短編小説《生活》

 大学の講義が終わったのは太陽が顔色をオレンジに染めたあたりだった。空っぽなのはわかっているのに、買い物に行く面倒臭さが記憶違いを期待して、僕の脳内に何度も自宅の冷蔵庫内部を描かせた。おでんのセールが今日までだということを同じ研究室の堀谷から聞いたことを思い出し、家と大学のちょうど真ん中くらいに存在するコンビニエンスストアに向かった。

 靴を緩く履く癖からか、ソールの減りが異常に早い僕にとって、先日古着屋で購入した new balance 574 のフィット感は新鮮だった。 台風16号が過ぎ去り、秋の匂いと哀愁を含んだ風を長く伸びた襟足で感じることで、3ヶ月は美容室に行っていないことに気がついた。

 自転車を持っているが近場であれば徒歩で移動することがおおい。ゆっくりと流れる景色を眺めることが、唯一の趣味として楽しんでいるふりをしている。好きな音楽や映画や小説がない訳ではないが、そのどれを話しても興味を示してくれる友達がいないのだ。自分が”特別”という前向きな存在だとは思わない。只々、大学という小さくも膨大なコミュニティに、切り離された存在であると認識するのである。同時に、人見知りで自ら話しかけることなどできないくせに、自分と趣味趣向が共鳴する人間を探していることに、皮膚の内側で赤面する。

 コンビニエンスストア特有の、住宅地にそぐわない白い光がぼやぼやと視界に入ってきた。歩みを進めていると突然、「くだらないからやめなさい。」という小さい頃によく聞いた、母親が口癖のように言う台詞が脳内で2秒間程インターバルを設けてリフレインした。僕にとって初体験ではなかった。この大学に入学してから度々、この現象に襲われる。

 自覚はしている。昼は大学の講義を受け、夜はバイトをするという毎日にくだらなさを強く感じている。目標があった訳ではなく、世間の常識を追いかける形で大学に進学した。高卒で社会に出るということに怖気づいていたのも事実であるが、同い年で社会に出て対価を得、立派に生活している人の報告を聞くと案外生きていけるのだと思った。

 特に予定がなくても週に2日はバイト先に休みを貰っている。そうでもしないと毎日シフトを入れられてしまうからである。確保した時間はというと、ベッドの上に横になりながら気になるネットの記事や、YouTubeで見逃したテレビ番組などをスマートフォンで鑑賞してやり過ごす。生産的とは程遠い場所で呼吸を繰り返している。何故つまらないことに時間を浪費してしまっているのか。答えがわかっているはずなのに、他人事のように不思議そうな目を自分に向けている。そんな自分を説教してやりたかった。自分の内側には、大きな夢を持ち、それに向かってひたむきに努力をして生活をしている理想的な自分が確かに共存している。その実体を持たない自分の前に、手も足も出ないという安易に形容できる形で、実体を持つ僕が膝を着いてうなだれている。こめかみのあたりに血が上って熱くなっているのが手を触れないでもわかる。白い四角に黒抜きで「押」と書かれた扉を凝視し、半ば悔しさに持ち上げられた腕で大げさに押し開けると、雑誌コーナーで週刊誌を立ち読みしている頭の薄いサラリーマン風の男が怪訝そうにこちらを一瞥した。

 350mlの黒ラベルをレジに置き、目的のものを4種類店員に告げた。できるだけ腹に残ると思われるものを選択した。店員は商品を丁寧にカップに入れ、それ専用の蓋を液体が漏れないようにきっちりと閉め、慣れた手つきで延々と店名がプリントされたテープを適当な長さでカットし、蒸気口を塞ぐように貼り付けた。そのあとで小包装されたウエットティッシュを2つレジ台下の引き出しから摘まみ出し、会計を済ませた僕の食料とともにレジ袋に入れた。それを好意として捉えるのが紳士であり、普段の僕であれば何も感じないはずだった。ただ、あの時の心理状態では、よれたチェックのネルシャツを羽織り、色の激しく薄いジーンズを履き、半月以上は放置しているであろう無精髭を蓄えた男に、「これで全身を拭け」という、無言の訴えとしてしか受け止めることができなかった。こめかみあたりの熱は上昇し頭のてっぺんまで到達しているようであった。やるせなさと情けなさとの交差点に僕は立っていた。大声で叫びたかった。誰にも助けてもらいたくないのに助けてと叫んでみたかった。

 味を想像したり食べ終わったあとの満腹度を予想してしまうと、目の前の食料を口に入れても十分な満足感が得られなかった。まともに肉体を労働させていないのに、いい加減な時間になると腹が減る人間の構造に腹が立つ。一時間強の間、驚くほど体は動くことなくベッドの上でいつものようにやり過ごすと、ローカル局のワイドショーが全国放送のバラエティ番組に切り替わった。40分後には家をでて、バイト先である24時間営業のスーパーへ向かわなければいけないため簡単にシャワーを浴びた。ドライヤーの風向きを変えるパーツが無くなっていることに、いつからか違和感すら感じなくなっていた。

 ママチャリと呼ばれるタイプの自転車にまたがり住宅地を抜け、店が坦々と配置されている通りへでた。オレンジ色のライトは進行方向ではなく斜め上を照らし、時折道路標識の看板に光を当てていたのが阿保らしかった。道路交通法を守るために搭載されているという認識でしかないため、ライトが明後日の方向を照らしていようが、点灯している事実があればどうでもよかった。人通りのある街灯の多い道を走行するため不便はなかったし、安物の自転車に修理代を消費することなど以ての外だった。

 この日も特に社員に咎められることはなく、2年半続けている同じような作業を6時間無心でこなした。深夜だというのに小さい子供を連れた若い夫婦が来店した。発端は知り得ないが口喧嘩をしたせいで、母親の膝上あたりに身を潜めた子供が、顔をくしゃくしゃに歪ませることで涙を溜めていた。幼さを含んだ泣き声が僕だけには聞こえていた。自分とは関係のない世界で広がる彼らの未来を図々しくも心配していた。この日最後に対応した客がその家族だった。

 空は綺麗な水色をしていた。高校生のときに修学旅行で泊まった京都の旅館で、早朝、仲のよい友達数人と露天風呂に浸かったのを思い出した。浮かべた映像が目の前の映像とリンクした。規則正しく地球を照らし、時間を進める太陽の存在が楽に思えて嫉妬した。

 深夜は無かった燃えるゴミ専用の赤い袋が家から最寄りのゴミ置場に複数置かれていた。それでも隣の住人は寝ている可能性が高いので、ジーンズの右ポケットから取り出した鍵をゆっくりと差し込み解錠し、足音を立てぬ様に中へ入った。朝日が差し込んだ部屋に人工的な光はもはや不要だった。

 冷やしておいた缶のプルタブを起こし、中身を一気に喉へ流した。先ほどかいた汗はとっくに渇いていたが、不快感が身体中をコーティングしていた。汗をかくと解っていたのに、思考せずシャワーを浴びてしまった数時間前の僕をどこか遠くでこちらを観察する僕が笑っていた。空腹も疲労もしない実体を持たない僕だ。彼はやっと聞こえるくらいの音量で僕に言い放った。

「生活はしているけど生きてないんだよ。お前」

「わかってるよ」

言いながら部屋の灯りを消した。冷たくなったベッドには心地良さがあった。布団の中が少しずつ暖まるのを実感し安心した。

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