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日本語の起源は解明された Part1

半導体物理学者が解き明かした日本祖語
その実にオーセンティックな謎解き
言語学のドグマから解放されれば、日本語の起源は明確だった!

いろは/五十音を構成するひとつひとつの音節が日本語の原始言語(祖語/プロト言語/proto-language)であることの発見について述べた 小林哲 著・"日本語の起源 Japanese Language Decoded (2022年出版)"の概要を紹介します。


*緒言

  日本語の音節「あ」「い」「う」「え」「お」…の各々には、単語としての確定的で固有の意味があったのです。日本語には、原始の言語がいわば暗号のように織り込まれていることを明らかにできました。この発見は自然言語の認識に大きな変革をもたらすことを期待させるものです。

  今回の発見は、古くから用いられている単語・いわゆる”やまとことば”(擬態語/擬音語/オノマトペ/onomatopoeiaも含む)の数々を集積して、それらの持つ概念と根源的な言語的意味内容(セマンティック・コンテンツ/semantic contents)を解析することで成されました。同一の音節を含む多数の単語に共通する概念を丹念に探索し、音節に対して帰納的に意味内容をあてはめ検証する作業を、矛盾の無い集束解を得るまで繰り返し、確定的な意味内容を導き出すことに成功しました。得られた音節の意味内容は時制も品詞の区別も無い、しかし、厳密な意味を表現しており、まさに祖語/プロト言語であると判断するに充分な合理性を与えるものです。

  日本語話者の意識において、発声の最も基本的な構成単位は音節です。その音節が原始的な単語としての機能を持ち、複数連なって文章的な機能を担う”やまとことば”を構成していることは、日本語の原型が五十音の一音節一音節を意味のある単語として話す民族によって創られたことを示唆しています。さらに、個々の音節に割り当てられた意味内容の固有性と、文章的な機能を持つ”やまとことば”を構成する特徴的な形態から導かれる結論は、日本語の孤立発生/独立起源です。
  アフリカ大陸を旅立った現生人類がユーラシア大陸を東方に移動すると同時に、発声によるコミュニケーションの手法も伝播したという仮説は、少なくとも日本語には当てはまらなかったのです。人類の辿った歴史の中で、音声言語は消失と再創出があった、すなわち多元発生があったことが強く示唆されます。

  五十音を構成する各々の音節の意味内容を特定できたことを利用して、日本語のプロト言語の辞書(レキシコン/lexicon)を作り、諸説あった単語の語源を解き明かすと同時に本論の正しさを演繹的に確かめました。

  音声認識、自動翻訳、人工知能などの自然言語を扱う情報処理技術分野では、日本語だけでなく世界各地の言語について語彙用例集(コーパス/corpus)の編成が盛んに行われています。言語の機械学習に用いる語彙の根拠の確かさは、学習結果の質に直接影響を与えます。しかし、日本語は他の言語と大きく異なり、その起源がはっきりしていませんでした。言語の起源がはっきりしないことで、語の成り立ち(語源)も曖昧なままで、根拠の薄弱な俗説が入り乱れ、さらにいわゆる都市伝説も紛れ込むことで、自然言語処理技術をミスリードするリスクが高い言語であったといえます。本記事を通じてアラ探しをしているように、従来から使用されている辞書ですら多々改訂の必要がある事が分かってきました。

  本記事で記す理論を通じて、日本語の基本構造についての理解を得られるようになりました。日本語の最も基本的な構成要素を探り当てたことで、自然言語に関わる情報処理技術分野に多大な貢献をできるだけでなく、考古学、民俗学、文化人類学にも大きな価値を提供できるものと考えています。

  古代に生きた我々の祖先が、人間が「唸り」=「ウ」[u]を「発する」=「イ」[i]ことを「言う」=「イウ」[i-u]と定め、動物の唸り声との決別に成功したことも推察できるようになりました。発声による表現方法を情報伝達に使えるほどに洗練させ、集団の中で共有し、伝承するために、わずか数十個の限られた数の発声にエッセンシャルな物、現象、物性、感覚を割り当てて、日本語の原型である原始言語を発明したことも分かるようになってきました。

※本記事では、発声の歴史的・地域的なバリエーションや発声の変遷に対する解釈の違いによる混乱を避けるために、発音記号を用いずにカギカッコ付きのローマ字で発音を表記することにしています。

※「やまとことば」の「やまと」は厳密には、紀元後に日本列島に移入し西日本に勢力を拡大した民族のことを指しますので、それ以前から先住している民族の言葉を「やまとことば」と表現するのにはやや難がありますが、本記事では便宜上、古代から使われている日本語を「やまとことば」と総称し、他言語の影響を受けた語も含む「古語」と区別することにします。

