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自分の限界に気づくこと、自分の幸せに気づくこと。

私はずっと東京に住みたいと思っていました。
ですが、親の望む人生が正しい人生と思ってしまい30歳くらいまで地元で安定した職についてしばらく過ごしていました。その間も東京に憧れを抱いていましたが、友人関係も満たされていたし仕事にも困っていなかったので東京に行く「正当な理由」が見当たりませんでした。高齢に差し掛かる両親もいたので、実家にいるほうが良いという思いから実家で過ごしていました。

しかし、安定した仕事があっても自分の心が永遠に安定しているのかというとそうではありません。ある時、仕事ばかりしている自分に疑問を持ちました。「本当にこのままでいいのかな?」と。きっと仕事大好き!って言い切れればそんな疑問なんて抱かなかったと思います。でも仕事が嫌いでもなかった。やりがいのある仕事でもあったので好き嫌いを考えず、その仕事を続けてしまいました。


真冬のある日、私は高熱を出したことがありました。真冬の高熱といえばインフルエンザが心配。何が心配って重症化してしまう可能性のある風邪であり、それを誰かにうつしてしまう不安がありました。すぐに上司に報告して休まなければ…と。
しかし、上司からは「今人がいないから〜…」と検査をされても困る雰囲気を出され、そんな上司に少しの違和感を抱きつつも私もそのままやり過ごしてしまいました。

違和感を抱きながらも更に数ヶ月後、私はめまいを起こして立ち上がれなくなりました。1人では移動が難しかったので親に付き添ってもらい検査をしました。しかし、特に何の異常もありません。謎の目眩。薬を飲んで休養を取ってめまいはおさまりましたが、原因の分からない目眩に自分の体に不安を覚えました。そして同じ仕事量でも同期にも先輩にもこんな症状は出ていないのに、私はめまいで倒れてしまう弱い人間なんだ、と自分を責めました。でも倒れてしまったという事実は紛れもない事実で、そこを受け止めなければまた同じことを繰り返すという直感があり、そこで色々考えました。そこでわかったのは、自分は仕事で大成したいとは思っていないこと、そして仕事以外のプライベートの時間をもっと楽しみたいということ。

それを大切にすることが自分らしく生きる生き方なんだと、分かったんです。そして、それを実現するには今の仕事量は私という人間のキャパを超えてると気づき、次の仕事も考えずパパッと仕事を手放しました。

キャリアを捨てることに躊躇いがなかったかといえば嘘になりますが、私は健康な体で楽しく生きたいという思いの方が強いことに体を壊して初めて気づきました^^;


よく、「嫌になって仕事を辞めるのは良くない」って聞きますよね。嫌になって辞めると、新たな職場でもその嫌なことにぶち当たってしまうからと。でも、自分の体は自分しか限界を分かりません。誰が何と言おうと自分の体を守れるのは自分しかいないんです。
生きるためにお金を稼いで働くのに、その資本である体を壊してまでやる仕事なんてあるのかな?と思います。職場が悪いというよりは、ここまで追い詰められなければ気づけなかった自分の心の弱さもあると思うんですけどね^^;

心を無視していると、体がサインを出すというお話でした。

なので今はお金よりも自分が居心地良いスタイルで生活することを心がけています。東京に住むという憧れを現実にして、今好きなアクセサリー作りをしながら生活していることは私にとっての幸せです。高級車もありませんし、ハイブランドの洋服がずらりと並ぶ家ではありません。それでも幸せだと言い切れるのは、自分の幸せをが何か分かったからなんだと思います。



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