多様性と平等を謳う現代社会では、様々なバックグラウンドを持ち、悩みを抱えるものたちへの思考の配慮というものが課題になる。それはたびたび「同情」に近しい、どこか歯がゆい行為に収束してしまう。「同情」という言葉の中に、同情できる余裕がある人/同情される人、という社会地位的、資本主義的上下関係のようなものが内在しているのがなんとも気持ち悪い。そこでもうすでに平等が破綻しているではないかと思う。 よく「アフリカの子供たちは~」なんて子供のころ、貧しさの引き合いにフリー素材的なアフ
非常にダサい言葉だ。全然言いたくない。 地元の祭りがあり、何人かの同級生と喋る機会があった。本当に久しぶりに会う人もいた。実に飲まにゃやってられなかった。いろんな意味で。 第一に大勢が無理だ。自分の声が小さいから、会話にならない。ただ頑張って声出して、当たり障りない受け答えをしているのも恥ずかしいのでちょけるしかない。ちょけるには、飲むしかない。 酒が苦手な人もいたので、みんなあまり飲んでいなかった。本当に久しぶりの集まりなので、どんなテンションで話せばいいのかも
蛍がなぜ光るか、知っていますでしょうか。蛍以外にも自ら光を発する生物がこの世には多数存在しています。それら生物の発光は様々な役割を持っている(と考えられている)そうです。 まず一つ、種間でコミュケーションを取るために発光が用いられるそうです。急に光ることによる「脅し」や「目くらまし」、自分は不味い、毒があるぞという「警告」、襲われた時の「防犯」、獲物をおびき寄せるための「誘引」などが挙げられます。自らを守るため、あるいは他者を攻撃するために発光を用います。 もちろん
コロナ・パンデミックを経た我々は「祭り」というもののありがたみをどれほど痛感したことだろう。「祭り」が訪れることのない人生は生活の感覚を麻痺させ、自分が人間であることを忘れさせるように思う。誰にとっても「祭り」は存在し、それに参加するのが生きる目的じゃないにしろ、「祭り」をするときこそ本当に人間が人間になる。我を忘れる生き方ができてはじめて、人間は人間を超え全体ともいえる「世界の神秘」と合流する。このような岡本太郎の「祭り」論は非常に興味深い。彼は祭りを、「自然の周期にもと
課題や責務に追われている際、何か関係のない別のことを衝動的にしたくなってしまうのは人間の本能だそうです。心理学的に言うと「エヴァンゲリオン現象」と呼ばれています。これはレポート提出一週間前になぜか「新世紀エヴァンゲリオン」アニメシリーズ全26話を一気見してしまう大学生の行動からその名を付けられたそうです。嘘です。 逃げちゃだめだ。そろそろエヴァに乗らなければ。人類は皆、エヴァに乗らなければならない瞬間があります。思い出したくない過去、立ちはだかる大きな壁、未来、人間関係、自
1969年、人類が初めて月面に着陸する瞬間は全世界に中継がつなげられ、世界中の人々が同時に画面の奥の未知の世界に熱狂したという。それは日本でも勿論中継され、視聴率は脅威の68・3%を記録したとされる。そして世界40カ国以上では6億人超が視聴したと推定されている。当時の日本では正力松太郎発案による「街頭テレビ」が普及していた。テレビはまだ「一家に一台」の時代ではなく、庶民が購入できるものではなかった。そのため正力は街中に無料で視聴できるテレビを設置し、一つのテレビに多くの視聴
川口(カワグチ):①埼玉県南東部に位置する市。人口は約60万人。越谷市の隣。②臼井義人によるギャグ漫画「クレヨンしんちゃん」に登場する野原ひろしの同僚。③春奈④探検隊 本稿では①について扱う。②の意についても「なぜクレヨンしんちゃんは泣けるのか」について今後書きたいのでそこで触れるかもしれない。③については扱ってもよいが、彼女についてよく知っているわけはないので色んなバリエーションの「かわいい」を並べてみるなどすると推測される。 単発の夜勤バイトに応募した。川口駅集合、
昔から腹が弱い。人の地盤沈下がどのくらい起こるのかわからないが、おそらく私はだいぶゆるい地盤の上に生きている。多分豊洲とか舞浜よりもゆるい。通学中の腸のダイヤの乱れでどれほど学校に遅刻したことか。目的地でもない駅のトイレは大体混んでいて、サラリーマンや、学生がこぞって個室の前に並んでいるのだが、私ほどそわそわしている人はなかなかいない。皆スマホをいじったり、音楽を聴いていたりするのだが、私はそれすらできないことが多い。シャッフルで流れてくる名前のわからない洋楽にキレそうにな
人は矛盾を抱えながら生きる。 楽しいけど楽しくない。 悲しいけど悲しくない。 死にたいけど、死にたくない。 友達だけど、友達じゃない。 やる気があるけど、めんどくさい。 時間はあるけど、時間がない。 遠いけど、遠くない。 眠たいけど、眠たくない。 好きだけど、好きじゃない。 話したいけど、話したくない。 冗談であり、大真面目であり。 男と女。 本能と理性。 自分と他人。 正義と悪。 これらの狭間に生きる。 人はその狭間を彷徨う。 それでも我
今年で二十歳になる。高校生の頃からたまに、成人式でどんなことを言おうか、どんな二十歳になっていようか、帰り道に考えていることがある。当然私に大勢の前でスピーチをする機会など与えられるはずがないが、毎日給食をおかわりしていた偉業が功を奏し、そういう機会が与えられた場合の話をしよう。 大方の予想として、成人式では最終的にネガティヴな感情の総量がギリ勝つのではないかと思われる。大体は他人の変化に対する感情だろう。人に悪い方向へ変わって欲しくない、なんならあのままでいてほしいと思