※ 特許登録済
特許7125794「情報処理システム、日本語の意味内容解釈方法及びプログラム」
Japanese Patent No. 7125794 (P7125794) "Information Processing System, Semantic Content Interpretation Method for Japanese and Program"

*五十音は日本祖語

  日本語を流暢に操ることは、長期間にわたって日本語を使う環境に身を置いていたり、幼少期から慣れ親しんでいたりしないと難しいものです。単語が何重もの入れ子(ネスト)構造になっていて複雑なうえに、日常会話で頻繁に用いられる擬音語や擬態語の類も多数あり、さらに、古くから外国語の影響を強く受けているために外来語が多いことも理由として挙げられるでしょう。中国発祥の文字をネイティブの発声の”当て字(借字)”に用いて発達させた表音文字としての”かな”と、本来の用法に近い表意文字としての”漢字”の混用も特徴的です。発声上でも、漢字に音読みと訓読みがある上に、人名訓等の当て字にも寛容なので、ネイティブスピーカーにとってさえも難読な字が少なくありません。歴史的仮名遣いがもたらす発音の混乱も無視できません。

  日本語の成り立ちを探る作業で、重要な鍵になったのは、日本語の発声の特徴です。子音と母音(言語学では音素/phonemeと呼ぶ)の組み合わせ方が基本的に”1つの短い子音+1つの短い母音”あるいは”1つの短い母音単独”の単純な構成(言語学では開音節/open syllableと呼ぶ)であるという強烈な特徴です。つまり、日本語は音節を明確に区切って喋られる言語だということです。多くの日本語話者には、語尾が子音の英単語でも、不要な母音を付け加えて終端させてしまう傾向があるのはそのせいです。さらに、短子音の後に短母音を続けて音節を構成する日本語の特性に従って、二重子音を含む英単語の子音間にも不要な母音が付加される傾向があるのも、そのせいです。”English”が[in-gu-li-shu]と発音されるのは、日本語話者にとっては自然なのです。

  ところで、文字を持たなかったとされる古代日本において、ネイティブの日本語の発声に”当て字”として漢字の発音が当てはめられて”万葉仮名”が登場したことはよく知られています。ここで注目したいのが、”1つの音節”に対応して漢字”1文字”が1対1で当てはめられたことです。このことからも、古来、日本人にとって個々の音節を区切ることに重要な意味があったことがわかります。

  具体的な説明は後述しますが、例えば「カガミ」と言う発声が当てはめられる「鏡」や「屈み/跼み」という言語表現は、現代語では物としてのミラーや前屈動作を意味する”単語”であると理解されています。しかし、今回の発見では、この語を構成する三つの音節「カ」[ka]、「ガ」[ga]、「ミ」[mi]は、それぞれが「苦痛/不快」、「前屈/オーバーハング」、「見る/見える」を意味し、三つの音節を連ねて「つらいほど前屈みになって見る」を意味する文章的な言語表現であることが解き明かされました。一つ一つの音節が言語としての固有の意味を持っていることを発見できたのです。音節をさらに音素にまで分解すると、例えば子音[k]、[g]、[m]等は単独では言語としての意味を持たないこともわかりました。前述のとおり、”五十音”や”いろは”と呼ばれる日本語を構成する音節群は、基本的に”1つの短母音”単独、あるいは”1つの短子音+1つの短母音”の組み合わせで出来ていますので、各音節は言語としての意味を持つ最小単位(言語学では形態素/morphemeと呼ぶ)であることが解き明かされたのです。つまり、日本語の言語としての意味内容を表現する最小単位としての形態素は、従来の考えに基づけば個々の単語であったのですが、実は、個々の音節であることが明らかになったのです。

  中国語の基盤を成す個々の漢字[Hànzì]は、基本的に中国語固有の音節に対応している上に、自然言語を構成する意味の単位を成しています。本書で記す様に、日本租語の形態素が五十音を構成する”音節”であったことと共通する事実です。一つの単語と一つの形態素が対応するので、言語学の分類で言うところの孤立語(Isolating language)の特徴を持っているわけです。その上、形態素と音節が1対1の対応をしている(さらに、時制や品詞が臨機応変に適用され明確でないことも共通している)ので、日本語の成立と中国語との因果に飛び付きたくなります。しかし、このような言語の分類は、単に学問のための便宜上のものです。類型的に似通っているからといって、言語進化で同じ系統に属すると結論するには無理があります。何故かと言うと、著書で縷々記述する様に、個々の音節の発声や対応する意味内容は日本語の五十音に固有のものだからです。万葉仮名の成立過程では、文字の発音に拘泥しているものの、文字の意味には頓着していないことが容易にわかります。単に当て字として漢字が利用されたのは、文字と音節の1対1対応関係のみに注目した結果でしょう。”形態素/短音節の一意的関係性”という形態上の類似性は、原始言語に共通する特性である可能性も考えられます。

