少子化対策の30年が失われた理由

少子化の原因と対策や海外事情に関する主要メディアの記事はほぼすべてが事実誤認かフェミニストのプロパガンダだが、8月16日の日本経済新聞の「少子化対策 失われた30年」もその一つであった。

自民党のプロジェクトチームで「この30年は一体、何だったのか」との意見が相次いだとのことだが、答えは簡単で、少子化を促進する男女共同参画を国策として推進してきたためである。

「男女共同参画社会は、新自由主義的なベクトルとフェミニズムとの妥協の産物だ」というのは、100パーセント正しいと思います。
ネオリベ改革がジェンダー平等政策を推進した理由はなんでしょうか?
答はかんたんです。女に働いてもらいたいから。

人間の子育ては他の哺乳類よりも手間がかかるので、子の男親が用心棒兼食料調達係として母子をサポートするようになったと考えられている(核家族と家父長制の起源)。他の動物では母親が労働と育児を両立させるが、人間はそれが困難なため、母親が育児、父親が労働に特化・分業したわけである。

男女共同参画とはこの分業体制を廃止して女の労働参加(社会進出)を進めることなので、代わりに男の労働時間を減らして家事・育児の時間を増やさなければ、女が出産・育児に費やせるエネルギーが不足して少子化が促進されてしまう。

画像1

男が家事・育児のために労働時間を減らせばよいかといえばそうではない。女にとっての夫の役割は「自分と子のために稼いでくる」ことなので、稼がない/稼げない主夫的な男は結婚できず、少子化が進んでしまうからである。

男女共同参画は人間本来の子育ての型を崩す確実な少子化要因ということだが、そもそも、その推進役の多くが確信的に「産まない人生」を選択した大学教授や高級官僚などの知的エリート女だった。

男女共同参画社会は、霞が関エリート女性官僚と、上野氏を中心としたフェミニズム/フェミニストたちが推し進めてきたと、この動きの中にいた大泉博子氏が明確に述べている。

男女共同参画のベースのフェミニズムは本来このような思想(⇩)なのだから、非婚化や少子化が進むのは当然のことである。

私は幸運でした。私は出産や家事の義務など女性を隷属させるいろんなものをまぬがれていましたから。それに、職業的にも私が若かったころは本格的に勉強をする女性はわずかで、哲学の教授試験合格に合格することはエリート女性であることを意味しました。要するに私は男性に自分を認めさせたわけです。
申し分なく幸福な人生をおくるには女性は結婚し、子どもをもつ義務はない、と私同様にあなたも思われるのなら、女性の隷属に苦しむことなくみずからの人生を実現できる女性はかなりな数にのぼります。
子どもから解放されないと女性は解放されない
最近になって、子どもを産むことは女性にとって厄介な罠だと思うようになりました。だから母親になるな、と女性に忠告したいのです。
個人的な面では、一番大事なことは働くことです。そしてできれば結婚を拒否すること。
家族のゲットーを破壊しなければ。

尖兵の「確信的に産まない女」に続いたのが、キャリアとハイスぺ夫と子供のすべてを手に入れたい(have it all)エリート女だが、その欲望を実現するためには家事・育児を低賃金で引き受ける「ただの女/二流の女」が必要になる。

「男女平等」の資本主義的解決は、エリート女とただの女への女性労働者の二極分解である。この現象は、女性解放先進国でのきなみ起こっている。
Ironically, many white women fulfilled White society’s expectation of feminine domesticity only through the domestic labor of their servants, who were women of color,” Nakano Glenn writes.
It was simple economics, and simple economics created different value systems that divide our priorities today. White women had money but wanted more time. Black and brown women needed more money.

北欧の男女平等も後進国からの移民が支えている。つまりは「みんなのための」男女平等ではないということである。

彼女の主張はこうだ。デンマークは他の北欧諸国、欧州諸国と比較しても、まだまだ管理職レベルでの男女平等が進んでいない。自分のような立場の女性が仕事に集中し、なおかつ家庭で子どもと過ごす時間を確保するためには、家事と育児をしっかり担ってくれる人材が不可欠である。また子どもの世話はいつも同じ人であることが子どもの福祉を考えても最適であり、急な発熱などにも同じ家庭に暮らすオペアはすぐ対応ができる。オペア制度はデンマークのキャリア女性の権利を支える要であり、この制度を廃止することは、女性の社会進出を阻むことにもつながるのだと。
古代ギリシャの民主主義がなぜ失敗したのかについて話しましょう。簡単に言えば、その民主主義が「みんなのための」民主主義ではなかったからです。当時は奴隷がいました。奴隷は、民主主義の基本的な理念と矛盾しています。奴隷は奴隷所有者のために働くことを義務付けられており、自分のしたいことを行うことができません。こうしたエリート主義的なシステムでは民主主義は実現しませんでした。

「子供は社会で育てる」ことが少子化対策になるという論者がいるが、それならば希望者の大半が子供を持てること、そしてその前段階として結婚できることが必要になる。結婚できず子供も持てない人にとっては、他人の子育てへの協力を義務付けられることは搾取や奴隷化に他ならない。

日経の記事には「女性の職場進出で低下した出生率は、男女ともに仕事と家庭を両立できる環境づくりや子育て世帯への経済的な支援によって、一部の国で持ち直してきた」とあるが、これも事実誤認で、出生率低下は出産年齢が後ずれする期間に合計出生率が低下するテンポ効果によるもの、出生率の回復は後ずれの減速によるものである。子育て支援が手厚い北欧諸国も出生率低下に悩んでいる。

さらに根本的なことは、ボーヴォワールや上野千鶴子(⇩)の主張が示すように、フェミニズムは共同体の存続には全く価値を認めていないことである。次世代を育てなくてもOK、「いい男」たちの集団に乗っ取られてもOKというのがフェミニズムなので、フェミニズムに汚染された国々が少子化や社会の分断に悩まされるようになったのは必然なのである。

最後に、平時の男たちの怠惰は、いざ戦時に男たちが身を挺して女子どもを守る働きによって免責してもらえるだろう、という考えがある。ところでちょっと待てよ、男たちはいったい何から女たちを守ることになるんだろうか。考えてもみると、これもバカバカしいことがわかる。男たちは他の男たちと争いを起こして、自分の女たちを守っているだけである。「守られて」みなければ、敵の方がもっと「いい男」かもしれないのだ。

フェミニズムが少子化と貧困化を促進する亡国のイデオロギーであることを認識しない限り、日本の没落は避けられない。

付録

人間の女には「男の助力がなければ子育てできない」という弱点があるので、配偶者選びにおいて妥協を余儀なくされる。しかし、このことは、子を産むつもりがない女や子育てに夫の助力を必要としない女は男選びにおいて妥協しない(動物的になる)ことを意味する。

従って、このような女が増えるほど、他の動物のように「あぶれ雄」が大量発生して少子化も進むことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?