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日本人の心「和」「義」「礼」「道」「理」


「和」「義」「礼」「道」「理」の実践!

「和」「義」「礼」「道」「理=筋」の心を知る

今の日本の社会は「もてなし」の「モノ」と「コト」
を組合せた様々なビジネスや集会が主流に
なりつつあることは≪おもてなし≫の
拡散のためにとても良いことだと思います。

このような活動家やビジネスマンの中に、
日本人らしい「和」と「義」より自己都合(損得)や
自己顕示活動が多く見られるのはI.T.時代だから故、
ただそれだけでは済まされないと考えます。

例えば、
マナー(礼儀作法)やおもてなしなどの
対人関係やもてなし・接客サービスついて、
多くの人たちを教育・指導する職位・地位、
或いは教師・講師の立場でありながら
心の基礎となるそと言うことの本質を理解出来ず、
又は、その大切さ必要性を感じていないのか、
今迄のキャリアや実績と言った過去の成果、
自らの見識で足りていると考えてか、
生活のための手段、自分の好き嫌いの感情や
利己的な損得意識過剰で活動している人、
自分の発した言葉の重さ責任を自覚せず
回りからの目や思惑ばかり優先し思考する人、
自己開示もせず人と円滑な関係ばかり
(善い人・いい人で居たい)を意識して活動する人、
と言う人間の欲・煩悩が見え隠れする人が
少なからず居ることは否めないと思います。

こう言った人たちが良いとか悪いとか、
ダメだと否定して言っているのではなく
少なくとも人の心を導く人であれば、
世界中が賞賛する国に生まれたこと、
即ち、自分達は【日本に生まれた日本人である】
と言う意識(心)≒日本の武士道の義・仁の道徳観念・
礼の礼節,人の道の道理と言うことは知識として
理解しておくべきではないかと経験から思います。
人を導き、育む人も「和」「義」「礼」「道」
「筋道=理」日本人
である先の第二次世界大戦で
犠牲になった様々な英霊や多くの祖先に
よって今こうして生きていられる、と言う
意識を再認識する社会環境であるのでないか、
とあくまでも私見ながら思っています。

私は、面前の私利私欲、煩悩に負けてしまい
刹那な行動に走ってしまう情けない時期が
実体験として過去に幾度となくありました。
一方で他者の強い力に負けてしまい、
落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
今更、自分のしてしまったことを後悔する
ことよりもその様々な体験から得られた気付き、
学びがこれから日本を牽引する皆様に少しでも
役立てばと考えこうしてここに書いております。

和を以て貴しとなす

和は、古より日本人の心とされる
和を以って尊しと成す」の精神とその活動で、
人と人との「和」(=調和)や繋がりを強めて
行かなければならない社会環境となりました。

現代に生きる私達にとってこの
“和”“義”とは、どんな行動でしょうか?

貴方にとっての“和”“義”とは、
どんな行動でどのような生き方なのでしょうか?


「義」と言えば、
戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
謙信は、家臣の直江兼続に
『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
 それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』
と話しことは知られています。
 
過去、日本では弱者(貧しい者)を平気で
切り捨てた時「勝ち組」とか「負け組」とか
回りの人々が騒ぎ立てた時代もありました。

時に、人は人に支えられている「人」の文字の心を忘れ、
他人に対し根拠のない自己判断で、
あいつは「凄い」・「ダメな奴だ」、「勝った」・「負けた」、
などの批判批評を平気で言え、自分だけが満足し、
幸せで良いなどと言う利己的な個人中心主義
の意識には歳のせいかとても違和感を覚えます。
 
勝ち負けに関わらず、人を思い遣る心を持ち、
自分自身がが正しいと思うことを確り行動し、
他人を意識せず堂々と胸を張って生きて行く、
それこそが本当の勝者、幸福せ者だと思います。
 
