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インペリアル・カレッジ・ロンドン留学記 ~歌うように踊るように~

ロンドンは雨です。通りを歩く人たちの足音も濡れています。コンクリートでできた日本の街とは違い、隅から隅まで石造りのロンドンでは、足音一つとってもまるで違うように響く気がしてきます。海外に一度も行ったことがなかった私にとってはそんな些細なこと一つひとつが新鮮で、ロンドンに初めて到着して、下宿先までの通りを歩いた時、とても気分が高揚しました。

研究留学の様子を書くというこのプロセメブログのお話をいただいたのは、それから約一か月経った7月はじめのことでしたが、身の回りの小さなこと一つひとつについて、ああこのことは是非書いておきたい、あのことも話しておきたいと目移りしていくうちに数か月があっという間に過ぎてゆき、もうロンドンは息白む季節、帰国まであと少しとなってしまいました。ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ、というのは言い古された言葉ですが、この言葉の言う通り、留学していた半年間は日々小さな気付きがあり、皆さんにお話ししたいことも、数えだせば尽きることがありません。しかしながら、そうしたことをすべてお話していたようではとても紙面が足りませんし、なにより話自体もとても退屈なものになってしまうに違いありません。ですからこの留学ブログでは、留学の間本当に私の心に残ったことだけをお話しようと思います。どの話も多くの人にとっては決して重要なものではありませんし、中には脈絡らしい脈絡がないようなものもあります。しかし私にとっては、どの話もこれから先忘れることができないような印象を刻んだ話ばかりです。ふとした時に思い出してしまうような愉快な話もあれば、できれば記憶の底にしまっておきたい厳しい思い出もありますが、いずれもこれから研究を続けるうえで糧となってくれるものに違いありません。目新しいことが日々次から次へと起きては通り過ぎて行った留学生活の中で、それでも心に残った大切な思い出というものは、これから先の私にとって何かしら意味のあるものであると信じています。

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長い長い文章のブログを読むのがつらいという方のために、写真でキャンパスツアーをすることにしましょう。ブログを読む暇がない方は写真だけ追って行ってくださいね。一枚目は、Imperial College London, St Mary's Hospital キャンパスの正門です。

イギリスという国に対するあこがれはずっと昔から持っていましたが、そこに住む人たちということになると、「イギリス人は若干気難しい人たちに違いない」というほとんど偏見に近い印象を渡航前に私は持っていました。この偏見がほとんど脅迫観念のようになって、渡航前の私の緊張感を高めていたことは間違いありません。私がそんな思いを抱くようになったことの発端は、おそらく私が中学生の時の英会話の授業にあったはずです。私の中学で当時授業を3年間担当していたV先生というのが、イギリス紳士を絵にかいたような老紳士だったというのがきっかけだったと思われます。先生に顔を覚えてもらいたくて、教室に着くと私は毎回つたない英語でHow are you?と話しかけたものでしたが、それに対する挨拶は決まっていつもぶすっとした顔でNot too bad(ぼちぼちですな)という、機嫌がいいのか悪いのかよくわからない後ろ向きなもので、いつの間にかそれがイギリス人のイメージになってしまったのでした。

ですからそれから何年も過ぎて、私が日本からのお土産を握りしめ、今回の留学において私の監督をしてくださるK先生と初めて一対一でお会いした際も、私はこのイギリス式の挨拶を恐れていたのでした。先生がいらっしゃるのを待っている間にも、ひょっとしたらお土産の感想もNot too badなのではないか、と余計なことまで頭をよぎる始末です。しかし、実際にお会いした先生が繰り出した挨拶は満面の笑顔で“I’m fabulous!” で、そんな不安が消し飛ぶほど明るいものなのでした。差し出したお土産にも、「こんなに日本のものをたくさんもらったからには、君が帰るときにはたくさんイギリスのものをあげないといけないね」とまで言って手放しに喜んでくださいました。それがその日一番ほっとした瞬間であったことは言うまでもありません。

