アメリカのエリートが安倍首相をべた褒めしている。
こちら(⇩)は1~28まである。
べた褒めしている理由は簡単で、安倍首相が国際標準ではリベラルあるいはプログレッシブだからである。
当初はアメリカが押し付けた歴史観や戦後体制を見直して対米従属からの脱却・自主独立(日本を取り戻す!)を目指すナショナリストではないかと危険視されていたが、蓋を開けてみれば軍事面でも経済面でも対米従属を一段と深化させる事大主義者で、リベラリズムの教義の基本の男女平等と移民にも積極的だったので、リベラル・グローバリストの一員として歓迎されるのは当然といえる。
これら(⇩)は安倍語録だが、この"not caring so much about our country"の内容は革新・グローバリストそのものである(アベノミクス第三の矢はウィンブルドン化)。安倍首相が保守・極右・ナショナリストに見える人の目は節穴である。
日本においてよく機能していた伝統的な自由主義・理性的な自由主義をアンインストール&常軌を逸したウルトラ・リベラリズムをインストールして日本を一変させることが安倍首相の当初からの目標だった(下は2009年12月の記事)。
「リベラルで、躍動的で、開かれた、経済・文化の両面で進歩的な社会」とは、格差が拡大して下層が増える社会でもあり、フェミニストの予言通りになっている。
「貧しくなる自由」をエンジョイする女も増えているが、
トッドが警告していたように、これがウルトラ・リベラリズムである
西洋諸国でリベラリズムが「追い詰められた概念」になったのは、共産主義と同じで、多くの人を豊かにしない「市場原理による抑圧」の思想だからである。その危険思想の擁護者が長期政権を続けたのだから、日本社会には十二分に毒が回ってしまったと見るべきだろう。