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シオカワの物語

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架空の人物の本当にあったような物語です。
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記事一覧

アメリカの語学学校卒業 -留学編 その9-

2か月のセッション×5、計10か月を経てアメリカの大学附属の語学学校を卒業した。 授業は月曜日から金曜日まで午前3時間、午後の授業は曜日によって1時間だったり2時間だったり。 これだけ聞くと授業少なくて楽そうに聞こえるが、上のクラスに行けば行くほどホームワーク(宿題)の量が半端ない。 なんやかんや平日は大学の図書館や家で遅くまで勉強していた気がする。 日曜日の夜まで宿題あるの忘れてたこともあった笑 何を勉強したか詳細は覚えてないけど、海外営業の仕事をしていると英語でメール書い

語学学校のイベント -留学編 その8-

語学学校主催のアクティビティと呼ばれるイベントが開催された。 1セッションの2か月の期間、毎週何かしらのアクティビティが開催されていたと思う。 アクティビティに行けば違うクラスの友達もできるし何かしらの経験にもなる、そして何より学費にはアクティビティの費用も含まれていたので、極力参加するようにした(笑)。 今回は語学学校でどんなアクティビティがあったかを思い出しながら紹介します。 平日に開催されたイベント週に1回か2回、主にクラスが終わった後の夕方くらいから開催されたイベン

当時のアメリカへの語学留学の費用 -留学編 その7-

※はじめに この記事は1X年以上前に筆者がアメリカの西の方に留学した際の経験をベースにした物語です。 当時は1ドル=80ぐらいで物価も今と比べて相当安かったと思い…安かったです。 金額をおぼえてない/うろ覚えなところがあり、今まさに留学しようとしている方の参考にはあまりならないかもしれませんが、留学するとこんなことに費用がかかるんだと思っていただけますと幸いです。 準備費用ビザ申請費用、ビザインタビューの為にアメリカ大使館に移動する費用、事前の健康診断(ワクチンの抗体検査込

留学中、語学学校でどうやって英語力を伸ばしたのかについて -留学編 その6-

今回は、20歳まで海外在住経験がない自分が突然アメリカの語学学校に行って、どのように留学中に’英語力’を身につけたかについてのお話です。 日本の英会話学校で駅前留学(当事流行っていた言葉です)をして多少の会話力は身についたと思っていたが、留学後それはただの思い込みだということを思い知らされた。 ネイティブの喋る英語が早すぎるし、こちらの英語を誰も理解してくれないのだ。 なるほど、英会話学校のネイティブの英語の先生は’カタコトの英語を喋る日本人と会話するプロ’だったんだなと痛

アメリカに語学留学 -留学編 その5-

アメリカの専門学校に行く前に大学附属の語学学校にいった選択は正しかったと思う。 日本で英会話学校にいっていたが、英会話学校の英語では現地のマシンガンレベルの早口英語に太刀打ちできなかったし、文化や言葉の壁は思ったより高かった。 語学学校で世界中の同世代の人たちと交流することで英語のレベルを飛躍的に伸ばすことができたし、何よりいろんな国の価値観に触れることで違う人種、違う文化を受け入れられるようになった。 世界中の人たちに触れる中で自分の視野が広げることができ、結果として専

アメリカ留学で感じたカルチャーショック -留学編 その4-

※はじめに この記事は1X年以上前に筆者がアメリカの西の方に留学した際の経験をベースにした物語です。 アメリカも州によって文化が全然違いますし、もちろん出会う人によって感じることも変わってくるかと思います。 (私が会ったアメリカ人は、すれ違った人を含めても3億人を超えるアメリカの人口の1%にも満たないです) アメリカに数年、遊学してた奴がこんなこと感じたんだなくらいに思っていただけると幸いです。 日本という島国の片田舎出身の自分が痛感したのは、アメリカは「移民の国」というこ

アメリカ留学渡航前の準備 -留学編 その3-

※はじめに この記事は10年以上前に筆者が留学した際の経験をベースにした物語です。 恐らく現在のアメリカ留学に必要な準備とかなり違っていると思います。 一種のエンタメとしてご覧ください。 留学をするにあたり知識が全くなかった無知なギター少年は、バンドメンバーが過去に利用したことがあるという留学をサポートする民間企業を訪ねることにした。 思い立ったら即行動するタイプだったのですぐに電話してアポを取った。 受付が英会話学校の受付みたいな雰囲気で留学への実感が湧いたのを今でも覚え

プロのギタリストになるためには

18歳でロックの本番アメリカでギター演奏を学ぼうと思った自分は、先ずは基礎的な技術や知識を日本で学ぼうと思った。 海外経験も何もない自分が、高校卒業後にいきなりアメリカに行っても英語での現地の授業について行ける自信もなかった。 留学後の親への負担を考慮して実家から通える名古屋の音楽学校に通うことにした。 名古屋での学生生活はあくまで通過点と思っていたが、今思い返せば自分の身の程を知る重要なフェーズだった。 自分はギターが上手いと思っていたが、それはあくまで田舎の小さなコミュニ

留学の5W1H -留学編 その2-

高校時代からなんとなく海外に憧れていた自分は、 幸運にも20歳で個人で留学という選択肢を選ばせてもらえた。 これは一重に夢見がちでアホな息子を金銭面を全面的にサポートをしてくれた親のおかげではある。 そのことは十分に承知している。 だが実際にこの選択の舵を取ったのは自分だ。 いうならば親が出資した資本家で、私が私という会社の経営者である(?) きな臭いビジネス勧誘みたいな話になったついでに、 資本家ならぬ親をどう説得したのかビジネスでよく用いられる5W1Hで解説しようと思

200X年 -留学編 その1-

今からほんの20年ほど前に今の時代の骨組みが仕上がったと思う。 インターネットがかなり広く普及した。 通信速度はかなりスローだったが… ガラケーが普及したのもこの頃だ。 高校生にもなれば誰もが自分の電話を携帯していた。 就職氷河期の真っ只中。 日本の未来が目に見えて曇り始めた。 レトロと呼ぶにはまだ早い20年ほど前、僕は高校生だった。 お年玉を貯めて買ったギターと細いシールドを入れたギターケースを背負い田舎道を自転車で駆け巡っていた。 耳にはイヤホン。 当時流行っていたイ

まえがき

僕の故郷は工場と田んぼしかない東海の田舎町だ。 数年ぶりの故郷は僕の思い描いていた景色からは程遠いものだった。 自転車に乗って駆け抜けたあんなに広かった畦道も田んぼも見窄らしいミニチュアのように感じてひどく現実味がない。 よく「海外にいたあの頃は夢のようだった」と回顧する人がいるが、僕には故郷がいつか見た夢のワンシーンのように感じた。 上京して早3年、故郷を離れ18年以上。 過去を紐解けば留学していたことも海外に駐在していたこともあるが、今は東京に住むただのサラリーマンだ。