このような生き方をしてこそ人は生きている
幸せ=幸福感を感じ取ることができると信じます。

さて、現代社会は、弱者が人々や社会から
追い詰められ自ら命を絶つ人も出ています。
このような孤立化が進む社会環境だからこそ、
個々人の日本の心「和」「義」「礼」「道」「理=筋」
の再認識や世界が認めている日本ならではの国民性、
即ち日本人らしい体現活動が必要だと思います。

厳しい少子高齢化社会に入った現在、日本人の
和を以って尊しと成す」の心=調和の心の原点、
私達は「義」の精神を備え、真摯に自分と向き合いつつ、
互いに切磋琢磨し、調和を図り、他人をサポートし、
人を育て、少子高齢化の未来に希望の光を灯せる
ように生きなければならない社会環境になりました。

一人でも多くの日本人が「和」と「義」、
人の「道」の心を弁え、「礼」を尽くし、他人を想い、
人を思いやり、権力や利害関係に左右されず、
正しいと信じることに迷わず突き進んだ「謙信「や「兼続」
のような堂々とした人としての生き方が出来る
心豊かな日本の社会に成れば、と思います。

〇「礼」己を謙遜し、相手を尊び敬い、

 自らの行いを丁寧にすることを「礼」と言います。
「礼」を其の場、其の時に即し、
 状況に応じて自らの行動が
 出来るよう弁える事を「節」と言います。
 この「礼節」があってこそ、
 初めて一人前の社会人と言えます。
 また、「礼」を表す際、忘れてはならないことに
 「義」≒義理があります。

〇「義」は、義理・恩義・道義・大義・義務
 などと言われ正しい行いを守ることで、
 人間の欲望の「利」と対立する概念で、
 「礼」とは「礼儀作法」のこと、
 今風に言うと「礼儀」は「マナー・エチケット」であり、
「作法」は「ルール」と言えることであると解します。

◇【義理】(出典goo辞書)


 (1)物事の正しい道筋。人間の踏み行うべき正しい道。道理。〇
 (2)対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの。
  道義。
 (3)他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。
 (4)意味。わけ。
 (5)直接血縁関係のない者の間にある、血縁同様の関係。
 (以上出典より転載終わり)
 古より『義理と人情とやせ我慢』という諺があります。

義理と言うのは、実社会における規範性、
法規制、規律性の要素が強いものです。
一般には日本の社会において、社交上、
礼儀を以て旨とする行動規範を指したものです。
冠婚葬祭などの場に於いては義理を欠く事の無い様、
各地域に合わせた礼節に基づく義理の行為が
執り行われる事が多いとされます。
一方、本心はやりたくないけれども、
仕方なく行わざるを得ない事を意味します。
義理チョコの言葉はこうしたニュアンスが表れています。

〇「道」

 (人の道)人か命を授かり生まれ、
 そして生きるためにはこの世で果たすべき役目があり
 そのために人それぞれの歩む「道」が有り、与えられます。
 人は地位や境遇を自分本来の道と心得て適切な行動をし、
 順境や逆境、いかなる境遇にあっても、命の大切さを知り、
 その主座を保つことであると受止めております。

 地位や名誉が得られないことを思い煩うのでなく、
 その地位に立つに足りる実力を備えているかを
 気にかけると共に素直に省みるべきであり、
 自分の力が及ばす他人に認められないことを嘆かず、
 人として人に認められるだけのことに日々努め、
 夫々の人格や能力を養わなければなりません。

 周りに才能に秀で、魅力に溢れている人が居ようと、
 己と比べず真摯に受け止め、落込むことなく、
 自らが信じた道を一歩ずつ歩んで行くことです。

 そして、他人になんと言われようが正しい
 信じた道を愚直に進むことに精進する。
 いかなる状況にあろうとも、腹を据えて、
 自分に与えられた今を懸命に生きて行く

この様なことに心掛け日々の心身の活動に
活かし、与えられた人の道を前を向き歩む
ことが私達日本人の役目であると思います。

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