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会話の記録1

 太宰治『人間失格』の中で出てくる言葉遊びの場面が好きで、たまに思い出す。それは、名詞を「悲劇名詞」もしくは、「喜劇名詞」に振り分けていくというもの。汽船と汽車は悲劇名詞だけど、市電とバスは喜劇名詞らしい。他にも、名詞の対義語を考えるという言葉遊びも小説の中で登場していた。黒の対義語は白だけど、白の対義語は赤で、赤の対義語は黒だそう。何とも詩情に溢れている。
 似た感性を持っている人と、感覚言語のみを使って話すのはとても楽しい。私にもそんな友だちがいる。その人はよく、「今は夜の心だから、思考が出来るよ。昼の心のときには出来ない。」と言う。心を"夜と昼"で例えるのも、"朝と夜"ではなくて"夜と昼"であるのも、いちいち説明されなくても理解ができる。同じ感覚言語を使えているのだと思う。
 その人と、感覚言語を使った会話で特に盛り上がった夜があった。「今の30分くらいの会話全部録音しておきたかったね。(普通会話の録音なんてしないけど)」「昼になって忘れてしまうのは悲しいから、残しておきたい。考えたこと、文にしてまとめておいてよ。」「いや、会話形式のまま文字に起こそう。」と話し、数十分前の記憶を辿った。その記録として、下に残しておく。

「やっぱり人間は、二元論的にしか物事を把握出来ていないんじゃないかって思うんだよね。」

「二元論的って例えば?」

「黒と白、正義と悪、大人と子ども、昼と夜、青と赤とかね。人のことも、何か対義する2つの選択肢のどちらか1つに当てはめようとしてしまう。でも2つしか無いっていうのは、不安定だと思うんだよね。」

「不安定ってどういうこと?」

「金属の板を指だけで支えることを想像してみてほしいんだけど、2本指で支えようとするのは不安定でしょ?3本あると少し安定する。」

「じゃあもし1と2と3があったら、君は曖昧な間に該当する3にいたいってことなんだね。」

「いや、3は間じゃなくて、1と2と対等なんだ。図形で表すと、一直線じゃなくて正三角形。」

「なるほど。理解した。」

「つまり、0と1、1と2、2と3、3と4ってことか…。」

「まって、置いていかないで。何を言っているの?」

「ごめん、ぶっ飛んだ。0と1は分かるよね?」

「多分イメージ出来てるけど、一応ちゃんと説明して。」

「0と1は『ない』と『ある』でしょ?」

「うん。分かる。」

「1と2は『わたし』と『わたしとあなた』になる。ニュアンス伝わる?」

「二元論の例を数字に当てはめて考えているんだね。確かに、人は、わたしかあなたに振り分けられるもんね。二元論ぽい。」

「そうなんだよ。3に該当する誰かがいない。」

「わたしとあなたって難しくない?わたしからみたらあなたはあなただけど、あなたからみたあなたはわたしで、わたしはあなたになるわけだし。」

「ううん。主観じゃなくて、客観的に見たわたしとあなたってこと。」

「なるほど。概念としての、わたしとあなたってことだね。でもさ、1と2は対等なんだよね?わたしとあなたって、わたしの方が強い感じある。」

「確かに、わたしの方が優位っぽく感じるね。」

「別の例でやってみる?表と裏とか。」

「そしたら、1は表ってことだね。でも表って1って感じしないかも。」

「0.5なんじゃない?」

「それだ!そしたら、0.5+0.5=1にはならなくて、0.5+0.5=2になるね。」

「私の感覚だと裏表は、表裏一体って感じもするから、0.5+0.5=1でもあるかも。」

「もう一つ思いついた。0.5は1にもなり得るけども、1は0.5になり得ない。つまり、0.5=1だけど、1≠0.5と言えるね。」

「かなり面白いね。でも、話ずれちゃった。結局表裏の例でも、3に該当する何かは出てこないかも。表と裏に対抗できるもう1つの概念は存在しないね。」

「そんな気がする。結局人間は2までしか認識できないのかもしれないな。」

「二元論だね。3はやっぱり、無さそうだよね。」

「もう一個、別の説を思いついてしまった。住んでいる次元をn次元だとすると、n-1までの数しか認識できないようになっているのかも。」

「つまり私たちは3次元を生きているから、2までしか分からない。2次元が認識できるのは1までで、4次元が認識できるのは3まで?」

「そういうことになるかな。でも2次元も4次元も生きたことがないから、これはあまりにも不安定な仮説だね。だけどやっぱり、3次元のこの世を司るのは2だし、それだと不安定だから3があってほしいな。3に憧れてしまう。」

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