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あちこちに“地方創生”の言葉が並ぶ昨今。「地方創生に関わりたい。」という求職者の声も多いです。さて、そこまで地方創生に注目が集まる理由は何なのでしょうか。理由は様々でしょうが、僕なりに地方創生の必要性について考えてみたいと思います。

民間の有識者で構成される「人口戦略会議」によると、全国に1729ある自治体のうち、744が消滅可能性自治体とのことです。消滅可能性自治体の定義は以下です。

“2020年から2050年までの30年間で20~39歳の女性人口が50%以上減少すると予想される自治体”。

人口と生産・消費が比例するというのは経済の原理原則であり、人口が経済の安定・発展にとって重要な因子であることは自明の理です。TSMCの工場誘致により盛り上がる熊本県菊陽町は最たる例かと思います。雇用があれば、県外からの流入によって人口が増える、で、その土地の経済が反映する、その土地での出生が増える。熊本県菊陽町では、地元の人の様々な悩みもあるのでしょうが、何かが変わる時に無痛ではいられないというのも世の常かと思います。含んで超えていくしかないのだと思います。

一方で、日本において向こう数十年の人口減少は不可避です。(あらゆる予測は外れますが、人口予測だけは外さないことで有名です。)その中においては、中央集権的に都市部に人口を集めることも合理的な一つの判断かと思います。人口の少ない山間部で、少数の人の生活のためのインフラ整備については、言い方は悪いですがコスパが悪いことも事実です。故郷がなくなる、母校がなくなることに対する寂しさ、切なさ、悲しさ、そういったお気持ちもあるでしょう。ですが、全体の効率を犠牲にしてまで、そこに税金を投入することについては個人的には好意的な気持ちにはなれません。

ちなみに、厚労省の発表によると、日本の人口は2070年には8700万人になると予想されています。2070年には日本は、現在の約70%の人口となります。更なる高齢化、人口の都市部への集中が進むことも間違いないでしょう。その先には、高齢化した母集団がこの世を去り、どこかのタイミングで年齢分布の逆転が起きるものと思います。その時、僕はこの世を去っているでしょうが、いつかまた日本が人口増加に向かう段階は確実に訪れると思います。その時までの、対応としての「地方創生」の大切さについて考えてみたいと思います。

前置きが長くなってしまいました。
日本が人口減少傾向の底を打ち、人口増加に転じるまでに数十年は要する、その中で間違いなく地方都市の多く(の経済)は衰退していきます。なぜなら、人口が減ると生産も消費もされないからと先ほど述べました。

唐突感を抱かれるかもしれませんが、親の経済力やリテラシーと教育水準について考えたいと思います。親の経済力やリテラシーとその親の子がどのような教育機会を選択できるかは強い相関があることでしょう。現代においては、経済力よりもリテラシーの方が重要な気もしますが、リテラシーと経済力はある程度相関している気もします。

僕は人口15万人くらいのベッドタウンの、その中でも相対的に田舎の町で育ちました。親に「勉強しろ。」なんて言われた記憶はありませんし、小学校の同級生で中学受験をするのは2人か3人だったと思います。小学校4年生くらいでしょうか。それまで、仲良く遊んでいたY君と急に遊べなくなった記憶が蘇ってきました。Y君と僕を無残にも引き離した。僕にとって中学受験とはちょっと憎い存在です。

東京で生活するようにになって最も驚いたことの一つが、中学受験、場合によっては小学受験がごくごく一般的であることです。僕の周囲の知人友人のお子さんも、中学受験を経験していることが多いです。また、高校生くらいからお子さんが海外に留学するという話もごくごく普通の会話として聞こえてきます。僕の地元では、なかなか聞こえてくる会話ではなかったように思います。

人口2万人の地方都市に住んだ経験もあります。その土地では、親の想定する子の人生の選択はもっとせまく、その土地では地銀に就職するか、町役場に就職することが賞賛されます。別に地銀に就職すること、町役場に就職することを否定したい訳ではありませんが、子どもに提示される選択肢が都市部に比べて、極めて限定的である印象を受けましたし、実際にその土地で子育てをする友人からそのような話を聞きます。

資本主義経済の中においては、選択肢の中から選んだ教育水準がもろに収入に反映されます。残念ながら。つまり、選択肢が少ない子はそれだけ、お金を稼ぐことにおいて不利を受けます。残酷ですが、これが事実ですね。親、しっかりしろ!と言いたいです。ですが、みなさんご存知のように、お金と幸せは比例しないという事実は大きな希望です。地方都市であれば、都市部よりも遥かに安い金額で住居が確保出来ますし、有名私立の小中学校から受験戦争を勝ち抜き、留学も経験したグローバルエリート予備軍と競争なんかしなくても、いや、そんな世界線があることを知らなくても、豊かに暮らすことは十分に出来るでしょう。地元の学校を卒業し、地元の企業に就職し、地元の学校の同級生や先輩後輩と結婚し、子どもを何人かつくり、割と大きめの戸建てを買い、休日はセレナでイオンモールに行ったり、庭や近所の川でバーベキューをしたり、と。とても幸せです。

最近、勉強や稼ぐことの競争で一定の成果を出して来られた方々の中で“自分を生きるとは?”とか、“生きる幸せとは?”とか“働く意味とは?”などを自問する方が増えているように思います。とても良いことだと思いますし、僕もたまにはそんなことを考えるようになってきました。ですが、都市部の方々と相対で考えると地方都市の方々の多くは、そんなことを考えているようには見えません。

たまに地元の友人と食事をするのですが、話題の多くは、パチンコの話やゴルフの話、昔話、そんなものばかりです。(偏りがあることは認めます。)とても楽しいですし、みんな幸せに生きています。因みに、つい先日、地元の友人と僕を含めて7人で居酒屋に行ったのですが、僕以外の6人は喫煙者でした。

経済の格差が幸せの格差につながらないことは、希望です。もっと言うと、最低限の経済活動さえ回っていれば、人はその人の捉え方次第で幸せに生きることは可能なのです。ですが、地方の経済が今以上に衰退をすると、その地の雇用もままならなくなり、現在の幸せの維持が難しくなります。お金と幸せが相関しないとはいえ、衣食住が確保されてこその幸せだと思います。地方の経済が衰退すると、都市部に稼ぎに出るしかなくなります、更に日本が相対的に経済弱者になれば、他国に稼ぎに出る必要も出てきます。これがグローバル競争にさらされるということなのだと思います。グローバル競争を勝ち抜くのは、高い水準の教育を受けた者にとって有利です。

経済が衰退すると、教育水準は低下する、そんな事実を打破し、地方の子どもにもなるべく高い水準の教育機会、可能性の選択肢を提示すること、また、その地で幸せに暮らしている人の幸せを守るためにも地方の経済が活性化すること、つまり、雇用が生まれ、人口が増え、生産と消費が増えることが大切。
自分なりに、なぜ地方創生が必要なのかを考えてみました。

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