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FolkやらRockやら体験記 第2回

「音楽業界デビュー戦」
 1969年4月。大学入学と共に信州の田舎から上京しました。翌1970年7月の夏休みの事です。下宿でくすぶっていた私に盟友「小松っちゃん」から運命の電話です。

とその前に盟友「小松ちゃん」とはそもそも何者か?知り合ったのは1968年つまり松本で高校生の頃。同い年の彼は、積極的というのを絵に描いた様な人間で、その年から注目を集め始めた「フォークソング」を唄い語り合うサークルを結成したのです。その名も「松本フォーク・フォーク・フォーク」!市内の公民館を借りて「大声で唄ったり、音楽の情報・知識の交換会を催していました。これに私も参加しました。そして翌年、私と小松ちゃんは、大学進学の為に上京しました。私なぞは花の都「大東京」に慣れなくてただウロウロしていただけなのに、小松ちゃんは大好きなフォークシンガー「高石友也」「岡林信康」らの所属する「高石音楽事務所」に押しかけて「スタッフに加えて下さい!社員にして下さい!」と大アプローチをかけます。その結果「マネージャーには今空きはないけど、今度ウチで「レコード会社」(これが、日本初のインディーズレコードである「URCレコードです。)を作るからそっちのスタッフなら良いよ!」となって、まんまと音楽業界に潜り込んだのです。それからというもの、小松ちゃんを訪ねて、私もチョコチョコと「高石音楽事務所」に出入りする様になったのです。で、運命の電話です。

「あのさあ、運転のバイトしてくれない?」「どこまで?」「東北岩手、一ノ関!」
「遠いなあ、一人じゃ無理だよ。」「だからもう二人誘ってよ。」「OK、で車は?」「会社の車だよ。ちょっと古いけど大丈夫だと思うよ。」「で、何を運ぶの?」

「西岡たかしさんと岡崎友紀さん!!!」

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