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私と英語の話

今日は仕事の話ではなく、英語についての話です。

今でこそ仕事でも英語を使っていて、時々通訳のようなこともしますが、中学校までは普通の日本の英語教育を受けて育ってきました。英語を一生懸命勉強していたところから、仕事で使えるようになるまでに、大きな気付きがあったので、それについて書いておこうと思います。ちなみに英語の勉強法のようなことは一切出てきません。

まずは私の受けてきた教育と周囲の環境のこと

普通の公立中学を卒業後、通った高校が少し特殊だったため、そこでたっぷり英語を勉強しました。大学は海外に進学することを目標としてカリキュラムが組まれていたので、授業の半分くらいは英語関係、ネイティブの先生と理科の実験をしてレポートを書いたり、聴覚トレーニングがあったり、あらゆる方向からの英語漬けな高校生活でした。

高校卒業後、ロンドンの大学へ。日本人の多いロンドンにしては、私のいた環境は比較的日本人が少なく、学部も私以外に日本人は一人だけ、最後の1年はハウスメイトもイギリス人のみ、バイト先も現地の劇場だったので、日本語を一言も喋らない日も多くありました。

それでも結局自分の英語力に不安を感じなくなったのはもっと後の話です。今ではその理由も分かりますが、当時は本当に英語に自信はありませんでした。。座学の授業は本当に理解したのか半信半疑だったし、バイトもお客さんに何か難しいことを難しい発音で聞かれたらどうしようかといつもドキドキして引け腰でした。

ロンドンでの4年間の生活の後に日本へ帰国し、その2年後から現在の梅田との仕事で海外(特に英語圏以外の国)に多く行くようになり、今に至ります。

英語に対する認識の変化

このような感じで英語に関わることが多い人生ですが、社会人になったある時点で英語に対する認識が大きく変わり、それは今でもハッキリと覚えているくらい、衝撃的なことでした。

それは、梅田との仕事で初めてツアーに同行し、フランスの田舎町で仕込みをしていたとき。その場にいたスタッフのほとんどが英語が話せないという状況の中、梅田の少しブロークンな英語は通じるのに、私の言ったことはほとんど通じませんでした。

最初は、話すスピードか?発音か?文法か?といった言語のテクニカルな面ばかりを考えていたのですが、後にそれが、言語そのものの問題よりも、相手のことを考えたコミュニケーションであったかどうかということが大きな問題だったということに気付かされました。

だからこのときの衝撃というのは、自分の英語が通じなかったこと以上に、これまで何かが大きく間違っていたということ(言語以上にコミュニケーションの方に重きを置いていたことはあっただろうか...)、そして英語に対する認識が180度変わってしまったことに対して、です。

「正解」

これは後から気付いたのですが、高校で英語の勉強を始めてから、大学、そしてフランスでのその瞬間まで、私の目標であり「正解」は「ネイティブのように英語を話すこと」だったように思います。英語がコミュニケーションのための手段であるということはほとんど頭にありませんでした。ずっと自信がなかったのもきっとそのせいで、ネイティブのように英語を話し、現地人のように振舞うことを正解としていたなら、どう頑張っても現地の人には劣るので、それはもう自信も何もないですね、、

そこから、長年持っていた「英語を”正しく”話しているかどうか」という自分の中に植わったチェック機能のようなものを作動させずに、相手に伝わるように話すことを第一に心がけるようになりました。気付いたのは非常に遅かったけれど、気付けて良かった。。恐らく、英語の発音や文法は今の方が雑ですが、コミュニケーションとしては今の方がまだ伝わるようになっていると思います。

自分の英語力に不安を感じなくなったのもそこからで、英語力の問題ではなくコミュニケーション力の問題であると気付けたので、コミュニケーション力と相手のことを考える気持ちさえ上げれば英語力自体は問題ないだろうと思えるようになりました。その分自分のコミュニケーション力に対する不安は増えましたが...

コミュニケーションのための英語

言語的な「正解」を求めて一生懸命だったからこそ手に入れられたボキャブラリーや発音はあるし、学生の時の私にはコミュニケーションとしての英語というのはあまり理解できなかったかもしれないけれど、「正解」は言語の中ではなく、相手とのコミュニケーションの中にあるということは、遅くなったけれど気付けて本当によかったと思っています。

自分の備忘録でもありつつ(このことはどうやったって絶対に忘れないけれど)、人と比べて自分の英語力が劣っていると感じたり、文法的に正しい英語を話そうとして何も喋れなくなってしまう、高校時代の私のような人に伝わるといいなと思います。

そして日本語でも自分は同じ過ちをしていないだろうかと改めて考えながら、この文章を書いています。

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