと述べたが、誤解を招く可能性があるので少し訂正したい。質を高めるための手段として、まずは『数』の優先度を高める場合もある。とはいえ、その場合もやはり『質』は無視できない。

繰り返しとなるが、数の多さを求めること自体は全く否定しない。数を獲得するからこそ見える景色があるのも確かだ。

「そもそも、どんな質を目指しているのか」
「数が増えたことで生まれやすくなる弊害には対処できるのか」
「数が増えることで、目指している質は得られるのか」

闇雲に数だけ増やそうとするのは危険。質を意識せず数を増やそうとするのも危険。

理想的な順番
① 質を意識する
② どんな質でありたいかイメージする
③ その質を得る(保つ)ために最適な規模感を考える
④ その規模感を目指す

少し乱暴な言い方をすると、数で判断するのは単なる『確認作業』でしかない。質は、全てに共通する明確な答えは無い分、誰かのアドバイスを煽ることもあるだろうが、最終的には自分で考えて自分の感覚で判断するしかない。その判断には『責任』も伴うが、質にアンテナを向けていれば、その感度は着実に磨かれて精度は上がる。

数で判断する際には、その先に求める『質』の部分も含めて判断する。そんな流れが世の中に増えるといいなと思っている。これは僕の中では『仕事の質を上げる→結果的に働きやすさや暮らしやすさの質が上がる』という目的があっての発言である。

あなたが数を増やそうとしているのは、なぜ?

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