  これまでは、日本語のいわゆる擬態語や擬音語、オノマトペを構成する音素は、曖昧ながら人間の感性や音感と結びついて選択されて慣用的に使用されてきた、という考えが日常生活でも学問の世界でも浸透していました。しかし、後述する様に”やまとことば”の単語と同様に、オノマトペを構成する各々の音節も、確定した固有の言語的意味を持つ形態素であることを明らかにできました。日本語のオノマトペを構成する音素は人間の感性が関連しているのでもなく、オノマトペが持つ音感で人間の感覚や心情、物の様子や物性を表現しているのでもないことが解ってきました。音節は原始言語の単語に相当し、それを構成する音素の選択は音感とは無関係だったのです。音節を連ねて構成されるオノマトペも原始言語の文章に相当する言語表現だったのです。例えば、「フワフワ」は「踏む+溝+踏む+溝」という明確な意味を持った文章的な言語表現だったのです。
  古くは、18〜19世紀の国学者による”音義説”と呼ばれる「日本語の音にはそれぞれ意義があるのではないか」という議論がありました。元々は言語の要素解析的な試みだったのではないかと推察できます。しかし、この議論も結局は音韻と語意/語感の相関を探る作業に終わり、個々の音に対応する確定的な言語としての意味内容を解明する作業に展開することはなく、”言霊(ことだま)説”のような精神論的な宗教に結びついて破綻してしまっています。現代のオノマトペに関する言語研究が、人間の感性の発露として音韻が選択された(つまり語感がいいから決まった)という誤った先入観に囚われて、逆の因果関係すなわち、オノマトペに対して抱く語感が話者の後天的な言語学習の過程で刷り込まれ培われ醸成された感覚である、ということには想到しえなかったのと極めて類似しています。

  これまで実に数多くの「日本語の起源」に関する論文や書籍が著されてきました。しかし、そのいずれも論拠が曖昧であったり、自説に都合のいい情報のみを集めた牽強付会な理屈に基づいたものです。古くから唱えられている他言語起源説は、その最たるものです。世界最高レベルといわれる科学ジャーナルに掲載された国際研究グループによる最近の論文であってさえ、注意深く参考資料を読むと、論拠としているヤマトコトバの語源自体に根拠がありません。いわゆる語呂合わせによる系統分類学に過ぎないことは明らかです。メディアに多く取り上げられた割には、結論として「よくわからない」ということしか述べられていないのは必然でしょう。
  筆者が、古代の日本人が固有の言語を形作る過程で発明した五十音、ひとつひとつが固有の意味を持つ単語であるということを見出せ、個々の意味内容を確定できたのは実に幸運でした。

*「ヤマ」は「三角形の地」 「ハマ」は「地の果て」だった

・【ヤマ】【ヤト】【トロ】

  本記事で述べる”日本語に隠されたコードの解読”のきっかけは、山[ya-ma]、浜[ha-ma]、沼[nu-ma]、火山の古語の浅間[a-sa-ma]等、地理に関連する多数の名詞に共通の[ma]という音節を見出したことです。
  これらの単語群の意味内容を貫く共通概念が「大地/土地/地面/地表」だということ、さらにヒスイ等の玉「タマ」[ta-ma]もこれらの類型であることがわかり、「マ」[ma]の言語的意味内容=セマンティック・コンテンツが「鉱物」も含む「Earth/地」なのだと解ったのです。この音節「マ」[ma]の意味内容を解読できたことで、次々と雪崩を打つ様に他の音節に固有の意味も解読することに成功したのでした。

