『思い遣り』- 人間力の自分軸(5)
先ず『人を思い遣る心』を以て心身の活動を!
「思い遣る」⇔心を持つ人として「認知」
今、私達はコロナウイルス感染症で
様々な苦難を強いられて来ました。
個人中心の社会環境で生活していても、
「和」=調和の心を大切にする日本人として
こんな時こそ、お互いが一人の人として
互いに認め合い、思い遣る心を大切にした
心身の活動(取組姿勢)が求められます。
「思い遣る心」と言うと、
優しさとか、相手を思う気遣い(≒配慮)
と言った心身の活動が思い浮かびます。
他者を、「思い遣る心)を発動させるには、
その相手を認知=「認める」ことが原点です。
愛するや大切な人に対し、
先ず互いが「認め合う」ことから
「思い遣りと優しさ」と言った心、
互いが深く理解し合おうとする心、
克己利他の意識は欠かせないものです。
それは、
未知の相手や大切な人との心の繋がり、
信頼を作るために必要な心の礎です。
🌈思い遣りの心身の活動
さて、この「思い遣り」とは、
一体どんな事なのでしょうか?
このような「思い遣り」の心身の活動を知り
理解し、自らの心に植え付けることは、
一人の人間として親しまれ愛され信頼され、
周りの人に感謝・安心感を与え届け、
自分自身の幸せを掴む取るため、
自制心を活かし犯罪を未然に防ぎ、
少子高齢化社会で生き抜くモラル
奉仕の心を身に着けるなどの心身の
活動と言った社会で生き抜くための
円滑な人間関係の原点であり礎です。
しかし、
情報過多社会で生きる未来を担う人は、
なぜか?人として生きるために必要であり、
大切であるこの「思い遣り」について学び、
理解し、進んで身に付けようとはしません。
💟どうしてこの大切な生きるために必要な
知恵を知り、学ぼうとしないのでしょうか?
💟一々学ばなくても、生きながら
学び知ることと勘違いしているのでしょうか?
💟個々人の生き方があるから人から学ぶ必要がない、
と考え思っている故でしょうか?
💟個人中心の意識が強く、自分は一人でも
生きていられると受止めているからでしょうか?
💟今を楽しく、日々愉快に生きられれば良い、
と思っているのでしょうか?
💟学び知る必要がないと考えているのでしょうか?
💟目先や現実を重んじ、
今は必要ないと考えているのでしょうか?
誰もが当たり前に知っていると
勘違いしている人を想う「思い遣り」は、
今後の少子高齢化社会に不可欠で、
人として生きる日常生活や社会生活上
の様々な人的弊害(犯罪)を未然に防ぎ、
多種多様な問題を解決する元となり、
笑顔で幸せを掴む礎であると思います。
この思いやりの心を備え持つことは、
コミュニケーションを始めとした
人間関係力の礎(土台石)、源であり、
マナー、おもてなし、ホスピタリティ、
C.S、E.S、感謝、謙虚さ、誠実さなど
と言った心を生かし表現伝達する、
人間としての活動に欠かすことの
出来ない大切な心の要素と体験しました。
少子高齢化社会に入り不安の拭えない
社会環境、個の意識の高まりによる孤立化、
様々な格差様々、ニートや引きこもり、
人としてあるまじき子供の虐待、
犯罪やいじめ、ハラスメント、孤立死、
孤立化による自殺者や肉親殺人の増加、
このようなことの起因・要素・原因は、
個中心の社会になり自己保身の意識が
優先するが故に他者を認知=「認める」
意識の欠如にあるのではと思われます。
詰り、
円滑な人との関わりや繋がりに
大切なことは、ふれあう居てを先ず
心を持つ「人を認める」言葉や態度です。
この「認める」言行や態度、意識は、
「信認」「思い遣り」「利他心」「敬意」
と言った心身の活動の表れであり、
それは人情=「情けは人のためならず」、
その逆である因果応報にも繋がると思います。
最近多くなっている、いじめや虐待も、
一つは「認めず無視」する原因で起きています。
それは、対面、非対面に関わらず挨拶、
mail・SNSのメッセージにも表れます。
例えば、
対面時こちらから進んで挨拶をしても
「無視=否認」された「糠に釘」の行為態度、
心無い挨拶、mail・SNSで何らかの
回答が欲しくてメッセージを入れても、
「KS」既読スルーされることもその一つです。
喩え、このような方と友達になっても、
心に蟠りが残り、御縁が育めず長く続きません。
mail・SNSツール上に、
送った相手への心のポジションが現れ、
醜く悲しい結果を生む場合もあります。
そのような「認めない」行動や態度を
するのは、利己の表れそのものである
と同時に、何らかの見返りを心の中で
求めている結果であると体験しました。
人は或る程度の立場・地位になると
「我を通し、意地を張ること」よりも、
「非を認めて謝る」ことが難しくなります。
自尊心ばかりが強く、片意地を張る人には
数え切れない位沢山出会いましたが、
本心から謝意(不実)を示し頭を下げる
人はあまり見かけませんでした。
今後の社会を担う能力のある経営者、
提案や指導する立場のコンサルタントの
方々の中にもこのような謙虚に礼節・義
を重んじ人を思い遣る心身の活動である、
利他の心を少しだけでも備えて貰いたいです。
どんな立場の人でも、
「己に否があればそれを認め、潔く謝る。」、
この姿勢.の奥底に、自心と相手への「謝意」、
自らの行為に「言訳をしない」ことは勿論のこと、
「感情の制御」「慎み深さ」「素直さ」「
自他を認める」「礼を尽くす」「受容」「誠実」
と言った心と共に
「人の道(道理)」
「人としての正しいこと」
「自分と真摯に向き合う」
「自心に嘘をつかない」
「相手を立てる=敬意表現」
「筋を通す」
と言った真摯な気持ちがあるのです。
「筋を通す」とか「・人の道」とか、
「節度」とか随分古臭い言葉かもしれませんが、
「筋」を通すことは、仁と義の表れとも解せ、
日本人に大切な「武士道」の「義」の精神です。
「道理・人の道」に従わねば、どのような
事業や生き方も成り立たない・不成功になる、
と過去の体験や見聞からも断言出来ます。
このような心の軸を支えている【心の礎】は
「認め合う」(認知・承認欲求満足)ことが原点です。
それを一言で表せば
思い遣りの心身の活動の【礎】であると共に、
対人関係構築や社会生活上の人間力の『源』です。
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