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『思い遣り』- 人間力の自分軸(2)

先ず人を思う調和の心【仁】思い遣り(慈しむ心)

【仁】の語彙と心を理解する

思いやり

「仁」について孟子は、
仁は人の心であり、
 義は人の道である。
 その人の道を捨てて顧みず、
 その心を見失って探そう
 としないのはなんとも悲しむべきことか。
 
 人は鶏や犬を見失っても
 探し出す方法を知っている。
 しかし、心を失えば
 その探し方が判らないのだ。

と述べています。

そしてそれは、
心の軸の主と成る、他者を「思い遣る心」、
即ち「他人に対する親愛の情、優しさ」
を意味しており、儒教の重要な
五常の徳 (仁・義・礼・智・信)の一つです。

また、仁と義を合わせて、
「仁義」と呼ばれてもいます。

現在に至るまで中国人の倫理規定の
最重要項目となり伝統的な社会秩序(礼)
を支える精神、心のあり方とも言われます。
しかし、現実は❓

「仁」と言う世界中で親しまれている
日本のテレビドラマのタイトルにも
使われている「医は仁術」と言う語もあり、
それは、
「仁愛の心を本とし、
人を救うを以て志とすべし」
「わが身の利養を、専ら志すべからず」
と言う孟子の教えです。

孟子の仁の教えである
思い遣り」の心身の活動は、
人として平等な立場で相手の事を
深く考え相手の心に寄り添いながら、
何をしてあげるのがよいのか、
何をしてはいけないのかを深く思考
思慮してその思いを相手へ遣わすこと
(届けること)を意味しています。

人と共に人の間で生きている人間と言う、
温もりのある連帯感から生れる活かされる
と思われる人間らしい温かい心と行為です。

誰かに、
「思い遣り」ってどんな事ですか❓
と聞かれると親切や優しさとか、
相手を思う気持ちが思い浮かびます。

身近な事ではデートをしている時や大切な人に
対して「思いやり」と優しさは欠かせません。
その心身の活動は相手との心の繋がり、
互いの愛。信頼を築くためにとても大切です。

さてその「思い遣り」とは、
一体どんな事を言うのでしょうか

「思い遣り」は一般的に
「その人の身になって考える事、
  察して気遣う事」と言われます。

細かく言うと「思い」は相手の気持ちに
なって考えたり、共感したり・
同情したりする心身の活動であり、
「やり(遣り」は届ける、差し向ける、
行うと言う心身の活動のことです。

私達は、
日々の生活や職場で家族や友人などに
触れ合い、、職場ではお客様、同僚や上司
など沢山の人々に出会い触合ってます。

どんな時でも、
先ず相手を思う「思い遣る心」で接することが
人として生きて行くために必要な心の軸です。
この「思い遣る心」を「思い遣り」と言われます。

それは、貴方の心を豊かにするだけでなく、
貴方自身の心を成長させてくれますし、
信用され信頼され大切な愛を得る源です。

それは、見返りを当てにするようなことでも、
慢心することでもなく本物の人間に育み、
本物の人間愛の心を育み教えてくれる、
嬉しくて、有り難いものと受け留めます。

この「思い遣り」は、
会話や態度、行動に如実に表れます。
言い換えれば、
相手に対する”心の姿勢”(心の位置)の現われです。

その「思い遣り」を自らの心に発動させるには
お互いの気持ちが交換可能であることです。

即ち、相手の気持ちに同調、
若しくは共感する必要があります。

要は、
自分が相手に対して共感していないのに、
何か親切なことや心に寄り添う
何らかのアクションを起こすことは
「思い遣り」と呼べないと言うことです。

同じ行動でも、「思い遣り」になる時も有れば
お節介になることも有るのは実感しています。

人の言行、態度に「思い遣り」があるのと
無いのとでは何が違うかと言うと、
共感出来るか、出来ないかと言うことです。

また自分が相手に「思い遣り」のつもりで
戒めたり、突き放したりしたことが
想定外の誤解を受けて思っていた逆の効果
である憎しみや恨みを生む場合もあります。

💑思い遣りの活動のステップ

思い遣りの活動ステップ

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