  この謎解きの作業はまず、[ma]という音節を持つ”やまとことば”を集めることから始められました。集められた語に共通する概念を抽出して、音節の言語的意味を仮定、各単語にフィードバックして、矛盾の無い意味が表現されるか確認する試行を繰り返すことで、古代人が定義した[ma]という音節の意味を解読できたのです。
  [ma]と組み合わされて[ya-ma]を構成する「ヤ」[ya]という音節は、単独で「矢」や「屋」また「谷」にも見出せます。矢の先端に取り付けられる鏃(やじり)の鋭利な尖端を持つ形状と先史時代の竪穴住居が持つ円錐状の家屋の外観から、三角形や錐形が持つ「三角形状の射影」が共通概念であることが強く示唆されました。
  しかし、「谷(や)」はどうでしょうか?「三角形」の概念は見いだされるでしょうか?実は関東地方では「谷」は「タニ」を意味するのではなく「谷戸(やと)」を意味するという点が重要です。「ヤト」とは、なだらかな丘陵の間に形成された居住可能な扇状地を意味します。現在でも、東京や神奈川地方の地名に多くの「谷戸」を見出せます。小川が形成した平坦な沖積扇状地の緩斜面を上ると、やや高い位置に居住地「里(さと)」が有るのが谷戸の典型的な形態です。矢や屋と同様に、「ヤト」も扇状地の形状のイメージを通じて「三角形」の概念を内包していることが分かります。音節[ya]と[ma]から成る語[ya-ma]は「三角形の地」を意味していたのです。
  さらに「ヤト」の「ト」[to]は、長瀞(ながとろ)や登呂(とろ)にも見出せる[to]で、「平坦地」の意味と解読できたことから、[ya-to]は「三角形の平坦地」を意味するのだとわかりました。沖積扇状地の地形と見事に整合します。ちなみに、「トロ」の「ロ」[lo]は「社(やしろ)」[ya-shi-lo]や「白/城(しろ)」にも見出せる[lo]と同じで、「岩盤/岩塊」の意味であると解釈できます。つまり、「トロ」[to-lo]は「平坦な岩盤」を意味内容する、長瀞名物「岩畳」のことであると理解できます。実にわかりやすいですね、もう謎解きが止まりません!

・【ヌマ】【ハマ】【アサマ】【サト】

  このように、多くの”やまとことば”の語彙/用例を集積してコーパス/corpusを作り、各単語の概念と矛盾の無い言語表現ができる一つ一つの音節の意味内容を同定した結果、音節「ヌ」[nu]は「粘性/ぬかるみ/泥」、「ハ」[ha]は「端/縁/時間的・空間的な終わり」、「ア」[a]は「熱感」、「サ」[sa]は「のぼる/差出す/差し渡す」を意味していることが解読できました。
  これらの音節で構成される単語「ヌマ」[nu-ma]は「粘性+土地」すなわち「ぬかるんだ土地」、「ハマ」[ha-ma]は「端+土地」で「地の果て」、「アサマ」[a-sa-ma]は「熱感+昇る+土地」で「熱の立ち昇る地」を意味することが解読できました。また、里「サト」[sa-to]は「登る+平坦地」すなわち「登ったところの平坦地」または「平坦地を登ったところ」の意味であることも分かりました。

※さて、集積したコーパスから帰納的に、個々の音節の表現する概念として説明ができる言語的意味内容を求めることができても、それだけでは十分ではありません。求められた音節の意味内容を用いて、演繹的に、”やまとことば”一般の意味内容を言い表すことができて、それらの語源を解読できることを確認できなくては、説の正しさを証明できたことにはなりません。実際に確認してみましょう!

*簡単な例から語源の謎解きをしてみましょう

・【サカ】

  音節「サ」[sa]は、広く「上昇/飛行/放物/空間を隔てた所への移動」等、重力に抗する運動の概念と結びついていることを発見できました。その意味内容を現代語で表すと「上がる/のぼる/とぶ/移る/渡る/差し渡す」等が適当です。火山の古語「アサマ」[a-sa-ma]の[sa]は、火山の噴火時に高温の噴出物が立ち昇り、時には爆発的に舞い上がり、火山弾が放物線を描きながら遠くまで飛翔する様を意味していることがわかります。「サカ」[sa-ka]の場合の[sa]は、傾斜のある地形を「のぼる」ことを意味していると考えられます。余談ですが、「アサマ」の呼称は現代でも「浅間山(あさまやま)」に残っている一方、主に富士山を崇める火山信仰の宗教施設としての「浅間神社(せんげんじんじゃ)」にも見出せます。「浅間」が富士山の旧称としても用いられていたことは、その語源がわかると頷けます。
  さて、もうひとつの音節「カ」[ka]は、広く人間の抱く「不快な感覚」の概念と強く結びついていると考えられます。例えば、刺されると単に皮膚が腫れたり痒みを引き起こすだけでなく、感染症の原因となりえることで古代でも忌み嫌われていたことが容易に想像できる昆虫の「蚊」は、その名がズバリ「カ」ですし、多数のマダニが体表に寄生することをハンターに嫌悪される動物の名は鹿(しか)[shi-ka]です。音節[ka]は「困難/苦痛/苦難/疲労/たいへんさ」等を意味していると考えられます。
  二つの音節[sa]と[ka]をつなげれば、原始言語(プロト言語/祖語)としての直訳は「登る+苦痛」であることがわかります。原始言語には品詞や時制も無く、修飾関係の表現も無いうえに助詞の「てにをは」も無かったと考えるのが自然ですので、いかにもぶっきらぼうで直感的にも原始的な表現であると感じます。これを現代語に近い表現に意訳するなら「登るのがつらい(地形)」とでもするのが妥当だと思います。これが「坂」の本来の意味内容(セマンティック・コンテント)であり、語源だとわかります。

