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アスランの子 

 ※2/19Kindleから電子書籍を販売予定。こちらは中身の一部抜粋です。どこの部分か気になる方はぜひぜひ電書を購入ください。


 シエラ商公国、豪商ユセフ・サルーンの別邸。
 サルーンの目の前に居るのはアーシェラではない。黒い装束に身を包んだ、黄色い髪の男が居る。サルーンは装飾の施された豪奢な椅子に座ったまま、歯噛みしながら目の前の男を見据える。
 黄色い髪の男はひざまずくでもなく立ったままだ。
 乳白色の大理石の床に豪奢な赤い絨毯を敷き詰める。その絨毯の上に、男は土足で立っている。本来なら跪いてサルーンが声をかけるまで視線を合わせないのが礼儀だ。
 二人の間には数人の兵士が居るが、レオンは兵士の存在を無視し、ただサルーンを眺めていた。
「なぜ奴隷風情が私の目の前に居るのか? アーシェラは、我が姪はどうしたのだ?」
苛立ちを隠す事なく言い放つ。
 レオンの左目を黒い革の眼帯が覆う。額から頬にかけて鋭利な傷跡が今も残る。右目だけが不敵な光を湛え、サルーンに向けられていた。
「先のナグサ制圧と東の侵攻の後始末で、我が西の獅子(アスラン)は多忙を極める。代わりに俺が名代を仰せつかった。用向きは書簡にある通りだ」
 レオンが流暢なシエラの公用語で答える。口元に笑みさえ浮かべた不遜な態度に、サルーンのみならず兵士達も表情を強張らせた。
「奴隷風情が名代とは、私も軽く見られたものだ。其方そなた、何故跪かない? 無礼であろう」
「これは失礼。だが俺が膝を折る相手は只一人と決めている。生憎だが貴殿ではない。それより書簡の返事を伺いたい。先の戦でホルスは東を退けた。これを機に東と停戦を結びたいと考えている。その仲介を御身にお願いしたいのだが、どうされる?」
 目の前の黄色い髪の男は、元は奴隷である。東の大国ピストからサルーンの息子が買い受けた元剣闘士だ。その剣闘士を砂漠の途上でアーシェラが掠め取った。
 たかが剣闘士が、シエラ豪商第一席の地位にあるユセフ・サルーンに問う。
 豪商とは貴族であり選ばれた者である。その豪商にこのような態度を取る事が出来るのは、ごく限られた少数の者だけだ。下賤の、まして異国から来た奴隷などにそんな特権を与えた覚えは当然ない。
「無礼にもほどがあろう。貴様のような奴隷を使いに寄こし、あまつさえ、どうするのかと私に問うか。頼む立場にありながら礼儀も弁えておらぬ。アーシェラが、我が姪自らが私の前で膝を折れ。話はそれからだ」
 レオンは静かに失笑する。
 ロタンに限らず、ありとあらゆる者を見下して生きてきた殿上人らしい物言いだ。
 ――嘗て、ピストで散々見てきた人間と同じ部類の男だ。この手合いは見下す相手に対等に来られると逆上する。
 レオンは冷静だ。蛇の特性を見極めた上で挑発しているのだ。
 サルーンが片手を上げて合図を送ると、槍を持った兵士が周りを囲む。
「姪に伝えよ。自ら出向いて我が足元に跪けとな」
 兵士達が一斉に槍の切っ先をレオンに向ける。突きつけられた槍の柄を掴み、力任せに引き寄せて兵士の一人を軽々と放り投げる。見えない筈の左側から兵士が二人、向かって来ている。
 半歩体をずらし、かわすと同時、手刀を首裏に打ち込んで槍を奪う。奪った槍の切っ先を返し、柄でもう一人の鳩尾(みぞおち)を打つ。兵士は悶絶しながら膝を折り、その場に崩れ落ちた。
 五人の兵は呆気なく打ち負かされ、床に這いつくばって呻き声を上げている。
「豪商サルーンよ、何か勘違いしているようだが、選択肢がないのは其方そちらではないのか」
 床に転がる兵士に槍の切っ先を突きつけたまま、冷たい眼差しをサルーンに向ける。口元には冷笑さえ浮かべている。
 再び、左側から兵士が近づこうとするが、振り向きもせずに槍の柄で打ちのめす。踏み込む隙が見出せず、兵士達の動きが完全に止まった。
「この奴隷が! 礼儀を知らぬだけならまだしも、この私に意見する気か!」
 椅子から立ち上がり、サルーンが声を張り上げる。眉間には筋が浮かび、顔は赤く高揚していた。
 兵士達を蒼い右目で牽制しつつ、唄うように高らかにレオンが告げる。
「西ルーサで採れる鉄、それを失うかどうかの瀬戸際にいるのは、其方そちらだと言っているのだ」
 サルーンの表情が凍りつく。すかさず畳みかける。
「ホルスの製鉄技術は群を抜いている。俺が知る限り、ピストや諸外国の物に比べても、これほど良質な鉄はそうそうない。その鉄が直接東に渡ればどうなる? シエラが恐れているのはそれだろう」
