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誠実⇔至誠


誠実=至誠の解説

(五省二宮尊徳の教え)
※(以下学びのメモより転載)

誠実さと言えば、先ず二宮尊徳の
「至誠」が思い浮かびます。

二宮尊徳の業績の一つ、農村建て直し
の方法は「仕法」と呼ばれ普遍性を持ち、
尊徳の没後も、弟子たちにより継続され、
広い地域に広がりと改善が進めらました。

そのため、
明治維新後にもこの方法は「二宮仕法」
或いは「興国安民法」などと呼ばれ、 
日本人の心に深く浸透し無意識に、
日本人のモラルの一部になりました。

尊徳は、学者、僧侶を好みませんでした。
それは、
実践を重視した考え方をしていたためで、
尊徳の目的は実現です。

そのために必要なことは全部活用すればよい、
とさえ考えていた節があります。

ですから、自分の考え方は神道・
儒教・仏教の三つを混ぜて作った思想、
飲み薬を連想させる「神儒仏一粒丸」と
言っていますが、その中でも神道のウェイト
が高く、天の徳、地の徳、人の徳に報いる
気持ちを常に持ちながら、勤労することを
基本精神としています。

その働き方を整理する4つのキーワード
至誠、勤勉、分度、推譲】
にまとめられます。

至誠

誠は、幕末、新撰組の旗で有名ですが、
誠の道とは世を救い世を益することです。
それは個人として理屈を捏ねることなく、
誠を尽くし実行する所にあります。

孔子の孫である子思
『中庸』という本の中で孔子の教えとして
この言葉を書いています。

誠は自ら成るなり。
而(しか)して道は自ら道びくなり。
誠は物の終始、誠ならざれば物無し。
意味: 誠はそれ自身、他の物の力を
借りなくても自ら成就するものである。

人の道もまた同じ。
万物はみな、誠の道によって生まれ、
滅び、始まり、終わるものである。

誠の道を外れたならば存在する意味がない。
至誠というのは、この誠
(自然により定められた誰もが歩む真実の道)
の究極の姿である。

また子思は
「至誠は広くて深く、また高くて明るく、
 遥かな未来に渡って限りないものである。
 天と同じように、意識的に動かそうと
 しなくても相手を動かし、意識的に
 働きかけなくても物事を成就する力がある」
と言っています。

「至誠に悖るなかりしか」の解説

五省(ごせい)

以下、当時の海軍兵学校の生徒たちが
唱えていた、五省の一文です。

五省(ごせい)

一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか   
 (真心に反する点はなかったか)

一、言行に恥づるなかりしか   
 (言行不一致な点はなかったか)

一、気力に缺(か)くるなかりしか   
 (精神力は十分であったか)

一、努力に憾(うら)みなかりしか   
 (十分に努力したか)

一、不精に亘(わた)るなかりしか   
 (最後まで十分に取り組んだか)

当時の「至誠」は国家に対する無私の奉仕
の精神を意味したと思われますが、
現代では自分の仕事と人に対する誠意、
誠実さを意味していると解します。

とりわけ人に誠実であることは極めて
大切であり、裏切るようなことは論外
と言わなければならないとされる。

言うまでもなく「言行」は人間として
日々自らの心で自戒すべきことである。

近年、官界、経済界、メディア、新興宗教
など様々な分野でのスキャンダルをいやと
いうほど耳にしますが、人として恥じない
言行をすれば起こり得ないことばかりです。

もし
恥ずべきことをしている当人が恥じる
と言う心を失っている
とすれば、
人間として失格である。

苦境にある時は誰しも「気力」が萎えがち
であり、「努力」を重ねても成果が出ない
とムダなことをしているのではないか
と言う気持ちに陥りやすい。

いわば人生の岐路にある時に、
一層気力を奮い立たせることが出来るか、
更に努力を重ねられるかが分かれ目である。

「不精」は「至誠」などの項目に比べれば
随分と次元が低い感じを受けるが、
私には一番身近な反省すべきことである。

狭い書斎は乱雑を極め、
何か探そうとするたびに一苦労する。
貰ったり自分で撮ったりした写真は
2,3年分貯まっておりその内整理しよう
と思いながらずるずると延ばしている。

ただ人から手紙や資料を貰ったり、
何かを頼まれたりした時は、なるべく
早く返事を出し、或は処理するように
しているつもりである。

人に対して誠実であるために
当然なことと思っている。

五省は現代人にとって
反省、自戒・内省・内観する上で貴重な
示唆を与えていると言うことができよう。

至誠に悖るなかりしか…
真心に反する点はなかったか?
恥ずかしいと思うこともしばしば反省!

因みに、上記の英訳は以下です。

五省の英訳

至誠:Hast thou not gone against sincerity?
言行:Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?
気力:Hast thou not lacked vigor?
努力:Hast thou exerted all possible efforts?
不精:Hast thou not become slothful?

古英語で訳すと
1.Hast thou not gone against sincerity?
 (汝は誠実さにもとる行いはしなかったか?)
2.Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?
 (汝は、汝の言葉と行いに恥じることは無かったか?)
3.Hast thou not lacked vigor?
 (汝は活力に欠けることは無かったか?)
4.Hast thou exerted all possible efforts? 
 (汝はできうる限りの努力を発揮したか?)
5.Hast thou not become slothful?
 (汝は怠け者になってはいなかったか?)

また、現代英語のほうを直訳的に訳すと
1.Have I been sincere?
 (私は誠実であったか?)
2.Have I been fair in my words and behavior?
 (私は、私の言葉と振る舞い
  に対して公正であったか?)
3.Have I been enthusiastic?
 (私は熱狂的であったか?)
4.Have I been energetic?
 (私は精力的であったか?)
5.Have I been industorious?
 (私は勤勉であったか?)

古英語のほうが神託の如く神前で自らの
行いを検証するような厳かさがあって
格調が高くなっていますが現代英語の方は、
自らの行動を自問自答する形になっています。

(以上学びのメモより転載)

二宮尊徳の教え

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