  この様に、同定できた個々の音節の言語的意味内容を組み合わせることで、有史以来用いられている語の意味内容とも整合する語源を解明できることが示されました。他の”やまとことば”の語源も、縷々解読してみることにしましょう。

・【カワ】【カワイ】【サワ】

  「カワ」[ka-wa]という発声を伴う単語には川/河あるいは革/皮があります。これらの語を構成する一つ目の音節「カ」[ka]は、「サカ」の[ka]と同様に「困難/苦痛/苦難/疲労」や作業の「たいへんさ」を意味内容としていたと考えられます。二つ目の音節「ワ」[wa]は、「壊す/怖い/咥え…」等、多数の語にも見出すことができ、「割る/割れる/割れ目/裂く/裂ける/裂け目」等を意味し、平坦な形状のものに作られた溝/亀裂/破壊の概念に繋がっていると考えられます。
  水の流れる溝を意味する川や河は、「困難+割れ目」が語源であることがわかります。「困難」を意味内容とする音節「カ」[ka]は、「割れ目/裂け目/溝」を意味内容とする「ワ」[wa]を修飾して、「人の進行を阻む溝状の地形」を表現していることがわかります。降雨等の状況に依存して変化する水流の有無/多寡には必ずしも頓着していない表現であることも分かります。

  獣の皮革を意味する[ka-wa]の場合、「困難」を意味内容とする音節[ka]は、「割る/割く/裂く」を意味内容とする[wa]を副詞的に修飾して、「裂く+困難」が語源で、獣皮や乾燥した魚皮等の皮革の物性を表していることがわかります。

  自らが愛着を持っている対象物に対する心情を表現する「可愛(かわい)」[ka-wa-i]にも[ka-wa]は現れます。後述する「発現する/出現する/発する」を意味内容とする音節「イ」[i]と組み合わされているこの語の本来の意味内容は「困難+割る+発現」であることがわかります。現代語で意訳すれば「とても壊すには忍びない感情が湧き出る」ことを表現しているわけです。

  川/河と似ていても山地を流れ下る渓流は「沢(さわ)」と呼ばれます。「サワ」の発声を構成する一つ目の音節[sa]は「サカ」や「サル」に見出せる「登る」を意味内容とする「サ」ですから、音節[wa]と連ねた語の起源は「登る+割れ目」であることがわかります。傾斜地を流れる小規模の河川を意味する現代語の意味と通じていることがわかると思います。「流れ下る」ものなのに「登る」と表現されるのは、「沢」を表現しようとする者の居場所(視点)が傾斜地を見上げるところに位置しているからでしょう。「里(さと)」が「登ったところ」の平坦地を意味するのと同様です。

※ ところで、原始言語/プロト言語の特徴として、品詞の区別が無く、助詞に類する語「てにをは」が無い(孤立語と呼ばれる言語学上の分類に近い)ことは容易に推察されるので、現代日本語(膠着語と呼ばれる言語に分類される)で言い換えようとすると、対応する現代語のバリエーションが非常に多いように見えてしまいます。しかし、それらを包含する本質的な概念に着目すると事物、状態、物性、動き、感覚などの、単一の単純な対象を表現していることがわかると思います。

