「頭の中でわかった気になっている」
これは、自分への戒めとしてつらつらと書いてみます。
未知と遭遇した時、
人は「新しい知識」を得る機会に直面していると言えます。
自分は・・・特に30代になるまでは、自分の中の普通、当たり前、常識といった価値観を正として、そこで照らし合わせて、ありのままを捻じ曲げたりしながら、頭の中で理解したつもりでいるような生き方をしていました。
教育心理学概論の中にも近しいことが書かれているような、己の知識に対する推論のはしごのような。結果的に学習できる量は少ない生き方だったのだろうと今は感じている、新しい知識に対する解釈の仕方だったと思います。
新しい知識の理解の仕方
新しい知識を既存の知識とは異なると理解する、
もしくは既知を感じたとしてもUnlearn状態で学び直そうとする、がスタートになると思います。これがそもそも難しい。
とはいえ、既知と未知を何かしらの形で繋がないと学習は難しいです。
既存の知識や言語を手がかりに、知識の習得に向けて最短距離を模索します。
そこから人と対話したり自ら体験するなどの過程を経て、自分の知識を拡張(もしくはアップデートなどかもしれない、を)していくことがきっと学習のゴールなのだと思っています。
ではなぜ、冒頭にあった、この下図のパターンがいけないのでしょう?
海にいる生き物は魚である
例えば、海にいる生き物を魚🐟だと学習しています。
(=既存の知識)
すると、鯨を初めて認識した時、鯨は魚だと思い込みます。
鯨は魚である
(誰かがつけた区別でもあるのですが)
既存の知識を前提に目の前の未知と向き合った時、
鯨を魚類で括ろうとします。
おそらく、これを読まれている方は、鯨が哺乳類である知識をお持ちでしょう。
何かしらの機会で魚(魚類)と鯨(哺乳類)の分類を学んだ際は、腹落ちしたかどうかは別として、新しい知識が得られたことでしょう。
そこから、図書館や図鑑といった情報源にアクセスしたり、現代ではGoogleやChatGPTなんかで検索をして、情報を得て、対話だけでは腹落ちしない部分を埋めることで、自分の知識として取り込んでいくのだろうと推測します。
私自身、この記事を書きながら、漢字の歴史や各国でどのように解釈されてきた歴史があるかなどを知ることになり、腹落ち度合いが増しています。
戒めを再掲しますが、既存の知識に当てはめて未知を解釈しようとすることは、避けたい自分がいます。その状態で他の人に誤った情報を正しい装いで伝えることをやめなければならないと思う自分がいます。
上司と部下、親子、先生と生徒。お互いに学び合える状態は作れているでしょうか。
ペンギンは魚である
水族館にいて、水の中にいて、空を飛べないけど、鳥。
なかなか認知負荷の高いテーマですね。ペンギンを初めてみた人が納得できるように、皆さんは説明できるでしょうか。
鳥という事実を知っているだけで、相手を腹落ちさせることはできるでしょうか?
ChatGPTよりも精度の高い説明ができるでしょうか?
では、どうすれば?
学びの量を最大化するためには、物事と向き合う姿勢が大きく影響するのだなと思いました。
有名な書籍では教科書で得た知識は最新じゃないことを教えてくれました。
FACTFULNESS
日本においても、鎌倉幕府の年号が教科書によって異なっているなど、解釈が変わったりして学校で教わる内容に変化があるようです。
U理論
これまでの成功体験から自分の中のセオリーが生まれると、ついその方法を選択しがちです。
未知と遭遇した時、これまでの解き方で解決しようとしていませんか?
それでうまくいかなかった時、アプローチの仕方を変えていますか?変えられますか?
意識や行動を変えるのは簡単ではないのですが、変化させてみたことによって新しい景色が見えた経験をした時、個人的にとても腹落ちしたのがU理論でした。
他にもいろんな考え方・捉え方・向き合い方があると思います。ぜひ教えてください。
新しいものを新しいとして捉えて受け取って新しい学びを得る生き方ができたらと、改めて思うのでした。
おまけ
U理論、漫画版の方がとっつきやすいです
エッセンシャル版も出ています
過去のLTでも取り上げました
(けど、そんな詳しいわけじゃないです・・・それこそ解釈の思い込みが大きいかも)
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