choroの記録 ブラジルDCOのネット記事より

 Nascido em 4 de maio de 1897, no Rio de Janeiro, Pixinguinha, cujo nome de batismo era Alfredo da Rocha Vianna Filho, tornou-se uma figura icônica no cenário musical brasileiro. Filho de Raimunda Maria da Conceição e Alfredo da Rocha Vianna,・・・

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 1897 年 5 月 4 日にリオデジャネイロで生まれたピクシンギーニャ、本名はアルフレド ダ ロシャ ヴィアナ フィーリョは、ブラジルの音楽シーンの象徴的な人物になりました。ライムンダ・マリア・ダ・コンセイソンとアルフレド・ダ・ロシャ・ヴィアナの息子として、彼は13人兄弟の大家族で育ちました。

 Choroを演奏する、もしくは聴く上で必ずと言ってよい固定名刺のような人物、ピシンギーニャ氏。1897.5.4は彼の誕生日だったそうです。はじめはフルート、後にサックス演奏者としてChoro(ショーロ)界隈のスタートとして活動されました。今回の記事の中で注目すべきところは、じつは彼の生誕時、つまり彼の家柄について書かれていることです。

 Desde cedo, Pixinguinha foi influenciado pela rica coleção de partituras de choro mantida por seu pai, que incluía obras de Joaquim Antônio Callado, considerado o “patrono dos chorões”.

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 ピクシンギーニャは幼い頃から、父親が保管していたショーロ楽譜の豊富なコレクションに影響を受けました。そのコレクションには、「チョロエスの守護聖人」と考えられているホアキン・アントニオ・カラドの作品も含まれていました。

 彼が生まれた年が1897年ですから、少なくとも19世紀後半にはブラジル国内でChoro(ショーロ)の楽譜が出版、販売されていたという事になります。その金額や内容は不明ですが、少なくともかなり裕福な層しか手に取ることはできず、高所得者の趣味的な娯楽と受け止められても仕方がない側面はあるようです。2017年、私がリオで見学させてもらった楽譜屋は、ブラジル国内だけではなく、海外の作品もいくつか置いてありました。今でこそネットでのやり取りが多い時代ですが、19世紀ともなれば人脈と情報、そして収入が無ければその世界での活動は相当に困難だったようです。

 ともかく、ブラジル有史からのありようは、その多彩な人種による編成と文化の混合によるもので、単一の欧州型クラシックのみに影響を受けたわけではないようです。その証拠となる一文が上記の抜粋記事ですので、興味がある方は下記リンクから記事に目を通してみてください。

DOC
https://causaoperaria.org.br/2024/4-5-1897-nasce-pixinguinha-o-rei-do-choro/

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