森永×小林の財政破綻論争の補足

ネット反緊縮派に目立つのが反知性主義で、知識量と理解力が乏しいために、専門家の意見が自分の信念と異なっていると、即座に「財政破綻論者」や「商品貨幣論者」などとレッテルを貼って思考停止→「敵」の論理展開を全否定→勝利宣言してしまう。

反緊縮派のスローガンの一つが「自国通貨を自由に発行できる国は財政破綻しない」で、この番組(⇩)での森永卓郎と小林慶一郎の議論でも森永に軍配を上げたようである。

議論の内容についてはこちらを参照。

確かに、歯切れの良さと勢いでは森永が優勢だったが、論理では小林の優勢は動かない。

森永の案を一般化すると「毎年GDPのXパーセントの国債を発行→中央銀行が全額買い取り→政府が国民に定額給付」となるが、X=100(現在の日本では1人当たり年間440万円に相当)は持続不能ということにはほとんどの人が同意するだろう。このようなペースで市中の通貨を増やし続ければ、財・サービスの国内生産量が追い付かないことは確実なので、インフレ予想が現実のインフレを呼ぶスパイラルに陥ることになる。

一方、X=0.1(現在の日本では1人当たり年間4400円に相当)なら持続可能な可能性が高い。従って、持続可能なXの限度は0.1~100のどこかにあることになる。

森永案はGDPの13%弱だが、日本経済の潜在成長率は0%台と推計されるので、財・サービス供給に対して消費に回る通貨が過剰になるのは時間の問題で、小林が言うような「価格が上がって本来人々が求めていた消費財の価値を政府が保証できなくなる」事態を招く可能性が極めて高い。かつての中南米諸国のような展開である。

通貨には①価値の尺度(単位)、②交換手段、③価値の保存の三機能があるが、このような事態ではまず③の機能が損なわれるので、人々は実物資産や外貨建て資産との交換に走るようになる。下の「特集2」で小林が述べている事態である。

国民や市場が円という通貨で財産を持つことを避けて外貨に移行する、海外に資本逃避する、また金や土地など実物資産に逃げるという形で国債や円を手放す現象が起き始めることが、財政破綻といっていいと思います。

この状況でも自国通貨による交換は成立している、つまり誰かが手放す通貨の受け手は存在するので、「自分たち自身にたいするたいへんな有効性感覚をもっていて、万能の信念」がある反緊縮派にとっては無問題らしいが、例えば1ドル=100円が300円になっても実体経済が無問題のはずがない。限度を超えた財政赤字支出を続ければ、悪性インフレを招いて実体経済の健全性が損なわれるという当たり前のことである。

もっとも、以上の論点について小林に軍配が上がることは、財政再建派の総論が正しいことを意味しない。それについては下の記事などを参照のこと。

久保 「アステイオン」(73号)に載ったマーク・リラのエッセイ(「リバタリアンのティーパーティー運動」)でも、右も左も通じて最近のアメリカ全体に専門家にたいする不信感があり、医者や学校教師などいらないという人が多いというようなことが書かれていましたが、経済学者やプロの政治家はいらないという発想もそれに似ています。自分たち自身にたいするたいへんな有効性感覚をもっていて、万能の信念があり、反知性主義、専門家・専門知・プロにたいする蔑視がある。

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