与える続ける活動-ボランティア
【与える続ける無私のボランティア活動】
自然震災から学ぶ💑思い遣り
💕思い遣り・優しさ
ボランティアは「無欲無私の無償の活動」
近年自然震災や原発事故の被災地へ
の支援やボランティア物質的援助を
自発的にされている殆どの方々は、
何らかの見返りを求めたり望んで
被災者支援行動や活動をしているとは
彼らのひた向きな行動から到底思えません。
そのような中で、スポーツマン、
芸能人や著名人のそうした支援活動を、
ごく一部の方が見返りを求めた売名行為
とマスコミなどで評していますが、
決してそのようなことで活動している
のではない、と信じたい気持ちで一杯です。
また、
それが喩え売名行為であったにしても、
彼らの活動そのものは、被災地各所で
生かされて人々の心に温かな気持ちを
生み出していると思います。
神戸や東日本災害が起きる前の日本は
世界でも類を見ない様々な支援活動や
物資・人の援助を積極的にする国でした。
その日本で起きた
2011年の東日本大震災の被災地へ、
多くの国々からボランティア活動、
支援活動や予想すらできない位の金銭的、
物質的な援助も数えきれない程多くありました。
この様な有り難い支援活動をされた
世界各国の皆さんは、口を揃えて
「お世話になった、日本のへの恩返し」
など、心の温まるコメントを発しています。
それでは、
日本が今迄行って来た様々な支援活動や
援助は、見返りを求め、望んでしたのか?
と言うと、
決してそのようなことはではなく、
同じ地球上で生活する人間として、
多種多様な被害や災害を受けた国々へ
人道的な立場と夫々の被災地の人々を
思い遣る心で行ったと確信しています。
【マナーの本質、それは思い遣り】
さて、話は変わりますが、
私どもH.Pの記事に
「上着・貸してくれる男・心理」
の検索語がありました。
この男性の心理は、
何等かの見返りを求めて上着を
貸す場合とその男性の持つ相手を
思い遣る優しさから自らのことを
意識せずに上着を貸す行動をする
場合があると二通り考えられます。
後者と同様に相手を思い遣る優しさから、
自らのことを意識しない行動や会話が
大震災の被災地でも数多くの被災者や
支援する人々に見られました。
この行動(活動)は、正しく利他の精神や
「情けは人の為ならず」と言った言葉で
表現されている人を思い遣る心の現れです。
「思いやる心」を表す形=所作がマナーです。
それ故に、マナーは、見返りを望んだり、
求めたりするものではありません。
日常生活や仕事上で思いやりの形である
と言うマナーの原義を忘れ、
挨拶や感謝を強制したり望んだり
求めたり、酷い場合には押し押しけたり
している場合が多々見受けます。
また、挨拶の語彙や目的を知らずして、
挨拶を返すのが当たり前と言う認識からか
マニュアルに載せたりして無理強いしている
サービス業などのお店も少なくありません。
或は、
「してあげた」と思う心があるが故に、
その心の裏側にある「してあげたのだから」
と言う見返りを望み求める意識が
大切な人を失ってしまう行動や態度、
言葉使いに表れる場合もあります。
このことと共に、
『魅力、知恵は求めるものにあらず、
自然体で与え続けるもの』
である、と言うことを同時に自覚し、
認識することも弁えておきたいことです。
日々も様々な人との触合いがある職業で、
お客様や相手から「ありがとう」の感謝の
言葉を頂いた時の喜びは自らの心の中に
何とも言えない感激や感動を呼び起こします。
それは、おもてなしやサービス業に関わる
人々のみが味わえる醍醐味とも言えます。
本当の感動は、望んだり、求めたり、
感動させることを意識した言動や態度したり
することで生まれるものではありません。
例えば、
長年書いて来たH.P心の礎の読者の方から、
<こちらで感謝の心を学んだことで、
新しく出会う方にも大事な家族や友人
との時間も大切に出来るようになれた
と感じております。有り難いです。>
相手のことを心から思い遣った何気ない
気遣いや心配りの態度や言葉使い、
おもてなしの心で触れ合えた相手の
心の中に自然と生まれるものです。
マナーは人の心に生まれる「思いやりを表す」
形であるが故に、対人マナーと言われる挨拶や
感謝の言動や行為、ボランティアは、
決して求めず、望まず、無私の意識で
与えてこそ相手の心に生かされますし
それは与えた人に、形を変え何らかの
姿形で必ず戻って来ると体験しました。
同様に、
人の魅力も求めたり、望んだりせずに、
与えるものと認識することが大切です。
【人に与えた心や物は姿形を変え、
必ず自らの元に戻って来ます】