ESGx経済成長モデルx安全保障

今回はESGと経済成長モデルと安全保障の関係とその示唆について、やや小難しい数式を使って論じてみたい。

マクロ経済学の教科書でよく出てくるソローの経済成長(率)モデルは下記の式で表される。


GDP=f(A,K,L)
∆GDP=∆A+∆K+∆L
A:技術進歩率等、K:資本投下量、L:労働投下量
A:エネルギー源のシフト(例 蒸気→石炭)や生産ツールの切替(手作業→機械)があれば、この技術進歩率は上がる
K:資源や工場機械、使える土地が増えたり、各資本から得られる生産量が高まれば(=生産性の向上)、この資本投下量は増える
L:労働力の母数となる子どもが増えたり、あるいは人口の中で労働に参加する率(定年の引上げ)や知識水準が高まれば、この労働投下量は増える

この考え方の下では、国家や国際社会として、国内のGDPや世界経済のフルポテンシャル化のために、例えば、産業革命の推進や人口動態モデルの転換(例 多産多死→少死・高学歴化)を行うことが望ましいといった示唆が得られる

上記の式をGDPを構成するプレイヤー(例 企業、地域経済圏)の観点からブレイクダウンすると下記のようになる


GDP=Σfn(A,K,L)
∆GDP=Σ(∆An+∆Kn+∆Ln)
n:プレイヤーの総数

このモデルの裏には企業Aや地域経済圏Bの利益(≒付加価値)があれば、それに応じて国家や国際社会での付加価値額の合計であるGDPが上がるという理屈がある

この考え方の下では、企業Aや地域経済圏Bとしては、利益の最大化のために、例えば、研究開発及び設備投資の増加や高学歴人材の獲得、取引ルールの明確化を行うことが望ましいといった示唆が得られる

最後に時間の概念を加えると下記の式となる

GDPt=Σfn(A,K,L)
∆GDPt=Σ(∆An,t+∆Kn,t+∆Ln,t)

このモデルが示す行間は国家や国際社会、企業等は短期的な利益のみならず中長期的な利益を追求する存在ということである

③のの考え方の下では、①と②と同様に産業革命の推進や人口動態モデルの転換、研究開発及び設備投資の増加、高学歴人材の獲得等を行っていくことが必ずしも望ましくない。これは資源や技術の制約可能性があるためだ。誤解を恐れず言えば、火力や原子力を圧倒するエネルギー源を見つけることが困難であるし、データに次ぐ資源は何かと聞かれた際に明確に答えられないし、70億人から150億人にしろと言われても無理筋だ。にもかかわらず、限られた資源や人材は利用し続ければ、それらは摩耗し、将来においては短期的な利益さえも得られなくなってしまう。

この考え方の下、つまり資源や技術の限界可能性を考慮しながら、国家や国際社会、企業が中長期的な利益を得る、すなわち持続的に活躍し続けるためには、資源の再利用及びそのための技術開発(例 再生可能エネルギーの活用、サーキュラーエコノミー)や多様な人材の活用・再教育の推進(例 女性管理職の増加、リスキリング機会の提供)が必要となってくる。

これらの考え方こそがまさにESGの根底にあるものとなる。環境に配慮した資源利用・確保(Environment)や人権や福利厚生を考慮した人材確保・育成(Social)、それらを可能とする企業体制・意思決定ルール(Governance)

こののように考えるとESGは非常に良さそうな考え方で、今こそあらゆるプレイヤーがやるべきだと印象を持つ人もいるかもしれないが、大きな弱点もある。

それは、国家・企業を巡る経済安全保障の観点での実効性である。もう少し詳しく述べるならば、国家や国際社会、企業は必ずしもプレイヤー全体の中長期的な利益を得ることのために、行動しないということである。世でいうフリーライダー問題だ。

ウクライナを巡る一件がまさにこの問題を象徴している。各プレイヤーが各々の立場から中長期的にあるべき社会から見たときに短期的と思える利益を確保するために、対立を深めている。この問題に関する詳細の記載は長くなるので避けるが、元来、このフリーライダー的な動きに対して、国際社会はカーボンニュートラルに関するルールメイキング、ファンドはESG投資の徹底等が行ってきたが、今後の趨勢は予断は許さない

上記の通り社会全体の動きが不透明である一方、日本企業にとっての示唆は明確だ。より中長期的な利益の確保のために企業活動や体制を見直すべきである。なぜなら、国家や国際社会のみでは企業が中長期的な利益を確保するための事業環境の整備が不十分であることが明らかになったためである。


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