こうして初めてのイギリスでの研究生活は穏やかに始まったのですが、その後の先生との面談で何を話していたのか、やはり緊張していたようで、あまり覚えていません。しかし、とにかくこの半年間は全力を尽くします、せっかくの機会を活かせるようにがんばりますというようなことを話し続けていたように思われます。というのも、面談の最後に先生の口から出た、このような言葉が非常に印象に残っているからです。「君の、というより日本人の勤勉さは尊敬に値するものですが、しかしここに来てからは自分がその仕事をしていて幸せかどうかというのを価値判断のうえで一番に置くことを学んでほしいと思います。君は研究と臨床のバランスについても学びたいと言っていましたが、バランスと言えば君がまず真っ先に学ぶべきはワークライフバランスについてです。この半年間で君は私からワークライフバランスについて多くのことを学べるでしょう。」そしてこのような話が少し続いた後に、最後締めの一言として先生がおっしゃったのが次の言葉です。「私の人生哲学は、『幸福な人間がいい仕事をする』というものです。だからロンドンにいる間は、研究もそれ以外も、存分に楽しんで、そして自分が楽しいと思える仕事をしてみなさい。」

この言葉にいたく感動した私は、会う人会う人にこの話をして、「今回の留学ではワークライフバランスについても学ぶ。というのも先生がこれこれと言ったから。」などと言ってまわっていました。それほどこの言葉はロンドンに来たばかりの私にとってはとても温かみがあり、励まされる言葉でもありました。しかしながら、私がこの話を研究室の方にしたとき、意外にも話をされた人たちは笑い出してしまいました。「K先生からワークライフバランスについて学べるとは、とても興味深い」と言うのが返ってきた返事です。というのも、K先生はSt. Mary’s 病院では一二を争う忙しさであるために、そのワークライフバランスは「疑いの余地なく壊滅的」で、ある人は「4年間研究室で働いてきて、生身のK先生を見たのはたったの3回だけ」とまで言ったほどでした。ここまできて初めて、私はワークライフバランスの話のくだりが先生のお気に入りの自虐ネタであったことを知ったのでした。


正門をくぐって右手には図書館があります。大学内に複数ある図書館のうち、St Mary's Hospital キャンパスのものが最も美しいという人もいます。

初日に「とにかくがんばります」という話をしたということを書きましたが、私が今回の留学でとりわけ研究に力を入れようと思ったのには、一応しっかりとした理由がありました。そのことをお話しするには、一度話を留学の前に戻し、私がT先生という先生のもとで2年と少し実験をさせていただいていたころのことに話を移さなければなりません。

私が二年生になるころから研究実践プログラムを通して研究室にお邪魔させていただくようになったT先生の研究室は、T先生と私、そして実験助手の方一人と、二つ学年が上の先輩一人というこぢんまりとした研究室でした。毎回少しずつ自分でできることが増えていく実験そのものももちろんとても楽しいものでしたが、私が研究室に通う中で一番楽しみにしていたのは、実験の間の空き時間にT先生が私や先輩に向かって話してくださる、ちょっとした小話でした。小さな研究室であったために、先生と頻繁に話ができる機会があったのです。話の内容はちょっとした世間話から、研究者としての心構えまで様々でしたが、私はそうした小話が聞きたいがために、自分の実験が終わってからも先生の手が空いて何か話を始めて下さらないものかと研究室に残っていたものでした。

