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(NOT)哲学的落語断章 第3回 見えるものと見えないもの

 どうもこんばんは、久我宗綱です。先月はお休みをいただきありがとうございました。
 今回なのですが、笑いやユーモアに関する話はほとんど出てきません。ただ、個人的な思いから一つ取り上げたい演目がありました。しかし、それを扱うとなるとシリアスな話題になるわけで、いつもの私の文体はそぐわないんですよね。そこで急遽、久我丹月院宗鶴入道に代打をお願いすることとなりました。それでは先生よろしくお願いします。

 さて、頼まれて引き受けたわけだが、本題に入る前に、一つ断っておかなければならないことがある。
 まず、あなたがたにはっきりと言っておくが、人種・国籍・文化的背景などで乱雑にひとまとめにするようなこともすべきではないと考えている。つまり、「△△には□□を理解できない」であるとか「△△は××だから□□はできない」であるといった言説に与するつもりはないということである。
(△△には任意の属性、□□には任意の事物が入る。入るが、何が入るかは考えなくていい。そのようなことのために時間を使うのはやめた方がいい)
これだけはきちんと宣言しておくべきことであるし、宣言しておきたかったことである。そしてこの思いは落語について語る時にも貫き通したいと考えている。これは私だけでなく、本連載における他の執筆者でも同じ意見である。

 前置きが長くなったが、今回は、差別という観点から「心眼」という演目を取り上げ、そこから「共感」というものについて触れたいと思う。なお、この噺には「●●●」という極めて差別的な単語が登場する。本稿ではこの単語については伏せ字で通させていただく。これは編集サイドからの要請ではなく、私の個人的判断である。創作物でなく、ましてや研究でもない本稿において、意図的にその語を使用する意義は一切ないからである。

 まずは簡単にあらすじから。前回の書き方を踏襲させていただき、サゲは太字とする。
 目が見えず、按摩で生計を立てている梅喜。ある日出稼ぎに行っていた横浜から浅草馬道の自宅まで歩いて帰ってくる。驚いた女房のお竹が理由を聞くと、横浜も不景気でなかなか稼げず、止まっている弟の家に飯代も入れられない。それを弟が「ど●●●、この不景気に食い潰しにきやがって」となじられたのだとか。悔しがる梅喜に、茅場町のお薬師様はご利益があるそうだから信心してはどうかと勧め、まず今日は寝るように床をとる。なかなか寝られたものではないが、それでも疲れもあって次第に微睡む。
 そして次の朝からお参りを始め、三七二十一目の満願の日、梅喜は薬師様の前で手を合わせ、目を開けてもらえるよう頼む。しかし、梅喜の目は開かない。諦めてもういっそ殺してくれと叫ぶ梅喜、その声を聞いた馬道の上総屋が肩を叩く。なんとその拍子に目が開く。上総屋と共に喜ぶ梅喜、薬師様にまたお竹とお礼参りに来ると言って、馬道に帰る。その道すがら、梅喜は上総屋から、お竹が東京でも指折りの顔のよくない女であること、そして梅喜はそれに釣り合わず、役者よりも良い男であり、芸者の小春も惚れていること(1)を聞かされる。それを知り、みっともないという梅喜を、上総屋はお竹ほど心に真っ直ぐな人はいない、目が開いたのだってお竹が寿命を削ってまで祈願をしていたのだとたしなめる。その後、先ほど名前の出た小春と出会う。目が開いた祝いと、そのまま二人で食事に出かけ、話が弾む。あなたに惚れているがいい奥さんがもうちゃんといるのだからつまらないとこぼす小春に、酒も入ってか梅喜は「あんなのは追い出してしまう」と言ってしまう。その瞬間、グッと胸倉を掴むものがある。当然ながら顔は知らない。誰だと問うとそれは女房のお竹だと答える。「悪かった」とうめきながらお竹の名を呼ぶ梅喜。
 お竹は梅喜を心配げにさすって起こす。台所で水仕事をしていたら、うなされていたようなので、飛んできた。悪い夢でもみたのではないかというお竹。「夢か……」と息をつく梅喜。お竹はご飯を用意してくれ、信心の準備を整えてくれているが、梅喜はもう信心はやめにすると言う。理由を尋ねる小竹に自嘲するように笑いながら梅喜が答える。
「それにしても、盲人ってぇのは不思議なもんだなぁ。寝ている時だけよぉく見える。」(2)

