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いないわたしでいる練習

10月24日(土)に「架空のプレ稽古オンライン」を、6月以来にまたやろうとしています。この記事はそれの解説?分析?プレゼン?的なものであり、同時に宣伝であり公募です。
※現在は募集は終了しています。

2回目ではあるけれども、「オンライン」でやることに強いこだわりがあるわけじゃないのです。万全な感染症対策の体制を確立したうえで実際の稽古場で集まれるのが一番ですが、まだ自分がそのリスクを引き受けてゴーサインを出せる自信はなかった…というのが嘘偽りない実情です。とはいえ、オンラインはオフラインの単なる「集合場所変更」ではありません。形態が変われば性質も変わるわけで、ちゃんとオンラインに特化したものを用意してお待ちしております。

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はじめるまえの演劇

「架空のプレ稽古」、いつもはこんな感じのことをやっています。今回はこれのオンライン版ということになります。あ、ちなみにこれ全部役者自身から出たセリフばかりです。脚本は1文字も書いてません。

さて、「架空のプレ稽古」と言っておりますが、一般的にプレ稽古とはいったい何をする場なのか。これは団体の性質や主宰の意図によって変わりますし、こうだ!とは一概に言えないのですが、そのとき上演する作品の台本を読み合わせることは滅多にありません。でもまあそうですよね、稽古と同じことをするならわざわざ「プレ稽古」と呼び名を変える必要もないでしょうし。

プレ稽古で行われることの一例をあげると、たとえば過去作品や短編戯曲の読み合わせだったり、創作の助けになりそうな参考資料やメソッドの共有だったりです。あるいは、エチュードやシアターゲームで交流したり、これから一緒に作品と向き合うことになる共演者同士がお互いを知るためのレクリエーション的な側面があったりもします。

「架空のプレ稽古」もレクリエーション……recreation(娯楽、気晴らし)とre-creation(再創造、再構築)の2つを主眼においています。難しい話になりそう? 大丈夫です、だって「気晴らし」ですよ?

どこに演劇をつくるのですか。あなたの内側です。

プレ稽古なんて名前をつけたせいで、何かを「稽古」するものだという先入観が生まれてしまっているかもしれません。が、感覚的には演劇よりも「TRPG」や「架空同窓会」などに近いのかもしれないなと、最近は思いはじめています(実際に参加したことはないのであくまで予想ですけど、前述の動画のシーン1とか、まんま架空同窓会じゃないでしょうか)。

これらに共通するのは以下の二点です。

・いない人になれる
・いない人と出会える

TRPGでは中世の魔法使い、架空同窓会だったら憧れの先輩(初対面)などの「実在しない人物」を、さも「実在するという仮定のもとに」演じます。その場において「いるわけないだろ!」という無粋な正論はすべてをぶち壊す禁忌の呪文です。これは演劇も同じことで、両者に違いがあるとすれば「観客」がいるかどうかではないでしょうか(もちろん、TRPGのセッション配信などといったケースもありますが)。

「架空のプレ稽古」はときどき稽古場に見学希望者をお招きする場合もありますが、デフォルトは無観客です。だから観客のいない演劇をやることになるのですが、でも本当に観客は「いない」のでしょうか? だって、演じているあなたのことを共演者は「見て」いますよね。それからあなた自身も、自分の顔や動作を直接その目で見ることができないにしても、自分が何をやっているのか、何を考え、どう判断してその台詞を言ったのか、常に自覚しながら演技しているはずで、それは「見て」いるってことになると思うんですよ。

以上のことから、架空のプレ稽古を「演じている人自身の内側にストーリーを立ち上げていき、それを自身が追っていく体験型演劇」とみなすことができます。

あなたは誰にでもなれる/あなたはあなたにしかなれない

で、演劇において「役を演じる」って何なんでしょうね。かれこれ15年以上も演劇に関わっていますが、いまだに僕はその答えを知りません。そこに必ず明確な答えが存在するはずだということ自体を、15年経ってようやく少し疑えるようになった程度です。

ある役者さんはこう言います、「自分とは違う人になれるから、役を演じるのは楽しい」と。

また別の役者さんからはこう聞いたこともあります、「どんなに演技がうまくなっても、他人になりきることはできない」と。

まるっきり正反対のことを言っているように思えますが実は、この2つの意見は別に矛盾も対立もしていないのです。自分とは違う人になれる、だけど完全な他人になれるわけじゃない。これもある人からの受け売りなんですが、「古田新太は演技が上手く、いろんな役をこなせるけれど、どれを見ても一発で古田新太だとわかる」と言えば少しはわかりやすいでしょうか。

役者は「せりふを言う係の人」じゃないはずなので、どんな脚本も演出も、一旦その人の思考や経験というフィルターを通過してから出てくるわけです。このあたりの話は過去に参加した人たちが「関係舎のケース・スタディ」というコンテンツの中で言語化してくれています。

