水を得るならば、自らを低きに置け(致知2023年6月号)
対談『よき人、よき言葉との出逢いが、わが人生を導いてきた』より
よき言葉
イベルメクチンの開発者 大村智氏と、童謡活動家 大庭照子氏の対談では、互いに人生の標となった”よき言葉”を語り合った。
数々の金言が飛び交う中、私の心にひときわ響いたのは大庭氏の母の言葉だった。
人に教えを乞う際の基本姿勢であるが、私には人生をより豊かにしていくためのエッセンスが凝縮されているように感じたのだ。
知識は水なり
『知識の泉』という言葉があるように、しばしば知識や知恵は水に例えられる。
なるほど、確かに水に例えるとわかりやすい。
水は高い所から低い所へと流れるものである。
自らを低きに置けば、労せずとも自ずから水を得ることができる、というわけだ。
しかし、ここで注意しなければならない点がある。
どんなに沢山の水を得ようとも、それが溜まったままではいずれ澱み、腐ってしまい使い物にならなくなっていく。
自分が受けたよき知識や知恵も、後輩へと伝え、人々の役に立たなければ意味がない。
せっかく苦労と時間をかけて得たものが日の目を見ることなく死んでいくのだ。
これは対談の後半で触れられた北里柴三郎先生の説かれた『実学の精神』そのものだ。
世の為、人の為に役立つものを作り、人々を幸せに導いてこその技術であり、私たちの目指すべきものに他ならないのである。
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