ウクライナと1930年代のドイツ
ウクライナのことを小川和久は「失敗国家だった」、エマニュエル・トッドは「十分に機能する国家を建設できないでいる」「まさに『破綻国家』と呼べる状態」と評しているが、そのような混迷の極みから過激な民族主義が支配する異様な国情に短期間で移行したという点において、ヴァイマル~ナチスの時代のドイツとよく似ている。
ナチスとの違いは、
ウクライナにはヒトラーに相当する指導者はいない
ヒトラーは突撃隊を粛清したが、ウクライナでは突撃隊に相当する極右民兵組織が国家親衛隊(内務省軍)に昇格した
極右勢力が大統領をコントロールしている
主敵はユダヤ人ではなくロシア人(ロシア系住民)
などである。過激化の発端となった暴力革命については👇を参照。
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この👇不一致も、大統領が過激ナショナリストに引きずられていることを示しているように思われる。
これら👇を見ればウクライナのヤバさが分かるはず。「極右・ネオナチがいる」と「極右・ネオナチが政府に入りこんで支配している」は次元が違う。本家のナチスを真似ていることも明らか。
急速に過激なイデオロギーに支配されるようになったという点では西側諸国(特に英語圏)も同じ。西側はDiversity・Equity・Inclusionのリベラリズムである。西側のロシア敵視にはリベラリズムを拒否するロシアへの聖戦の意味がある。
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