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空想片道きっぷ

今年は帰省しないと決めていた。

理由はいろいろあって、おそらく同じ年を過ごした誰しもが共感してくれるであろうアレやらソレやらの影響によるものも大きいのだけど、何より単純にお金がなかったのだ。東京から実家まで新幹線を利用すれば片道約15,000円、夜行バスを使っても8,000円程度(実家の最寄駅までの経路にはなぜかハイグレードなバスしか通っていない)かかってしまう。ただでさえ仕事も激減している中、必要不可欠な経費以外は使わないように…と考え進めていくと、これまでだって毎年していたわけじゃなかった帰省を選択肢から外すことになるのは、ごく自然ななりゆきでもあった。

ところが昨日、所用で出かけたついでに、特に入るあてもなくふと前を通りかかった金券ショップで、「空想片道きっぷ」が800円などという嘘みたいな値段で叩き売られていたので反射的に買ってしまった。定価購入ならば7,800円(税抜)なので、ほぼ10分の1? そんな割引率のものが、しかもこんな帰省ラッシュ真っ只中の時期に売られていること自体が奇跡のめぐり合わせだし、買ってしまった以上は帰らねばなるまい。きっぷは使わなきゃただの紙だ。

空想きっぷの利用規約には「実在する路線には乗車できません」とある。架空線は800円で乗り放題となるが、在来線、すなわち従来から存在している路線では使用することができないというわけだ。まあ、このあたりのルールは青春18きっぷなんかと同じようなものだろうな…と、ろくに調べもしないまま勝手にそう思っていた私が甘かった。通勤定期区間内の西日暮里あたりまで出られれば、そこから暮泥町経由で簡単に乗り換えができると考えていた。

自宅を出て最寄り駅の改札口にPASMO定期券をかざすとアラームが鳴り響き、駅員が数名、ものすごい勢いで駆け寄ってきた。残高不足で鳴るピンポンピンポンという音とは全く別種の、デスゲームで不正解を出した時のような物々しい音だった。私はそのまま駅員に拘束され、駅務室でボディチェックを受けることとなる。結論からいうと、原因は空想きっぷを所持していたことだった。なるほど、「実在する路線には乗車できません」というのはこういう意味だったのか。

「われわれ在来線の運営としては、やはり表向き、こういうものがあること自体を認めるわけにいかないので…」と駅長から一通りの説明を受け、なんとかお目こぼしを受ける形で釈放された(駅員側の謝罪は一切なかった)。どうやらこの切符、いまのところ現行法のどれにも反してはいないが合法でもないという、実にグレーな代物だったらしい。

それにしても困った。このあたりに架空線は乗り入れていただろうか。なにしろ実在しないので、調べようにも通常の検索アプリでは探す手立てがない。年末ということで幸いにして時間はたっぷりある。散歩ついでに見つかればラッキーくらいのつもりで歩いていると、意外とすぐに駅の入り口を発見した。

廃業したラーメン屋の入り口にそれはあった。ひびの入ったすりガラス窓、年季が入って黒ずんだ木製の柱…どう見ても営業していない、中に人がいる気配もない店舗のドアは半開きになっていて、足踏みタイプのアルコール噴霧用スタンドの先端に、斜め下向きの矢印が描かれたラミネート紙だけが荷造りひもで括り付けてあった。あまりにも場違いなその光景は、そこが架空線の駅舎であることを逆説的に証明していた。

駅名標_検恩寺

意を決してドアを開ける。中にラーメン屋の内装などはなく、ドアを開けてすぐ地下へと続く階段が伸びていた。「まさか」と「やっぱり」が半々の複雑な気持ちで降りていくと、地下の空間は意外と明るく広々としており、大きなリュックやキャリーケースを従えた帰省客らしき姿もちらほらとあった。駅員の姿はないが、自動改札口に空想きっぷを通すと在来線でいうICカード残額が表示される部分に「36.3」のデジタル表示が現れ、両脇に設えてある電飾の明かりが手前から奥へと流れた。どうやら歓迎されたらしい。

