太宰治『人間失格』の中で出てくる言葉遊びの場面が好きで、たまに思い出す。それは、名詞を「悲劇名詞」もしくは、「喜劇名詞」に振り分けていくというもの。汽船と汽車は悲劇名詞だけど、市電とバスは喜劇名詞らしい。他にも、名詞の対義語を考えるという言葉遊びも小説の中で登場していた。黒の対義語は白だけど、白の対義語は赤で、赤の対義語は黒だそう。何とも詩情に溢れている。
似た感性を持っている人と、感覚言語のみを使って話すのはとても楽しい。私にもそんな友だちがいる。その人はよく、「今は夜の心だから、思考が出来るよ。昼の心のときには出来ない。」と言う。心を"夜と昼"で例えるのも、"朝と夜"ではなくて"夜と昼"であるのも、いちいち説明されなくても理解ができる。同じ感覚言語を使えているのだと思う。
その人と、感覚言語を使った会話で特に盛り上がった夜があった。「今の30分くらいの会話全部録音しておきたかったね。(普通会話の録音なんてしないけど)」「昼になって忘れてしまうのは悲しいから、残しておきたい。考えたこと、文にしてまとめておいてよ。」「いや、会話形式のまま文字に起こそう。」と話し、数十分前の記憶を辿った。その記録として、下に残しておく。