先生のお話の中で心に残っているものはたくさんありますが、とりわけ印象に残っているのはたった一つの言葉です。これは先生が折に触れて私や先輩に言って聞かせてくださったことですが、「君には実験をこなすロボットではなく、ストーリーに沿った研究をする研究者になってほしい」というのが先生の口癖のようになっていました。実験を通じて様々な実験手技を身に着けていくことは、もちろんそれ自体が大変価値のあることではありますが、自力でできる実験の種類が豊富であることと自力で研究を進められることとの間には、埋めがたい溝があるように思われます。私のような実験をしたこともない学生がその溝を少しずつ埋めていくためには少なくとも、日々の実験の中でどうしてこの手順が必要なのだろうと頭を使ったり、実験計画を立てる際にまずは自力で準備できるところまで準備してみたり、あるいは先生とディスカッションをする際に少しでも自分の意見を言えるように努力したりといった、地道な積み重ねが必要です。先生が言おうとしていたのは、そうした地道な努力なしに漫然と言われるままに実験をこなしても、良い研究者にはなれまいということだったのではないかと思います。

しかしながら、頭の中でわかっていることと実際にやることはやはり違うことであり、私が研究室にお邪魔するようになってしばらくしてから、そのことを思い知らされました。ある日私が研究室に行くと、私の机の上にいくつかの器具と、その解説書、そして論文が一つ置いてありました。その日は新しい実験を先生とすることになっていて、机の上の書類はそのためのものだろうとすぐに見当がつきました。新しい実験をするときは、先生の手が空くのを待ってから一緒に実験をするということが常だったので、私は先生が待ち時間を有効に使えるようにとその書類を置いてくださったんだろう程度に考え、どちらかというと漫然とその解説書や論文を読んで待つことにしました。しばらくして先生が少し様子を見にいらっしゃり、その実験は見たことがあるの、と聞くので、子供の時に九段下の科学技術館でみました、などと調子の良いよくわからないことを答えたことを覚えています。さらにしばらくして先生がサンプルをもって再びいらっしゃったときは「やっと実験が始められる」とワクワクしたのですが、次の瞬間先生が「じゃあ、やってごらん」と言うのを聞いて、そんな気持ちは一気に吹き飛んでしまいました。それはつまり、一人でやってごらんということなのでしょうか。確かに器具も、その解説書も、その実験を使った研究論文のMethods欄も目の前にあるのですが、いざ自分でやってごらんと言われると、何から始めたらよいのかまったく手が出ない始末なのでした。そうしている間にも、「Methodsになんて書いてるのか読んでみなさい」「実験ノートに今日の実験のプロトコールは書き出してあるのですか」と声がかかります。結局その日はほとんどすべて先生に教えてもらいながら、失敗をいくつも繰り返し、やっとのことで実験を終えました。その日の最後に先生がおっしゃった、「たしかにこれは君にとって初めての実験だったかもしれないけれど、今日のことは少しだけ残念だった」という言葉がずっと耳に残ってしまっています。先生が本当に残念そうにおっしゃるので、なおさらショックでした。この日のことで、自分はあれだけ先生から実験をこなすだけのロボットになるなと言われ続けながら、実際はあまり頭を使わずに実験をこなしてきてしまっていたことがわかってしまいました。良い研究者とはなにか。そしてそれと比較して自分に足りていないものは何かということが、この日以来、次第に頭の片隅に引っかかるようになりました。


正門をくぐって左手には臨床施設が集まります。中でもリンド棟の正面玄関は、故ダイアナ妃が出産後にカメラの前に立った場所として有名です。

そんなことがあったので、今回の留学で私は次のような目標を立てることにしました。それは一言でいえば、T先生から言われた「ストーリーに沿った研究をする研究者」に少しでも近づく努力をしようという目標です。それはすなわち、すでにお話したような、日々の実験の中でどうしてこの手順が必要なのだろうと頭を使ったり、実験計画を立てる際にまずは自力で準備できるところまで準備してみたり、あるいは先生とディスカッションをする際に少しでも自分の意見を言えるように努力したりといったことです。そしてそうした実践の場というものは、その気になって探せばいくらでも転がっているものです。

