【不謹慎の頂点】身体障害者の有効な活用法

障害者雇用において、発達障害者は不遇とされている。
むしろ、突拍子もない言動や不可解な言動に目をつぶったり、ミスの多い行動がそこまで職務に影響を及ばさない部署に配置すれば健常者並みの働きをしてくれる発達障害者もいるだろう。
発達障害者が現状置かれている状況というのは、生活保護もだめ、苦しんで自殺したら例えば電車に飛び込んだりしたらそれもダメというような極めて過酷な状況である。
安楽死を求めるハッシュタグが現れるのも仕方ないだろう。
ましで身体障害者は手や足がないくらいなのに過剰とも言える保護を受けている。
知的障害者も同等である。不快感は発達障害者と同等かもしれないが、彼らの方が保護や支援は手厚いかもしれない。
私はこの支援や保護に発達障害者と比べて過剰なリソースを割きすぎと考える。
車椅子や杖、スロープを作り、電車に乗るのでさえで介助が必要な状況に幾つリソースを割けば良いのだ。

かれらこそ、社会の迅速な発展や貢献に害をなす"害者"なのだ。
身体障害者の中には言葉を発せないものすらいる。
しかし、個体差や機能不全な臓器こそあれど、彼らは脳の特徴や臓器、生殖能力などは健常者となんら変わるものではない。

彼らは新薬の治験や危険な乗り物、工具などのテストヘッドとして使い潰すのが適作なのではないかと考えた。
なぜなら、彼らはまともな遺伝子を持っているとは思えず、生き物としての価値が発達障害者と比較して低いからと言える。
発達障害者に比べれば、手や足がかけており、または不完全な形で生まれた人間の出来損ないどもと言われてもなんら不遜はない。
無論、ここで書いたのは不謹慎を狙って書いたものであり、極論であることは筆者も承知している。しかし、発達障害者はこのような極論を日々向けられており、不謹慎を超えて安楽死したほうがいいよね、などと自分で自分を責めなければならない状況に陥ってるものが多数いるのが現状である。

このような状況を改善されなければ、植松聖2.0のような存在にこのようなことを言われても仕方ないと筆者は思っている。

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