・【サル】

  日本語の語源について説いた諸々ある俗説で、腑に落ちないものを見聞きしたことがあると思います。こじつけのようであっても、否定する論拠もはっきりなかったので、放置されるうちに皆さんが使う辞書にもいつの間にか載っていたりします。本書で記す成果を元に、どんどん語源を明確にできたらいいと思います。
  まずは、「猿(さる)」[sa-lu]の語源です。俗説曰く「他の獣より知恵が勝る(マサル)から」って?既にとてもザンネンな感じが漂っています。「マ」は何処に行ってしまったのでしょうか。日本語の原始言語すなわち音節の意味を用いて解読してみます。「サ」[sa]という音節は「上がる/ 渡る/差し渡す」を意味します。「ル」[lu]という音節は「丸(まる)/胡桃(くるみ)/車(くるま)/樽(たる)」にも見出せ、円環状の射影の概念に結び付いた「円形/球形/輪/環」を意味すると考えられます。つまり、[sa-lu]の語源は「登る+輪」であると理解できます。ニホンザルが腕で輪を作り幹に抱きついて木登りする様子を表現していることがわかります。後述するように、音声言語以前に使われていたコミュニケーション手段であると想像されるジェスチャーで「ニホンザル」を表現しようとした時に取り得る典型的な形態であるといえます。
  「去る」行動からこの動物の呼称を「サル」と称したと考えるのには困難があります。野生動物一般が、人間と遭遇すれば「去る」か「襲う」かです。特定の種類の動物に、この特性を以って名が付けられたと考えることには無理があると言わざるを得ないでしょう。

・【ハダ】【ウズ】

  獣の皮は「カワ」ですが、人間の皮膚は通常は「肌(はだ)」[ha-da]と呼ばれます。この名称を構成する音節の「ハ」[ha]は「端/終わり」を意味し、「ダ」[da]は「渦巻き」を意味すると考えられます。これらを組み合わせた「ハダ」[ha-da]は「末端の渦巻き」つまり「指紋」や「掌紋」、「つむじ」を意味することがわかります。ヒトの皮膚を獣皮や魚皮と差別化するための特徴を的確に捉えて、名称に用いていることが分かります。縄文土器に多くの渦巻き文様が描かれていることを思い出す方も多いのではないでしょうか。本サイトに使用している写真の土偶の手にも渦巻きが彫られていますが、この「渦巻き」は縄文期の遺物に多用されているモチーフの一つです。古代人の意識に深く根差していたことが推察されます。

  音節「ダ」[da]の意味内容が「渦巻き」であることは、現代では忘れ去られてしまっていたわけですが、今回の発見で、古代人が残した遺物の多くに描かれた渦巻き文様とともに、「クダ/ヒダ/フダ/シダ/カラダ/ダダ/アダ…」等、言葉の中にも多くの「渦」が残されていることが明らかになりました。自然言語の発生/発達の観点から、古代人の思考/精神世界の理解の一助になるに違いないと思います。

  ところで、「ダ」[da]が「渦巻き」を意味するのであるのなら、「渦(うず)」[u-zu]という語の本来の意味は何なのだ?という疑問が生じることと思います。早速、解読してみましょう。一つ目の音節「ウ」[u]は「唸り(うなり)」を意味内容とすると考えられます。二つ目の音節「ズ」[zu]は「下垂/下垂状態/ぶら下がり」を意味内容とすると考えられますので、「ウズ」[u-zu]の直訳は「唸り+ぶら下がる」です。
  つまり「ウズ」[u-zu]は、鳴門の渦潮や槽底から水を抜く際等に目にすることができる「漏斗状に渦巻き唸りを上げて流れ、吸い込まれる水」や、別の項で述べる竜巻のような「漏斗状に垂れ下がり、唸りを上げる気流」の状態を描写していることがわかります。

・【ダダ】【コネ】

  「渦巻き」を意味する音節「ダ」[da]の微かな痕跡が幼児のとる行動を表現する語にも残っています。自らの欲求が満たされないときに、繰り返し身を捻じったり捩ったり床や地面に寝転がって手足をバタつかせてグルグル動き回り騒ぐ様子を「ダダを捏ねる(こねる)」と言いますね。渦を巻くような身体の動きを「ダ」で表現し、「強調」を意味する音節「コ」[ko]と「音」を意味する音節「ネ」[ne]を用いた「強い+音」を意味する表現の「コネ」を結びつけて表現されています。食材や粘土などを「捏ねる(こねる)」の[ko-ne]も「強い+音」が語源と考えてよいでしょう。