「下らん事を。鉄の価値を知っているからこそ、我がシエラはホルスの友たり得る。これは先代アズイールの頃より培ってきた道筋である。第一、我がシエラに頼らず、ホルスがどう鉄を売り捌くと言うのだ。東の蛮族バルロイ共が、我らより高値をつけるという保証がどこにあるのか。我が姪はそんな事も理解出来ぬほど愚かではない」
 この返答にレオンは高らかに笑いだした。
 冷たい大理石の床に乾いた笑い声が反響し、木霊する。
「高値か、笑わせてくれる。シエラがホルスの鉄につける値は、ピストが西のシー国につける値の半分以下ではないか。ホルスがシエラを介さず外に目を向ければ、今より更に力をつける事になるだろう。そうなれば困るのはシエラだ。違うか、サルーン」
 今度はサルーンが絶句する。
 ――異国から来たこの男は、僅か二年足らずでシエラとホルスの関係を見抜いている。加えて、諸外国の情勢にまで精通している。
 製鉄は国家間の力関係に影響を及ぼす重大事だ。
 より良質な鉄を得る為に、ピストをはじめ諸外国の面々は海を渡り、このイルドゥシア大陸、シエラ商公国までやってくる。無加工の鉄鉱石であれば、馬車一台分が塩四台分に相当する。同じイルドゥシア大陸にあるシー国でも鉄は産出されるが、品質はルーサで採れる鉄と比べるまでもない。無加工の鉄鉱石だけでも十分な利を得られる。西ルーサで採れる鉄はそれほど良質なのだ。だが、サルーンが欲しているのは鉄鉱石ではない。
 先代西の獅子アスラン、アズイールが造りだした至高の鉄、ダマス鋼。
 どれほどサルーンが要請しても、アーシェラは決して、それを出荷しようとはしない。交易で手に入るのは無加工の鉄鉱石だけだ。
 万が一にも、ダマス鋼が東の獅子シンハの手に渡ればどうなるか?
 あってはならない事である。
 サルーンは射貫くような蒼い眼光を真っ向から見返す。決して膝を折らずに対峙する姿がある男と重なり、背筋を悪寒が駆け抜ける。
「下らん。鉄が欲しいだけなら、シエラが直接西を呑み込めば良いだけではないか。そうしないのは、一重ひとえに私の恩情なればこそ。それが理解出来ぬほど我が姪、アーシェラは愚かではない」
 こめかみを手で覆い、表情を隠しながら答える。レオンは愉快そうに手元の槍を弄び、反論する。
「シエラが西を呑み込むなどあり得ぬ話だ。それが出来ないから、ヤディン・ナグサを唆してホルスの力を削ごうとしたのだろう」
 サルーンが顔を上げ睨むように見下ろす。レオンは口元に嘲笑を浮かべたまま続けて言い放った。
「ご苦労な事だ。先代アズイールの頃より蛮族バルロイと蔑む連中を飼い慣らそうと手を尽くし、此度もヤディン・ナグサを唆しホルスを窮地に追いやり、アーシェラが泣きついて来るのを待った。だが結果はどうだ。逆にアーシェラ・アスラン・ホルスの勇名を知らしめただけに終わった。さぞ悔しいだろう、豪商サルーン」
「私がナグサを唆したとは何の話だ。貴様は何を言っているのだ」
 サルーンは視線を逸らす事なく応じる。
「証拠も何もない話だ。ナグサの件を追求するつもりはない。豪商サルーンよ、東と西がぶつかり合い、互いに疲弊した時点でシエラが乗り出す。大国の考えそうな事だが、我が西の獅子アスランは馬鹿ではない。戦闘が長引けば、鉄を担保に東に停戦を申し出るだろう。そうなれば貴様の立場も危うくなるぞ」
「それは姪が、アーシェラがそう言っているのか? ナグサの件で甥御が犠牲になったのは気の毒に思うが、アズイールと私は長年の友だった。先代の頃から今まで、ホルスの為、西ルーサの為に尽力した私の恩情を疑うなど、姪はどうかしている」
「語るに落ちたな。何故アラン様の事を貴様が知っているのだ」
 レオンは失笑する。
 豪商は商人というより貴族である。自分の手を汚す事を嫌い、自尊心だけが肥大した特権階級の人間だ。見下す相手に自尊心を傷つけられるのを何よりも嫌う。サルーンから見て、レオンは蔑むべき奴隷でしかないのだ。
挑発して本音を引き出す。
 今回の交易で、レオンがアーシェラの代理を務めているのは理由がある。
 サルーンの反応を直接確認する為だ。
『裏で暗躍するなら、表舞台に引きずり出せばいい』
 そう進言し、自らサルーンと対峙する事を選んだ。
 アーシェラが長として判断を誤る事は心配していないが、一本気な性格で腹芸の類いは苦手だ。狡猾なサルーンから本音を引き出すのであれば、自分が適任だと判断し、代理を買って出た。
「貴様、この私を愚弄する気か」
 歯噛みしながらサルーンが言い放つ。顔は怒気を孕み、豊かな顎髭は遠目からもはっきり見て取れる程度に震えている。 
