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一期一会と一羽の折鶴


一羽の折鶴に「一期一会」の心

一期一会

毎年8月になると原爆ドームと千羽鶴を
何故か思い出し同時に和の心「一期一会」
のココロが思い浮かびます。

一期一会

一期一会を表す

一期一会とは茶道から来る考えです。
人と人との出会い、語らいは
一度限りの大切なものと言う
意味で使われている言葉です。

一期一会の「一期」は一生という意味、
一会」は一度の出会いという意味。
「お茶を点てる人、それを頂く人が、
お互いの気持ちを大切にして、
その一時を過ごす。
今日の出会いは二度とない機会である
と言う真剣な気持で茶会に臨む」
意があります。

一期一会と【諸行無常】

【以下bukkyouwakaru.comから一部転載】

諸行無常-イメージ

諸行無常、
これは三法印と言い三つの真理を説くのが
仏教であり、他宗教に一切ない特徴です。

その一番始めが、
諸行無常と言われる真理です。
諸行」とは、総ての物を指し、
無常」とは、常がないと言うことで、
一瞬たりとも同じ状態を留めることは
出来ないと言うことです。
私たちは、物事がいつか、変わり、
色褪せ、移ろいで朽ちて行くことは
判っていますし知っています。

ところが、
今、暫くは変わらないだろう、
大丈夫だろうと思っている。

人間はいつか死んでいかねばならない
と思っているが今日死ぬとは思えない。

このパソコンも、いつかは壊れるだろう、
でも今日は大丈夫だろう。

彼女とも何時か別れが来るかもしれないが、
しばらくは大丈夫だろう。
このように、壊れてしまうのは、
ずっと先で、今は大丈夫と頑なに
信じ込んでいるのが私達です。

ところがお釈迦様は、
「今、一瞬一瞬が変わり続けている、
一瞬たりとも同じ状態を留めること
は出来ない、諸行は無常なり」
と教えられています。

一時間前の私と今の私と一時間後の私と、
感覚としては変わった感じもしません。
同じ私です。

ところが一時間の中に、
肉体は確実に変化をします。
自分自身が気付かないだけで新陳代謝を
繰り返し、変化しています。

パソコンだってそう、
キーボードを打てばその分、
すり減っている気がつかないだけです。

原子だってそうです。
細かく分けて行くと素粒子まで行きつきます。
がその素粒子も変わらない粒ではなくて、
雲のようなエネルギーの状態で変化します。

このように
大きく変化するかしないかだけで、
常に変わり続けているのです。

しばらくは大丈夫だろう」と自分勝手に
思っているのは私達の勝手な思い込みです。
真実は、諸行無常なのです。

この諸行無常とおもてなしの一期一会は
以下の点で類似しています。

おもてなしは形がありませんから
消えてしまいますし、目に見えません

おもてなしには形がありませんから、
事前に作って倉庫で保管は出来ません。

おもてなしは一瞬に創られますし、
その場でお客様の心に消費されます。

諸行無常もある形の無いおもてなしは
一回限り瞬時に消失してしまいます。

目に見えないおもてなし、
即ち裏表の無いおもてなしが求められます。

物や形はいつの日か壊れたり、
無くなったりしてしまいますが、
思い遣りの心溢れる本物のおもてなしば、
感動として心にいつまでも残ります。

形の無い「思想や一期一会」
人々の心からいつまでも消えません。

枕元にさり気なく置かれた、一羽の折鶴

一羽の折鶴

一期一会と一羽の折鶴

一期一会の語彙は、
この一度の出会いを大切にする心、
出会ったその人とその場、その時、
共に創り上げる唯一無二の空間で
繰り広げられる会話や様々なもてなし、
コミュニケーションに生かされます。

お茶会で茶を点てる亭主は
おもてなしの心や出合った方を
尊び敬う心と思い遣る心を以って
更により良い出会いの場を演出し、
その場に集まった人達の人間関係を
紡いで行くと言うことです。
即ち、
生涯一度しかないかも知れない
大切な人との大切な出会いを大切にする
気持ちを忘れず人と触合うことです。

ホテルや日本旅館などの場合、
この「一期一会」のおもてなしが重んじられます。

若い頃に、
ホテルオークラで体験したことです。
チェックインして部屋に入りふと気付くと
枕元に一羽の折鶴が置かれてありました。

その時はどういう意味で置かれているのかな?
とただ思っただけでした。

後日そのホテルオークラの知人から、
ルームメイクする際、
折鶴を折る時のことを意識し、
 部屋の隅々までキチンと心を込めて
 綺麗にし手入しています

と言う、ホテルスタッフ全員のメッセージ
折鶴に込められていると聞かされました。

この一期一会の「おもてなしの心」の表現は、
ホテルのお客様へおもてなし心の姿勢を表す
と感じたことは言うまでもありません。

一羽の綺麗な折鶴が日本の風情、
清潔感を味わえるばかりではなく、
心の温まる目に何気ない一期一会の「和」
おもてなしの心が込められていたのです。

おもてなし」の実際に目に映る「モノ」と、
目に見えないない「コト」を如実に表現し
伝えているのが、この【一羽の折鶴】です。

何となく子供の頃によく読み演劇でも見た
鶴の恩返しの童話『夕鶴』を思い出しました。
物語の中に出てくるおつうと言う鶴は正しく
利他の心(愛利の心)を表現しているのです。


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