・【シカ】【ダニ】

  鹿(しか)の体表には多数のマダニが寄生するので、それを狩人に嫌悪されていることに起源して「広がり/海などの広がったもの」を意味する音節[shi]と「不快/困難/苦難」等を意味する音節[ka]を連ねて、「広がり+不快/困難」の意味内容を持つ[shi-ka]という名称で呼ばれているのだと前に述べました。鹿の体表に広がりヒトに対して感染症を媒介する生物を表現している音節は「蚊」と同じ[ka]であるわけです。
  一方、現代語では、この生物そのものは「ダニ」という名称で呼ばれています。前の項で述べたように、この語を構成する一つ目の音節[da]は「渦」を意味します。二つ目の音節[ni]が、外骨格を有する節足動物や貝類等の「殻を持つ生物」を意味すると考えることには極めて高い合理性が認められます。これらの音節を組み合わせた[da-ni]が生物としてのダニそのものを表現しているのであれば、鹿の名称は「広がり+ダニ」を意味する[shi-da-ni]であったはずだという意見が出てくるのは自然です。しかし、古代から鹿の名称は[shi-ka]であり、ダニは[da-ni]であったと考えられます。
  どうやら、[da-ni]は生物としてのダニそのものを意味内容とする語ではなかったと仮定することには理がありそうです。ここで、あらためて[da-ni]の本来の意味、語源を解読してみることにします。
  そもそも、[da]が表現する「渦」の概念は「ダニ」に如何に包含されているのでしょうか?ヒトの頭にたかる寄生虫を意味するために、音節[da]を用いて「つむじ」を表しているのでしょうか?だとすると、この語の表現対象は「アタマジラミ」の類だということになります。クモ綱のマダニとは種もかけ離れていれば、独立した「シラミ」という呼称もありますし、[da]がヒトのつむじを表すという考えでは、ダニが主にシカなどの野生哺乳動物に寄生する生物であるという観念からかけ離れてしまいます。
  この問いの答えには、古代人がこの生物に対して[ka]という言語表現を用いた理由に立ち返ることで容易に到達できそうです。「蚊」や「鹿」の場合、音節[ka]が意味する「困難」は「病苦」であると考えられます。現代では、ダニは感染症を引き起こす多種の病原体を媒介することで知られています。中でも特徴的な症状を示すライム病はダニが媒介する感染症の代表的なものの一つです。ヒトがライム病の病原体である細菌(ボレリア)に感染し発症に至ると、その初期にはインフルエンザ様の諸症状を生じるとともに、マダニの刺咬した部位を中心に同心円の環状の紅斑を生じ、漸次、皮膚上を広がってゆくような症状を呈します。ライム病で生じる紅斑はまさに波紋や渦を想起する病変といえます。現代のような感染症の概念がなかった古代においても、極めて特徴的な環状をなす紅斑の発現は、その後に生じるかも知れない脳脊髄炎を含む多様な炎症による深刻な症状の予兆として、恐怖の対象であったに違いありません。
  音節[da]で表現されるライム病の初期症状が、節足動物を意味する[ni]で表現されているマダニによってもたらされる病であるという因果関係は古代でも十分に認識されていたことに疑いはありません。[da-ni]の呼称は、ライム病やダニによって媒介される感染症を意味していたと考えることには十分な合理性があります。忌まわしい病気の媒介生物の呼称は[ka]であって、鹿が[shi-da-ni]ではなく[shi-ka]であったことも合点がゆきます。

・【ス】【スミ】【カス】【カスミ】【ヌスミ】【モロミ】

  「角/隅、炭/墨、住み」どれも「スミ」[su-mi]です。現代語で、果物や野菜の内部にできた空洞を意味する「す」や生物の「巣(す)」に名残を見出すことができる音節「ス」[su]が「不可視/透明/消失」を意味内容とし、「ミ」[mi]は「見る/見える」ことを意味内容とする音節であることを突き止められたことで、現代語では同音異義語とされているこれらの語群が同じ語源を持つことを発見できました。「スミ」[su-mi]の直訳は「消失+可視」、意訳すれば「見えるモノが消える」となります。すなわち「不可視化/消えること/見えなくなること」を意味内容とする原始語であることがわかります。
  炭や墨で塗りつぶしたり、通過したものが隅や角に入ったり身を潜めれば「スッとミえなく」なります。「住み」が、家に入ることで他人の目から消えることだったいうのは、ちょっとした発見です。「終了」を意味する「済み」は、現代語でも「消える/消す」というニュアンスを含んでいます。