検恩寺駅を出てからは2時間弱、ただただ列車に揺られる。例年この時期の在来線に比べれば車内は驚くほど空いていて、立っている乗客は誰もおらず、まるでそこだけ4月か5月にでも戻ったかのようだった。しばらく地下を走っていた架空線は三条襖を過ぎたあたりから地上へ出ていき、荷守川を横断する頃にはちょうど沈む寸前の夕陽が水面に反射して目を焼く。疲れ具合からすればすぐにでも眠ってしまいたかったけど、初めて乗ったシートのふかふかさや車窓から見える風景への興味はそれに勝るものがあった。

駅名標_檸茂

それにしても色々あった…いや、そんなことは毎年この時期になれば思うのだ、今年に限った話ではない。でも今年は特に、会いたい人にも会うべき人にもなかなか会う機会を作れない年であった。世の中全体がそういう傾向にあったというのも勿論あるだろうけど、加齢による影響も決して無視できるものではないと自覚している。年を取ると、さまざまな行動を起こすこと自体が億劫になってしまう。小さい時分に親の口から同様のことを聞かされては「それはお前らがただ面倒臭いのを年齢のせいにしてるだけじゃないか」などと反発したものだったが、あの頃よりは多くの知識を得て、できなかったことができるようになり、人生のチェックシートが次々と埋まっていくのに反比例して「次の目標」や「新たな探求」へのモチベーションが目減りしていくのが自分でもわかる。わかるからこそ余計に、「なくても別に困らない」と思ってしまえる心が、とても怖いのだ。遠く離れた土地へ帰って行くことも、あと何回できるだろうか。

檸茂で10分間の時間調整停車が入った。ずっと座りっぱなしの足腰を軽く伸ばす意味でも、ホームに降りて自動販売機で缶のレモンティーを買い、その場で一気に飲んだ。本当はホットが欲しかったのだけど、年季の入った細身の販売機には「つめた~い」の表示しかなく、これは覚悟を決めねばとダウンジャケットのジッパーを一番上まで閉める。この後しばらくは乗り換えの必要もなさそうなので、少し眠ることにした。

* * *

駅名標_五厘道

終着駅の五厘道で車掌に声をかけられて起きた。直通運転ではないため、一度ここで下車しなくてはいけないらしい。以前は直通運転もおこなっていたが、諸事情あって一旦ここで停めようということになったのだ、と車掌は聞いてもいないのに教えてくれた。次の発車は向かいの3番線から、30分後だという。

そういえば今年はオリンピックイヤーだった。あれだけ方々から猛反対があった割に、蓋を開ければ皆なんだかんだ楽しんじゃっていたのが個人的には寂しくもあり、けれど同時に「無駄にならなくて良かったね」という気持ちもあった。だって、あれだけの予算をつぎ込んで何年も前から準備して、それが直前になってすべて水泡に帰す…などという事態になったりでもしたら。自分の仕事に置き換えて考えたなら、私はきっと耐えられない。

ただ、いくら盛り上がったからといって来年もやることにしたというのは、さすがにどうなのと思っている。

駅名標_烏無

乗車時間は合計約6時間半。時刻は0時をまわり、日付が変わってしまう。空腹が限界を迎えたため勢いで途中下車したはいいが、さてここは一体どこなのだろう。無事に故郷へと近づいているか、地図に載らない駅なので大体の雰囲気で判断するしかない。いずれにせよ、先ほど降りた列車が烏無駅発の最終列車だ。明日の始発まではここでどうにか夜を明かす以外にない。

烏無駅前には何もなかった。ファミレスなりファーストフードなりがあることを期待して降りたので、すっかり肩透かしを食らった格好になってしまう。東京では考えられないほど街灯の数は少なく、光源も弱い。暗すぎてよく見えないというのもあるが、そこは繁華街でもなければ住宅地でもなく、電車内で大口を開けたまま眠っている人の口の中をふと覗いたような暗がりが、ただ広がっているばかりだった。

ちょろちょろと水の音が聞こえて、近くに水路があるとわかる。向こうに住宅地があるのかもしれない。藁にも縋る思いで(泊めてくれる家があるわけでもないのに? 川の水を飲むわけでもないのに?)音の聞こえる方へと歩みを進めた。

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