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おばあちゃんのお食事終い ~小さな決断の連続~

妹のまりちゃんが、スーツケースガラガラさせておばあちゃんちへやってきました。急いで手洗いしておばあちゃんの元へ。
「おばあちゃ~ん、まりこだよ~帰ってきました~」
耳元で、低めの声で話しかけます。


眠っていたおばあちゃんの瞼がぴくぴく、口がもぐもぐしました。
やっぱりちゃんと聴こえているのですねぇ。


主治医にお願いして、追加で皮下点滴をしてもらうことにしました。先生からもどうしますか?と問いかけられたのに対しお返事した形です。

200mlの最後の輸液です。皮下点滴はあくまでも水分を補うものです。点滴が終わったら、妹が針を抜きました。久方ぶりの抜針で、少し緊張したよ(笑)と言っていましたがちゃんと刺入部の止血確認していました(さすが元看護師)
※皮下点滴の終了抜針は医師や看護師からレクチャーを受けると家族で行うことができます。


おばあちゃんがお口から食事を摂れなくなって約1週間が経っています。


おばあちゃんは昔から食べることを大切にする人でした。
いつもわたし達に「ご飯どうする?出前とろうか?ご飯炊こうか?」と言っていましたし、90歳後半まで自分で台所に立ち、炊事をして自分で食べていました。戦争の混乱で食料不足により、幼い子供2人を栄養不足による感染症で相次いで亡くしたという、強烈な体験をしていることも大きいと思います。


また「火事と喧嘩のないうちに」
といいながら、時間になったらささっと食事を済ませるのがおばあちゃんのスタイルでした。これは本当に朝食時間に隣の家が火事になってしまい、その日1日何にも食べられなかったという経験があったからだそうです。


本当に色々な目に遭っているおばあちゃん102歳。自らの経験値による智慧
に元づいた生活スタイルを貫き通し、わたし達に見せてくれました。なかなかおばあちゃんのようにはできないなぁ・・というのが率直な感想ですが(笑)

ある日の朝食メニュー(昨年7月頃)

だんだんと歯が無くなり、大大大好きな炊き立ての白いご飯も柔らかめになり、濃いめの熱くて渋めのお茶がむせるようになり・・


お世話になっている介護施設の職員さんから、やわらか食(介護食)の試供品を頂いたのがきっかけで、最近ではもっぱら介護食を食べていました。お茶にはトロミをつけてスプーンで口に運びます。ほんとうは「ぐびぐび飲みたい(本人談)」のにね・・


やわらか食もトロミつきの液体もそんなに飲めなくなってきたら、お茶ゼリーをつくりました。ふるふるした感じがうちのおばあちゃんの嚥下(飲み込み)にはちょうどいいみたいだったので、ペットボトルお茶600ccに対し、ゼラチン1袋(5g)で固めて冷蔵庫で冷やして作りました。1日の飲水量を介護者が解っておくことは大切なので、この方法だと介護者が代わっても、今どれくらい飲めているか?いないか?の目安がわかって楽でした。


お茶ゼリーをそおっとお口に入れても、おばあちゃんが眠ってしまい、なかなか飲み込めないという状態になりました。
それで、いよいよどうしようか???ということになり、夏になり気温の上昇に伴い発熱も見られたため、皮下点滴をしてもらうことにしたのです。(高齢者は体温のコントロールも難しくなる)
この時点で、2年前から来ていただいている訪問診療の医師から「この夏を乗り切れないかもしれないことを、ご家族もご了承ください」と言うお話がありました。


おばあちゃんのからだになにかひとつ出来事が起きる度に、介護している家族はじゃあどうしようか?と決めてゆかなければなりません。時には決断する方もなかなかシビアに感じることもあります。お口から食事や水分が入らななくなるということは、生命を維持できないということになりますから。


ひとが食事や水分が摂れなくなった時に、”栄養”をからだに入れる方法は他にもあります。胃婁や中心静脈栄養です。


おばあちゃんは元気な時から、これらの医療処置を望んでいませんでした。(そもそも大きな病院なども好きではない)今回のまりちゃんの帰国が、おばあちゃんのお食事終いを(納得)するきっかけにもなったかなと感じています。


おばあちゃん、まりちゃんのことを待っていたんだねぇとか言っているすきに、最後の水分の皮下点滴は音もなく終了しましたが(当たり前だけど)、
これで家族全員がおばあちゃんと会えたことになります。

お家で介護が始まると言うことは、本人はもちろん関わる家族たちとの間で
常に、小さな決断の連続だなぁとしみじみ感じました。


小さな決断が時に大きな負担に感じられる時こそ、訪問診療に来て下さる医師や、訪問看護師、ヘルパー氏たちに家族の胸の内をなるべく聴いてもらいます。聴いてもらうことで、やっぱりおばあちゃん元気な時こういう風に言ってたもんな!と言うところに立ち還り、なんとか小さく決断の階段を登るんだか?下るんだか?することができるのです。


「迷ってもいいし、一度決めたことをぎりぎりで撤回してもいい。たぶんきっと、どんなにいいと思ってやっても、ああすればよかったか?もっとこうした方が良かったか?と言う思いや迷いはきっとある」
この言葉を家族のなかでの合言葉に、おばあちゃんのお食事は2022年7月18日を最後に終わりました。




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