  「スミ」の語頭に「粘性」を意味する音節「ヌ」[nu]を付加して構成される語「ヌスミ」[nu-su-mi]は、現代語では窃盗や盗作などを意味内容とします。「ヌマ」[nu-ma]が「粘性+地」と表現されていたように、「粘性+不可視化」と表現されるこの語の「ヌ」も「泥」を含む粘性流体の概念と結び付いていたことは想像に難くありません。つまり、「粘性+消失+可視」を意味する語[nu-su-mi]は、物体が泥等の粘性流体に埋もれ見えなくなることを表現していたと考えてよいでしょう。
  ところで、その泥様の物質に埋もれて不可視化する物体は何か?が問題ですが、現代語に窃盗をはたらく者を指す「泥棒」という呼称が残っているように、浅い河川・湖沼で舟を漕ぐための「棒」である棹は、泥に盗られる物のイメージによく適合します。船頭が「差した棹を泥に盗られて見失うさま」を表現したのが「ヌスミ」という古代語の本来の意味だったのでしょう。この本来の語意が人々の間で認識され、かつ、漢字の音訓読みが認知されたような過渡的な時期に、漢字を導入した代替表現としての「泥棒」が生まれたのだと考えられます。
  霧や煙などで光が散乱され、視野がぼやけることを意味する現代語の「霞(かすみ)」や発酵・醸造品の沈殿物・残渣を意味する「粕/糟/滓(かす)」の語頭に現れる[ka]は、それに続く[su]や[su-mi]に否定的に係って「不可視が困難」つまり「透き通らない」を意味していると考えてよいでしょう。
  言語表現の対象物が発酵液であれば、透明な成分や上澄み等が「ス」や「スミ」で、溶解しない沈殿物や視覚的に濁りを生じさせるコロイド状に分散する成分は「カス」ということです。事実、麴や酵母を用いて発酵させた醸造酒の「もろみ」は、発酵槽の底部に沈殿物を湛えたり、懸濁した不透明な状態を呈します。この段階で酒を絞った残渣は「粕(かす)」と呼ばれます。酒のもろみの発酵が更に進むと、好気性の酢酸菌が発酵液の上部に繁殖し、酢酸膜と呼ばれる膜を形成します。その膜の下に滞留する透明度の高い淡黄色の液が「酢(す)」と呼ばれるようになったことは、[su]と[ka-su]という語が包含する概念とたいへんよく整合します。二つの音節[ka-su]の順を入れ替えた[su-ka]については、別の項で述べることにします。ちなみに「モロミ」[mo-lo-mi]は、発酵槽(樽)の内部を覗き込むと「底」に堆積している沈殿物の「塊」の「外見」を「地底+岩塊+見える」つまり「地底の岩塊のように見える」という意味内容の音節を連ねて発声されていることが分かります。

・【ツミ】【トガ】

  「罪と咎」です。罪(つみ)[tsu-mi]と咎(とが)[to-ga]は、現代語ではほとんど同じ意味で使われています。その違いは?というと、法的な罪悪と道徳的な背徳の違いであるとか、広義と狭義の違いである…とか、かなり怪しいです。
  日本語のプロト言語=各音節の意味内容を用いて解読してみましょう。「指す/刺す/貫く」を意味する「ツ」[tsu]と「見る」を意味する「ミ」[mi]が組み合わされて、「ツミ」[tsu-mi]は「指さして見る」という意味であることがわかります。一方、「平坦な土地」を意味する「ト」[to]と「屈む/前屈する」を意味する「ガ」[ga]が組み合わされた「トガ」[to-ga]は、「平らな場所で前屈みになる」いわばガッカリと「お白洲でうな垂れている」様子の描写であることがわかります。現代では平坦な地面はごく普通に目にできますが、砂漠や土漠でもなければ、氾濫原や泥沼でもなく草木も生えずに岩が転がってもいない凹凸の無い地面は、ほとんど人工的に整地されたもの以外はありません。先史時代に、こうした草木も生えていない平坦地の内で宅地に供されたもの以外は、いわゆる広場”square”であったと考えていいでしょう。
  つまり、[tsu-mi]は指さして”罪人をとがめる側”を用いた表現で、[to-ga]は公の場所でうなだれて”罪を責められる側”を用いた表現だという理解は十分に合理性があると言えます。表現に用いられる人物の立場の違いだったのですね。

・【ワタ】

  「はらわた」って、なんで「ワタ」なんだろうって思ったことありませんか?フワフワの「綿」とナマなイメージの「内臓」が同じ[wa-ta]って...。日本語の起源の研究過程で明快な回答を得られました。
  数多くの単語を比較することで、[wa]が「割く/割る/裂け目/割れ目/溝」の意味内容を表し、[ta]は「持ち上げ/掲げ」を意味内容とすることを発見できました。つまり、[wa-ta]は「裂いて持ち上げる(取り上げる)もの」の意味だったんですね!
  たしかに、綿花は裂けた実からフワフワのワタをつまみ上げますし、屠った動物のお腹を割いてハラワタを...。これも、今回の研究過程で妙に納得できた事例の一つです。

Part2へ つづく


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