研究室の方から、留学して最初の二週は何も起きないものです、と言われていました。だから研究室に来て朝から晩までビーカーに触っていないことに気づいても、決して心配しないで、と皆さんが口々に言います。そのころ私は先生から三つ論文をいただき、とりあえずそれに目を通して、どんな研究がしたいか考えてみてねと言われていました。論文を読んで興味がわいたら追加で論文を自分でも調べてみて、考えがまとまったら実験計画を話し合いましょうということでした。早速やってきた実践の場です。研究の背景や実験計画などはとりあえず自力で書いて出してみよう、分からなくてもわかるところまでは自力で全部やってみようと張り切りました。それに、研究のことについて先生とディスカッションをするのはこれが初めての機会となるはずでしたから、なおさら気合が入りました。

先生とディスカッションをする機会ができたのはそれから一週間後のことです。その日の朝にPhDの学生さんがいらっしゃって、今日のミーティングはプレッシャーに感じる必要はないからね、とおっしゃいます。毎週のミーティングはただの進捗チェックなのだから、今週成果を生み出せていなくてもかまわない。たとえ君が先週から後退していたとしてもまったく問題ないのだから、と声をかけてくださいます。これはある意味名言です。この言葉のおかげでとても安心してミーティングに臨むことができました。しかしながら、その日の私は決して後退していたというわけではなく、実際は少し分量が多すぎるくらいの研究背景と実験計画を書いたノートを抱えて、自信満々で先生を待っていたのでした。

この日のミーティングが記憶に残っているのは、こうした私のささやかな自己満足のためでもあるかもしれません。しかしそれ以上に、普段は冗談をたくさんおっしゃる先生が非常に真剣な顔であの話題について、そのころ私の頭の片隅に引っかかり続けていた「良い研究者とはなにか」という話題について言及したということが、私の心に強い印象を残したのではないかと思います。私のノートに目を通した先生は、「非常によくできています。よいスタートです」とおっしゃいました。しかしすぐに言葉をつないで、でも君が本当の意味でよい研究者になろうと思うのならば、君はまず、良いexperimentalistにならなくてはなりません、とおっしゃいます。私ははじめ、この言葉をよく理解することができませんでした。Clinicianでもscientistでもなく、良いexperimentalistになるとは、一体どういうことなのでしょうか。先生に聞くと次のようにおっしゃいます。「この研究室にはscientistがたくさんいます。例えば君の実験をこれから手伝ってくれるのは、私たちの研究テーマであるmicrobiomeについて幅広い生物学の知識と見解を備えたscientistです。しかしながら、臨床的な事柄について研究を行ううえでは、そうしたscientistだけでは立ち向かえないこともあります。臨床研究において最も大切な視点は、『何がわかったらその疾患がわかったことになるのか』、そして『何がわかったらその疾患に対する医療を向上させることができるのか』という視点です。Scientistは必ずしも臨床的な知識を網羅できているわけではないのだから、そうしたscientistたちに対して『何がわかったら』という研究課題を明確にして、実験計画として示すことが必要です。君のレポートは良くかけていますが、そうした橋渡しとしてはまだ不十分です」

ただ努力するだけでなく方向性を持って努力することは何事においても大切ですが、このミーティングの中で先生が私のレポートに手を加えながら努力の方向性を示してくださったことで、これから先の留学生活やそれ以降の研究でするべきことが少しだけ見えたように思い、なんとなく安心することができました。そうした安心感と相まって、この日のミーティングは私の心に強く印象付けられたのかもしれません。


リンド棟の正面にはクイーン・エリザベス棟があり、大学の研究室は主にこの建物の10階に集まっています。

それ以降先生はミーティングやそれ以外の様々な場面でこうした話題に触れることが増えました。先生は話題が自分自身のことになると、謙遜したり冗談めかしたりしてしまうことが多く、また普段から非常によく冗談を言う先生だったので、自分自身を引き合いに出して良い研究者とはなにかと真剣に語ることは決してありませんでしたが、私にとっては実験に対する向き合い方においても、それ以外の様々な場面でのあり方においても、先生は私にとってロールモデルであり続けました。

