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木の加工技術で新たな時代を刻み込む マサコー山口木工

専務の山口将門さんにお話伺いました。

三条市生まれ三条市育ち。
高校時代はすし屋でアルバイトし調理師免許を取得。
卒業後は鮮魚を扱うアルバイトなどを経験し、飲食店経営も考えていたんです。
調理ができるので本寺小路のダイニングバーで働き始めました。
調理もカウンター業務もやり、いろんな企業の社長さんも集まるし、深夜まで楽しく飲食店で働いていました。

父の会社へ

22歳のころ、父より、「家で手伝ってくれないか」と話がありました。
長男なのでいつかはそうなるだろうなとは思ってました。

工場に入ってみると、とにかく工場の勤務環境が悪い。
スーパーに勤めてた時は、整理整頓、衛生管理など細かくルールがあり、安心安全が指示さるのが当然の環境。
その経験の違いからか職場環境において父とぶつかり合うことが多かったです。

父の仕事には、今まで一切かかわらなかったため、初めのころは勉強したり、様々な工場を見に行ったり、商工会のセミナー等とにかくいろんな情報を得ていました。

仕事が無くなってきた

あの頃の日記を見ると「今日も仕事が無かった」と書かれていて、本当にヤバイ感じだったんだなと感じます。
ハンマーの金物部分などは燕三条で生産しますが、弊社では加工できる木工製品の数量に限界があり、大量生産を求める企業は、柄の部分を値段の安い中国製にしてしまったのです。
価格決定も問屋さんベースだったので、値段決定権がなく、次第に売上規模も縮小していってしまったんです。

20代のころは経験もなく、どこへ営業したらいいかもわからず、金物屋に行って、頭下げて仕事をもらいに行っていました。泥水すするようにキツかったです。

きっかけとなった、ハンマーの柄

転機

キャンプブームが始まったのが転機でした。
燕三条では鍬、斧、ハンマーの柄を分業しそれぞれの工場が生産しています。
弊社の強みは丸みを帯びた形状で木加工できる技術があり、この技術を活用し、新たな商品を開発することを目指していました。
ある会社から新しい柄の部分を開発したいという相談があり、
どのように削ってゆくか、試行錯誤し、何度も図面を書き直し、ようやくこの形にたどりついたんです。
おかげさまでかなり評判が良く、忙しくさせていただいています。

マサコーに頼めば何とかなると言われるようにもなりまして皆様に感謝しています。
刃の部分、金物の部分というものは工夫がしつくされています。
柄の部分の工夫をすることで、次の新しい商品の開発につながることが分かってきました。

次第にホームページから問い合わせが来るようになりました。
全国から案件の依頼が来るようになり、
さらに跡継ぎのいない工場の廃業に伴い、御社で引継ぎできないかという相談も頂けるようになってきました。

即完売となってる、自社製品

今後

三条市の良さは、電話一本で「あれしてこれして」が、すぐに可能な町。
私たちは木工屋ですが、鍛冶の産業が身近にあることで私たち木工業者も活かされております。
地域にいろんな素材、情報、職人が入り混じることで新たなモノが誕生します。

現在では手狭ではありますが、いろんな加工を試したいです。
新たな工具を導入することで、次の展開が広がると思っています。

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