 あらすじに続いて、ある研究に触れさせていただこう。絵本「ちびくろ・さんぼ」の差別性を論じたものなのだが、著者である守によれば、差別表現を含む本には「①著者が差別的意図で書いたもの②著者には差別的意図がなかったが、読者には感じられるもの③著者にも想定された読者にも差別が意識されないが、第三者の観点からは差別的であるとされるもの」(3)の三種類があるという。
 これは「著者」を「演者」または「作者」、「読者」を「観客」に置き換えれば、概ね落語にも適用できるであろう。
 差別的とされる落語には上記の中でも③のパターンが多いように思われるが、これには以下の二つの理由がある。
(1)そもそも落語には成立年代がある程度古いものが多いため、作者や当時の観客は差別だと思っていないが、現代の価値観からすると十分に差別的な演目というものが発生する。女性が登場する噺なんかにはちょくちょくこのケースがある。
(2)落語は「ネタ出し」と呼ばれる事前に演目を出す催しを除き、基本的に何をやるかは決められていない。そのため、差別の対象となる観客がいる時には上演が避けられることとなり、その場にいない第三者への差別的表現が登場することがある。
 このパターンを踏まえた上で、差別的であると考えられてしまう落語には、①差別的な単語・表現が登場するものと②その作品を成立さしめている要素そのものが差別的な発想から成り立っているものの二類型が存在すると考えている。もちろん、この二つの性質は不可分のものではなく、スペクトラムとして混ざり合うものではあろう。しかし、先程からやたらに分類が頻発しておる気がする。ソロゾロ図解を入れるべきなのだが、これ以上分類は登場しないので安心されたし。
 例えば、「心眼」と同様に視覚障害者を扱った話に「景清」というものもあるが、こちらは②の色が強い。というのも、噺の中で登場人物が目が見えない原因を「前世の罪業によるもの」だと言ってしまっているからである。このような「病苦は(前世含めて)本人や係累に何かしらの原因があって発生している」という思考は割と近代まであったわけだが、具体的な病気の名前を出さずとも、その考えがいかに危険かは分かるだろう。その意味では、②の色が強いものはやりにくさ・聴きにくさが強いように思われる。
 さて、「心眼」の話に戻ろう。心眼は先述の二類型で言えば①であろう。何しろ梅喜の弟が「ど●●●!」と罵るシーンがあるわけで、これが原因でテレビやラジオではなかなか放送されない。もっとも、九代目正蔵は「●●●」という言葉を取り除いくことで、公共放送で演じることに成功した例はある。このような対処の如何について語るには紙幅がないためこれ以上の言及は避けるが、ただ一言申し上げるならば、私は当代正蔵の「心眼」が大好きである。その語によって表現されていた梅喜の苦悩を、前後の言葉回しや表情で伝える技巧があるかないかでここが変わってくるはずだ。少なくとも私は彼の口演からそれを感じたのである。

 また話が逸れたので元に戻す。そもそもこの噺を、差別的表現の処理に工夫を入れてまで上演されるような名作たらしめているものは何であろうかと考えてみるために、ある先人の言葉を借りてみよう。革命的な新作落語で落語史に不動の名前を刻んだ三遊亭圓丈師匠は、彼の名著『ろんだいえん』の中で「その落語がウケるかどうかには、重要な要素として「共感」がある」(4)と喝破している。
 ここで想定されている「落語」とはおそらく滑稽噺のことであろうが、私はあえてこれを人情噺も含めた落語全体まで拡張させていただく。
 視覚障碍者の経験を元にした落語に晴眼者が共感できるのかとお考えの人もいるかもしれない。
 しかし、「心眼」は視覚障碍者というマイノリティに視点を合わせながらも、そこから敷衍して人間の浅ましさとそれに気づくことのできる情愛という人間に通底するものを描き出している。そして言葉は矛盾していながらも、梅喜の芯からの言葉が凝縮されたサゲには、例え目が見えようとも共感を抱ける部分があるのではないだろうか。
 このようにして、我々は例え同じ障碍を持っていなくとも、目の前に現前する矛盾を対面し、演者の導きにより「共感」へと至るのである。これこそがこの噺の根本なのだ。

 我々の生きる世界には多くの矛盾しているように見えるものや純粋な矛盾がある。また、我々の心も矛盾にあふれていることは言うまでもないだろう。
 様々なことに挑み、そして諦める。右に行けと言われ右に走ると、なぜ左にいかなかったのかと怒られる。
 今日は気分を変えてうどんを食べようと思って、いつもの立ち食い蕎麦屋に入り、「お蕎麦でしたね」と言われてしまってつい「はい」と答えてしまい、結局コロッケそばで満足する。
 生活とは矛盾に向き合うということだと私は考えてすらいる。
 その矛盾を切り出して呈示し、観客を「共感」に誘なう。そして、そこに現れる矛盾を時に笑い飛ばし、時に心に染み入らせる。それが「落語」の一側面ではないだろうか。
 振り返ってみれば、第一回で扱った「猫の皿」にもその形が見られる。「高い皿で猫に餌をやる」という矛盾に見える状況、そしてその裏にある真実。つい欲を出してしまう道具屋に「共感」するからこそ、サゲがじわりと笑いに変わるのだ。
 まぁ、ざっとこんなところだろうか。

 今回は、落語の一つのコアともいえる「共感」の作用についてお話しさせていただいた。
 次からはまた宗綱君に「笑い」について書いていただくわけである。今後はこのような奇策に出ず、自力で書くことに期待したい。それでは儂は帰ることにするぞ。さらば。

八代目桂文楽 「心眼」
九代目林家正蔵 「心眼」

参考資料
八代目桂文楽 「心眼」『NHK落語名人選103 八代目 桂 文楽 明烏・心眼』、ユニバーサルミュージック合同会社、POCN1147、1999年。
N H K製作「林家正蔵 落語「心眼」」、『日本の話芸』N H K教育テレビ、2021年9月26日放送。
安藤鶴夫『わが落語鑑賞 安藤鶴夫の「読む落語」』、河出文庫、河出書房新社、2009年。
三遊亭円丈『ろんだいえん 21世紀落語論』彩流社、2009年。
守一雄「『ちびくろ・さんぼ』の差別性をめぐって」『信州大学教育学部紀要』、92号、1999年、p. 93~100。

脚注
(1)ちなみに九代目正蔵の口演では、この役者のくだりで比較対象として「菊五郎・福助・家橘」と挙げている。私の推定では、この三人はそれぞれ五代目尾上菊五郎・四代目中村福助(のち五代目中村歌右衛門)・十五代目市村家橘(のち十五代目市村羽左衛門)ではないかと見ている。この中だと私は家橘が一番好きである。「花の橘屋」とうたわれたほどで、その美しさはここには記しきれない。しかし、実際に見たことはない。残念である。ぜひ読者の方にも写真を見てみていただきたい。
(2)2021年9月26日放送『日本の話芸』での林家正蔵の口演より引用。
(3)守、1999年、p. 97。紙幅の都合上、改行を省略し引用。
(4)円丈、2009年、p. 74。

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