私が先生と進めていたプロジェクトは途中まで順調に進んでいましたが、次第に色々な問題が見え始め、ある時ピタッと音を立てるように止まってしまいました。プロジェクトがこれ以上動きそうにないとわかった次の週のミーティングで先生が私におっしゃった言葉は、今でも鮮やかに思い出すことができます。

プロジェクトがうまく動いていないとわかっている状態でミーティングに出ることは、なかなか勇気がいることです。特にプロジェクトを始める際にあれだけがんばりますと言っていたわけですから、プロジェクトが止まってしまったことに対して先生の失望が透けて見えてしまうのではないかと、かなり身構えてしまいました。そうしてミーティングにやってきた私に対して、プロジェクトの進捗について話し始めるものだとばかり思っていた先生は、ふいに「今日は実験の話もmicrobiomeの話もなしにして、ただしゃべるだけの日にしましょう」とおっしゃいました。普段のミーティングの時間をこえて雑多なことについて話す中で、「半舷注水」という言葉が先生の口から出てきたのはその日のことです。

「『半舷注水』という言葉があります。君もひょっとしたら知っているかもしれませんが、船が氷山にあたったり魚雷をぶつけられたり、とにかく浸水して傾いてくると、船の傾いた反対側のバラストなりに水を入れて、船をまっすぐに戻そうとするものです。そうして安全な場所までとにかくたどり着こうとするわけです。

幸福な人間がいい仕事をするというのが私の人生哲学だという話をしましたが、これは私が髪を失うまで苦労して気が付いたことですし、この気持ちは今も変わりません。ですから研究者というものは、実験もそれ以外の日々の生活も、歌うように踊るようにと行くのが望ましい。しかしことさら実験に関しては、そうはいかないことも珍しくありません。今回のような障壁も、これが最初ではないし、きっと最後でもないでしょう。

そうであるならば私は、君にこう伝えておきたい。この留学期間中、少なくとも君がロンドンにいる間は、君と私は一つの船の、一対のバラストです。君の側に傷がついて船が傾いてきたのなら、私の側に水を入れて、まっすぐに立て直しましょう。港に着くまでは、ずっと一緒です。そうすればきっと、これから雨に降られようとも嵐にあおうとも、一緒に雨に歌えるようになるでしょう」

プロジェクトが止まったことで一番大変であったのは先生自身であったに違いありません。その後プロジェクトを再開させるまでの間、様々なミーティングがあり、そうしたミーティングのほとんどすべてを先生が取りまとめていました。そうした先生にとって決して楽ではなかった時期において、それでも先生が私に思いやりを示してくださったことというのは、決して忘れることができません。


10階に上がって右手が消化器系の研究室、左手が外科系の研究室です。先生のオフィスは外科系の研究室をまっすぐ突き当りまで進んだ場所にあり、扉の横にあるプレートには先生の名前と共に、「おはいりなさい」と書いてあります。

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ロンドンを離れる最後の日にこの文章を書いています。今こうして振り返ってみると、ロンドンで私と一緒に実験をしてくださった人たちは、こうした若干後ろ向きであったり自虐的であったりする中に優しさや粘り強さがあり、留学中はその温かみや打たれ強さに何度も助けられてきました。そんな方たちと半年間も一緒に研究をすることができた今も、またいつかここに戻ってきて研究をしたいと強く思わされます。もちろん、それは簡単なことではありません。

人づてにしか聞いたことのない海の向こうにある国で、初めて会う人たちと研究をするということは、どれだけ高い志を持った人にとってもある程度のハードルを感じさせるものでしょうし、とりわけ私にとっては、新しい環境に飛び込むこと自体、勇気がいることでもあります。しかしこの大学やロンドンは、勇気をもって近づこうとすれば、その勇気が報われる場所です。そうであるならば、いつか君と世界をまたにかける研究を、という先生の言葉を胸に、また来られる日を夢見て日々精進し続けなければなりません。再び戻ってこられる日がただひたすらに待ち遠しい。さようなら、ロンドン。また会える日まで、さようなら!

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