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0429 - 母の味

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少し前にKindleで合本版がセールだったため購入したこともあり、久しぶりに「ミスター味っ子」を読み返している。

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読んだことある方なら御存知かと思うが、途中で「亡くなった母の味を再現したい女の子からの相談にのる」というエピソードが出てくる。

母が亡くなり、父と娘の2人暮らし。その娘が一生懸命料理を作り、父も「おいしいよ」と食べてくれるけど、実は一口だけで残りを捨てていることが判明。「お母さんの料理は本当に美味しかった」と寂しそうに語る父。なんとかして母の味を再現して父に喜んでもらいたい娘。

母の尊さと父への想いが沁み入る、涙無しでは読めない話だ。

我が家も母はもういない。干支一回り以上前に亡くなっている。ミスター味っ子を読み返したことで思い出したのだが、母の一周忌で親族が集まった場で、身内のお姉さんが僕たち家族にこんな質問をしたことがある。

「お母さんの料理といえばコレっていうの何かある?」

その時、僕の父も、兄も、弟も、なんなら僕も、答えた料理は同じ「餃子」だった。

夕方、学校から帰ってくると台所から漂ってくる匂いで「やった!今夜は餃子だ!」と分かりテンションが上がる。

我が家の餃子は母の手作りだった。ひき肉を中心とした材料をこねて餡を作り、母が家族分を手作業で皮に包んでくれて、フライパンで一気に大量に焼く。肉が多めでぎっしりと餡が詰まった餃子。食べると肉汁がジュワ〜っと出てきて、やたらと旨い。

白状すると、母が生きている間は、外食で餃子を注文しても美味しいには美味しいけど、中身が少なく感じてしまうこともあり、我が家の味を超えて満足できる餃子に出会えた試しが無かった。さすがに今は美味しい餃子屋さんも沢山知って満たされているが、子どもの頃は、母が作ってくれる餃子が何よりの御馳走だった。

あの時、家族全員が「餃子」で一致したのは、なんだかとても嬉しい。そのくらい母の餃子は美味しくて大好きだった。

たしかに「味の記憶」って深く残るように思う。単に食べた時の感想だけではなく、そこの到るまでの助走(漂ってくる香り)や食べる時のシチュエーション(空間・人間関係)も記憶に大きく関わるとは思うが、それらを「味」は全てまとめて1つにパッケージングして残してくれる。

有名な「うみがめのスープ」の話しかり。そこでしか体験できない(体験したことのない)味の記憶ってすごく残るし、再び味わえた時に「そうそう、これこれ」と鮮明に蘇ってくる。そんなことを、ミスター味っ子を読み返しつつ改めて感じた。

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