毎日「コロナ」という言葉を聞くようになってからの世界

今日もまた朝から晩まで「コロナ」が飛び交っている。
世界中で飛び交っている。未来のことは何にもわからないけど、

もう「コロナ」がなかった頃の世界には戻れない。

振り返ると3月くらいまでは、やろうと思っていたことができていたんだと思う。コロナがはじまってから変わったことを考えてみる。

-----目次-----
1.在宅勤務になった
2.家族との通話時間が増えた
3.友達と連絡をとることが増えた


1.在宅勤務になった(3/24~)
その前まで時差通勤をグループで一人ずつするというなんとも緩いルールで出勤していたのだが、23日に突然次の日からの在宅勤務が告げられた。心配なことは沢山あったが、始めてみると何を心配していたのか思い出せないくらい今の所問題はない。「出勤する」という概念をコロナは殺した。

2.家族との通話時間が増えた
過保護に育てられたほうだと自負しているが、家族と電話をすることはあまりなかった。それこそ一年の抱負に「家族に月に1回は連絡する」という目標を立てるくらい。それがこの2ヶ月くらいは毎週電話している。しかも1時間を超えるくらい長い電話。電話が増えたのは、帰省ができないからなのだけど。2月に北海道に行ってから、「もしもがあるから、GWになったら帰るね」と言っていた。間もなくGW。私はまだ実家には帰れない。コロナは家族と会える時間を奪った。

3.友達と連絡をとることが増えた
ある日ZOOMをインストールした。#zoom飲み をした。チェコに留学していたメンバーと、チェコに住んでいる友達でガールズトークをしたらあっという間に2時間が過ぎた。女の子の悩みはつきない。ちょうどイースターの時期で、チェコではイースターに行う風習がある。男の子が箒のようなもので、女の子のお尻を叩くというものだ。無病息災を祈念して行われていた。だけど今年はソーシャルディスタンスをとるように言われているため、その風習も自粛となった。コロナは文化を封じた。

家から出ないわけじゃない。必要なものは買いにいける。でもそれだけだ。必要なものだけを買いに行くときしか外に行かない。好きな人たちと会えなくなることが、好きなときに好きな場所に行けないことがこんなに苦しい気持ちにするなんて知らなかった。

満開の藤の花も、国立博物館の展示も、好きなアーティストのライブもインターネットで家にいながら見られるようになった。本物が見られないから、こんな時だから共有してくれている。だからこそ本物が見たい。その場で、その雰囲気を堪能したい。

未来が分からないからこそ、今できる最善を行って行くしかない。「コロナ」がなかった世界は未来にない。でも「コロナ」が流行していない世界が未来にあるかもしれない。

家にいるだけで、誰かと会える日が、好きな景色を見にいける日が、美味しいものを食べにいる日が近づいてきているのだと。だからそれまでは#stayhome

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?