Project U/0 #005

#005 結縁の狼煙


「おはようございます。」


アズマは研究室に足を踏み入れると
クジョウに向かって挨拶をする。


「ああ、おはよう。コーヒー飲むかね?」

「いただきます。」

「うちの研究室は飲食自由にしているから、ここのコーヒーや紅茶も好きに飲んでいいからね。」

「ありがとうございます。」


アズマはメラミン製のマグカップを受け取る。
一口つけると、苦味と酸味が口の中に広がった。

ふと、懐かしい様な気配がアズマの胸を擽る。


「匂いというのは記憶に深く結びついている気がするんです…コーヒーにはコーヒーの記憶があります。」

「わかる気がするよ。私は井草の香りを嗅ぐたびに幼い頃の祖母の記憶を思い出す…そんな感じかな?」

「ええ、そうです。自分は日曜日を思い出します。」

「日曜日?」

「日曜日の朝はコーヒーの匂いで目が覚めるんです。そういうなんでもないような風景がフラッシュバックします。」


アズマは急に我に返った。
何故、まだ知り合って間もないクジョウに
自分の記憶の話をしたのかわからない。
なんとなく、そういう気持ちになった。


「すみません、つまらない話を…」

「いや、いいんだよ。他愛のない話からひらめきは生まれたりするものさ。私は無駄話を愛しているよ。」


クジョウは愉快そうに笑うと、
自分の机に向かって歩きながら話し出す。


「私にもコーヒーの記憶があるんだ。妻が淹れてくれるコーヒーがこの世で一番おいしかったんだけど…
若かった私はそういうことを伝えるのを恥ずかしがってね。」


クジョウは机の上の写真立てに手を伸ばす。
寂しそうで愛しそうな目を向ける。


「私の研究はそういう伝えられなかった事、もう触れられない事、目に見えないもの、忘れてしまったもの、それらを具現化することが目的なんだ。」

「随分、抽象的ですね…」

「そう、抽象的で非科学的に思われてきた事を科学で証明する。それが私の研究分野なんだ。」

「そうなんですね。自分は今まで身近にあるものから着想を得た研究が多くて…お力になれるでしょうか?」

「もちろんだよ。だから、君に来てもらったんだ。アズマくん、君でなくてはダメなんだ。」


そう言ってクジョウは真っ直ぐアズマを見つめた。
そこにある期待を託すような眼差しだった。

対して、アズマは腑に落ちないような表情で
自分でなくてはいけないという言葉を反芻していた。

この言葉の意味なんだろうか。
クジョウは自分に何を期待しているのか。
困惑する反面、自分自身を認められた気がしたのも
確かだった。


「早速、現在の実験の話をしてもいいかな?」

「はい…お願いします。」


言葉と裏腹にアズマは気後れしている様子だが
クジョウは気にする事なく言葉を続ける。


「今、我々が行なっている実験は
      ーーー自殺志願者の救済実験だ。」






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