見出し画像

解決篇・3

どうして昨日の新聞が、ここに…?

「皆さんの疑問はわかっています。どうしてここに昨日の新聞があるのか、と。携帯電話も使えずラジオの電波も入らないような絶海の孤島に、新聞配達など来るわけがありません。ですからこいつは、誰かの手によって持ち込まれたわけです」

冷静を保とうとするが、心臓は意志に反して大きな鼓動を続けている。この男は一体どこまで真相を掴んでいるのだろう。

「さて、話は変わって中庭の石畳についてです。今朝6時過ぎ、浅古さんたちが死体を発見したころ…」

「待ってください」堪えきれずに私は口を挟んだ。「中庭のことなんかより、まだ新聞の謎が解けていません。いったい誰が、どうやって新聞を持ち込んだというのですか?」

「手段のことを聞いておられるのなら、あまり説明する意味はないでしょうね」にべもなく糠川は言う。「誰かに届けさせたか、自分で島を出て手に入れたか。いずれにせよ大した問題ではありません」

「大問題ですよ」ここで引き下がるわけにはいかないのだ。「島から出られた? 誰かが届けに来た? そんなことができるはずはない。ここは絶海の孤島だって、さっきご自身でおっしゃったじゃないですか」

「ここが絶海の孤島なら、と仮定したつもりだったんですがね」糠川はあくまで自分のペースを変えない。「仮定、わかりますか? 仮にそうだとしたら、という話です」

「言葉の定義を言い争っているわけではないのですが。現にこの島は外部との連絡が取れな…」

「いいえ、これは定義の問題です。われわれが三日前から滞在しているこの場所が本当に絶海の孤島なら、昨日の新聞など手に入れられるはずがない。つまり、裏を返せばこうも言えるわけです。昨日の新聞が存在する以上、ここを絶海の孤島と定義することはできない、とね」

「な…」何を言い出すのか、この男は。

「館の主である藤牧氏やご家族ならともかく、私たちはほんの一週間前まで島の存在自体を知らなかったのですから、いくら小さな島とはいえ全貌を把握できてはいません。岩場は死角だらけですから、夜中のうちに小型のボートででも乗りつければ誰にも知られず出入りすることもできるし、"白鷺邸"のような建物が他にも存在する可能性だって捨て切れません。ここが絶海の孤島であると断言するのは、ほとんど悪魔の証明に近い。しかしその逆は」

糠川は丸めた新聞紙で机をばしんと叩いた。熟練した講談師のような仕草だった。

「島への出入りが可能だと証明するのは、物証ひとつあれば実に容易いのです」  

誰も、何も言葉を発さなかった。糠川はそれを肯定と受け取ったらしく、

「納得していただけたようなので次の疑問に移りましょう。新聞を取り寄せた人間が何を知ろうとしていたか、です。まさかこんな状況下で株価や国政が気になるとも思えませんね。犯人が知りたかったのはおそらく、天気予報です」

「天気予報?」今度は浅古が素っ頓狂な声を上げた。「それこそ、知ってどうなるというのです」

「犯人にとって、昨夜の雨も計画のうちに入っていたのです。雨が降るから犯行を昨夜に決めたと換言してもいい。今西さんの死体は中庭で発見されましたが、あのとき石畳が濡れていたでしょう?」

「いや、しかし…」

「電話回線や柱時計の故障とは違い、人間にコントロールできる現象ではありませんから、そこに意志の関与を疑われることもない。まして昨夜の雨は、外部からのあらゆる情報を断たれたこの島で犯人だけが知り得たアドバンテージだったのです」

糠川は部屋中を舐め回すように視線を漂わせた。思わず目を背けてしまいそうになるのを必死にこらえる。

「でも、昨日はずっと晴れていたじゃないですか」

「そう。皆さんもご存じのとおり、昨夜は雨は降りませんでした。報道が常に真実を伝えてくれるとは限らないのです、皮肉な事にね」

(天気予報なんて、よく当たる占い程度に思っておかなくちゃ)

あの時の、稲枝の言葉が脳内にこだましている。そういえば水無島へやって来た日の朝も、台風14号の直撃を免れた晴天だったではないか。

「藤牧氏殺害の後、一向に降り出す気配のない空模様に痺れを切らした犯人は、やむをえず中庭に水を撒くことにしました。だから今朝、あの石畳は不自然に濡れていたのです」

全員の視線が一斉にこちらを向く。

完璧を期したつもりの私の計画は、最早ほとんど暴かれてしまった。鏡と時計のトリックも、オルゴールの二重密室も、そして天気予報のことも。

「俺の弟も、藤牧の爺さんも、こいつが殺したっていうのか?」

「赤城さん、どうして…」

万事休すか。この場を切り抜ける言い訳を私が考えあぐねていると、

「待ってください! 赤城さんは犯人ではありません。それを今から証明してみせます」

「え」という声は、私が発したものだけではなかった。投げられたボールの行く末を追うように私へ集中していた皆の視線が、今度は打ち返されたボールの行く末を追うように糠川の方へ戻ってゆく。

すべての謎を解き、あとは名指しするだけという段階まで来て、今度は私が犯人ではないなどと言い出した糠川の意図が奈辺にあるのか、私にはわからない。これが誘導尋問なら大したものだが、どうやら本気で言っているらしい。

「たしかに赤城さんは朝早く、中庭の花壇に水やりをしていました。ここにいる大半がその姿を目撃しています。しかし考えてもみてください。自然現象を利用してまで徹底的に作為の痕跡を消そうとしていた犯人が、そんな詰めの甘い真似をするでしょうか?」

「言われてみればそうかもね」みずほが小声でつぶやく。「でも、犯人にとって水を撒くのが目的だったのなら、やっぱり赤城さんは共犯ってこと?」

「いいえ、赤城さんはただ、早起きして花に水をあげていたに過ぎません。問題は、赤城さん自身も自由意志だと思っているであろう水やりを、必然的にそうさせるよう仕向けた人物がいるという点です」

動揺する私の前を通過して窓際へ歩み寄ると、糠川は天鵞絨のカーテンに手をかけた。

「これに関しては、ああだこうだと口頭で説明するよりも見ていただいたほうが早いでしょう。こちらへお集まりいただけますか、もうすぐ面白いものが窓の下を通りますので…」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?