「豪商サルーンよ、ナグサの件は勿論、先代アズイール殿の事も追及する気はない。このまま、東と開戦となれば最終的にホルスは負けるだろう。そうなればホルスは勿論、シエラも打撃を被る。ならば停戦の仲介役として名乗りを上げ、名実ともに我が妻アーシェラの後ろ盾となり鉄の交易を牛耳る機会を得よと、そう進言しているまでだ」
 レオンの言葉にサルーンの動きが止まった。目頭を押さえ、荒く息を吐き出し熟考する。
 ――目の前にいる男は異国から来た奴隷でしかない。それが、さも対等であるが如く振る舞い、取り引きを持ちかけてきた。はっきり言えば不快であり、怒りを禁じえない。だが、この男の言は核心を突いている。
 ナグサの一件は、サルーンにとっても誤算だった。
 甥を質に取れば、アーシェラは逡巡する。その間に他氏族がナグサに呼応し、ホルスは再び窮地に追いやられる。そうなればサルーンを頼る、その予定だった。
 なのに、僅かな時間でナグサを制圧し、同時期に押し寄せた東の大軍すら退(しりぞ)けたのだ。
 これまでの経緯を振り返り、サルーンは最善の道を模索する。
 本来、東側、東の獅子シンハの担当は豪商第二席カリム・サルマンである。そのサルマンが数か月前に忽然と姿を消した。この事は公(おおやけ)にはしておらず、豪商達以外は知らない。
 サルマンの不在、それは東との伝手つてを失った事を意味する。打つ手がない現状に、サルーンは歯噛みし苦悩する。
 東の獅子シンハは、シエラが課す関税の支払いを拒否し、逆に自身の領土を通る商隊に関税を課して来た。支払いを拒否すれば荷を強奪される。
 今やシエラの交易は陸路の一部が閉鎖され、海路と西の山越えの経路に頼るしかないのが実情である。東の獅子シンハを懐柔し、東に西を併呑させるよう、提言する豪商まで出て来る始末だ。
 ――このままでは自分の立場が危うい。
サルーンは焦っていた。
「よく回る口だ。貴重な鉄が買い叩かれ、東に渡るのは私の望むところではない。仲介役、この私が名乗りを上げてやろう。我が姪に伝えおけ。この非礼は必ず償って貰うとな」
 サルーンが片手を上げ、床に転がる兵士達に下がるよう合図を送る。
 レオンは冷笑を浮かべたまま応じる。
「承知した。約定の証しに我が妻の、母御の遺品、あれを返して頂こうか」
「何を言うかと思えばくだらぬ。あれは貴様の対価ではないか。それとも我が元に戻るとでも言うつもりか」
 サルーンが吐き捨てる。込み上げる笑いをどうにか堪え、レオンが腰帯に下げた袋を取り出した。
「俺の対価は金一袋、あの首飾りと宝剣では取り過ぎだろう」
 言いながら、赤い絨毯の上に金塊をばら撒き始めた。
 サルーンがさも不快げに顔を歪ませる。
「たかが剣闘士が、身の程も弁えぬか」
「これは取り引きだ。東との停戦に豪商サルーンが乗り出し、有利な条件で交易の権利を牛耳る。代わりにアーシェラ・アスラン・ホルスはシエラという大国の後ろ盾を得て、西の獅子アスランとしての地位を確固たるものにする。俺が無事に戻らねば、この交渉は決裂したものとみなされるが如何する? 豪商ユセフ・サルーン卿よ」
 無表情で淡々とした口調だが、声音にはどこか小馬鹿にした様な含みがある。
 怒りがいやが上にも増して行く。しかし、どれほど不快であろうと、最早選択の余地はない。
 サルーンが手を叩くと、近習が金に縁どられた赤い箱を持って現れた。
 皺だらけの指から緑の宝石がついた指輪を外し、箱の中に放り込む。
「東との仲介、確かに引き受けよう。約定として、この箱を持って行け。それで姪御は理解する」
 努めて穏やかに答えるが、眉間には深く溝が刻まれ、目は赤く充血している。
 目の前にいる黄色い髪の男が、アズイールと重なり苛立ちが募る。
 ――アズイールもそうだった。常に自信に満ち溢れ掴みどころがない、そんな男だった。
 ざらついた、不快な物が腹の奥を撫で回し、悪寒が背筋を抜ける。
「承知した。これは、ささやかな礼だ」
 レオンが手にした槍を振り上げ、部屋の隅の暗がりに投げつける。槍は影を掠め、鈍い音を立て転がり落ちた。音とともに、一つの人影が姿を現し、床に崩れ落ちる。
「面白いものを飼っている。あまりロタンを見くびらぬ事だ」
 レオンが背を向け歩き去る。
「ピストで剣闘士をしていたと言っていたな。あの男の事、可能な限り調べよ」
 誰もいない空間に告げると、影が揺らぎ消えて行った。
 ――ピストに呑まれた小国の将、北の獅子レオ・セプティリオントーネスと呼ばれた剣闘士。
 立ち去るレオンの後ろ姿を見ながら、サルーンは一人、大きく息を吐き出し、思考を巡らせる。


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