Deep Stateとは
最後に登場するチャラい学者に判定役を務めるだけの学識があるとは思えない上に、Deep Stateの定義についてストローマン論法も用いているので、記事として公正を欠いている。結論めいたことを先に書くと、DSはリベラリズムに染まると見えなくなってしまうものである。
西側諸国(特に米英)で言われるところのDSとは「既得権益や思想で結び付いたリベラルエリートの党派」なので、原口議員の説明「米国の軍産複合体に巨大なグローバル資本が加わり、実質的な決定権を持っている」は概ね正しい。
👇ではブラックウォーターの創業者が「防衛関連企業、IT、ビッグテック、保険会社、銀行」のカルテル打破の必要性を主張している。
民主制の国では、大統領や首相の一存で決められる事項はそれほど多くは無く、実質的な決定権は様々な機関に分散されている。各機関で決定権を持つ面々が既得権益や思想で結び付いた(組織化されていない)人的ネットワークがDSと呼ばれているということである(👇の"loose-knit network of public interest groups and lawmakers"がDSの一部)。当然だが、独裁国家ではないので、何から何までDSが決められる・決めているわけではない。
DSに相当する存在と言えば、アイゼンハワー米大統領が警鐘を鳴らした軍産複合体が有名だが、そこに1980年頃から金融業界、2000年頃からはテック業界のエリートも合流し、西洋リベラルの「ルール・規範・やり方」を全世界に押し付ける一大勢力に膨れ上がったわけである。「ルール・規範・やり方」は経済的なものにとどまらず、ジェンダーイデオロギーなどの社会規範や価値観にまで及んでいる。
1992年のジョージ・ソロスによるポンド売り浴びせが有名だが、一国の経済政策が「市場の声」、すなわちグローバル資本の意向を無視できなくなっていることは明明白白な事実で、それに逆らうと「○○降ろし」を仕掛けられることもあり得る。
エマニュエル・トッドは西側先進国がリベラルな民主制からリベラルな寡頭制に移行してきたと論じているが、寡頭支配者とそれを支える知的エリート集団の総体がDSだとも言える。
ケインズは『一般理論』で「既得権益よりも思想の力の方が危険」と論じたが、1990年代末頃から西洋(特に英語圏)の各界のエリートの思想・価値観・世界観がリベラリズムに一元化されてきたことが、価値観と目的意識を共有するエリート集団=DSの存在感と力を大きくしている。
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