「いない」のに「いる」ことの面白さ

いない人、という言葉だけだと少々漠然としすぎているので、具体的な例を挙げてみます。架空のプレ稽古に参加する人には演劇をやっている人が多いのですが(そうでない方も楽しめるように毎度改良を重ねています)、その人たちは生まれつき俳優だったり、生まれつき演劇をやりたかったわけではありません。これまでの人生のあいだの、どこかしらのタイミングで演劇と出会い、他のいろんな興味にも出会い、その中から演劇を選んでそうなったはずなんです。小学校の卒業文集には「パン屋になる」と書いていたかもしれませんね。

では、その俳優が次に出演する作品でパン屋の役をもらったとしましょう。それは別に子供のころの夢がかなったわけではありません。あくまで役柄なので、見ているお客さんに向けて「ああ、この人はパン屋(の役)なんだな」とわからせなくてはいけません。稽古時間は主にその説得力を増すために使われることでしょう。

架空のプレ稽古では、「パン屋を演じる」というより「演劇ではなくパンを選んでいた場合の自分の姿」を想像してみることのほうが重要になります。あなたの性格やものの考え方などはそのままに、職業だけパン屋に変わったら、どんな生活を送っていると思いますか? それを想像して、そして暮らしてみてください。どんな気持ちか教えてください。…架空のプレ稽古の稽古時間はこのようにして使われます。

自分がパン屋であることを第三者に説明するために、わざわざ目の前で生地を捏ねたりする必要はありません。極端な話、一度もパンの話題に触れなくたって成立します。だってそれはすでにあなたのバックボーン、いちいち説明する必要もない前提条件なのですから。でも現実、あなたは今パン屋ではないはずなので、今そこにいるパン屋のあなたは架空の存在、「いない人」です。でも「いる」んです。ほら、現にこうして喋っている。これ、面白くないですか?

ものすごく要約してしまうと、架空のプレ稽古は「いない人になって、いない人と話してみる遊び」であるともいえます。めちゃくちゃ気合の入ったままごと、くらいに思ってもらって差し支えありません。おいおい稽古じゃないのかよと突っ込まれそうですが、そこは架空なので、上演に向けたクオリティの追求を目的としていないので、今回あえて「遊び」と呼んでしまおうと思います。

ただし、どんな遊びにも必ずルールがあります。じゃんけんに重火器の使用は認められていませんし、かくれんぼの途中で戸籍ごと抹消すれば取り返しのつかないことになるでしょう。「迷惑行為をしない」とかの大前提っぽいやつを除外すれば、守っていただきたいルールは主に以下の3つです。

・無理して面白くしない
・予知能力で誘導しない
・大事件を持ち込まない

これさえ守っていただけるなら、演技経験の多い少ないはさほど大きなハードルではありません。

『=2025-2019』解題

今回の「架空のプレ稽古オンライン」では、『=2025-2019』というタイトルの作品を稽古します(という建前を使います)。詳しい配役などは当日のお楽しみにとっておくとして、少しだけ概要にふれておきます。

トーク・スクリプツの時から一貫して、フィクションに対する関係舎のコロナ禍への態度は「ウイルスを虚構内に持ち込ませない」です。オンラインだから参加者間で感染の心配はとりあえずないとして、ストーリー中にも徹底したウイルス対策をおこなったのが『=2025-2019』です。

物語の全容は以下のとおり。

はい、これが全容です。お芝居のチラシなんかを見ると、よくこういう文章が載っていますよね。あれは実際の作品があって、その「本体」を宣伝段階で全部言っちゃうわけにはいかないから部分的に抽出して書いたものだったりしますが、架空のプレ稽古に「本体」は存在しないので、これがマジの全部です。ここにあと登場人物設定(参加者の人数しだいで若干変動します)と各シーンの初期設定が加わりますが、そこから先がどう転ぶかは僕にもわかりません。

2019年、まだ新型コロナウイルスは(少なくとも日本では)猛威をふるっていません。そして2025年、新型コロナウイルスは(そうなっていてほしいという最大限の希望を込めたフィクションとして)既に収束しており、人々はもう「どこかへ出かける」ことに後ろめたさを感じなくてもよくなっています。東京五輪はコロナとか関係なく普通に中止になり、さらに何度かの政権交代を経て、とびきり明るいとまでは言えなくとも現在ある不安の3〜4割程度は払拭できているような(でも消費税率は10%のままだったりする)、そんな感じのパラレルフューチャーを想定しています。

SFチックな未来像を描くには幾分近すぎる5年後の世界で、僕らはどんな人たちと、どんなありふれた話をするのだろう。一緒に想像して遊ぶ時間をともに過ごせたら嬉しいです。

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